すべての大人にはいい部分と悪い部分があります。
あなたたちはそれに振り回されてはいけません。
もしも疑問に感じたり、これはおかしいと思うようなことがあったら、
それを忘れないでいてください。
そして大人になったとき、自分の頭で判断し、正義の側につける人間になってください
母さくらが、二郎と妹の桃子に
- あなたたちは永遠に親のものではないので、自立できると判断した時点で、独り立ちしてもかまいません。
ただ15歳までは、おとうさんおかあさんと一緒に暮らしましょう。
- あなたたちが学校を教えられることって、本当はたいして重要なことじゃないの。
勉強はもちろん、集団生活のルールなんかでも。
だって、通学路しか通っちゃいけないなんて、あきらかに意味のない決め事でしょ。
国は国民を、大人は子供をそれぞれ管理したいだけなんだから。
母が、二郎の姉、洋子に
- 人の物を盗まない、騙さない、嫉妬しない、威張らない、悪に加担しない、
そういうの、すべて守ってきたつもり。唯一常識から外れたことがあるとしたら、
それは、世間と合わせなかったってことだけでしょう。
- (洋子)それがいちばん大きなことなんじゃないの。
- ううん。世間なんて小さいの。世間は歴史も作らないし、人も救わない。
正義でもないし、基準でもない。世間なんて戦わない人を慰めるだけのものなのよ。
父が、開発反対の市民活動家に
- おれは、あんたらみたいな運動屋にはもうシンパシーを抱いていない。左翼運動が先細りして、活路を見いだしたのが環境と人権だ。つまり運動のための運動だ。ポスト冷戦以降、アメリカが必死になって敵を探しているのと同じ構造だろう。
- あまりきついことは言いたくないんだがな。沖縄生まれならともかく、内地の人間が勝手に南の島に憧れ、自分探しで環境保護運動をするのは迷惑な話だ。
父の一郎
- 税金なら払わん。
- 晴耕雨読こそが人間のあるべき姿よのう。
スティングさん (1951年〜)
英ニューキャッスル出身の歌手、俳優。貧しく成績優秀な少年時代、12才からギターをはじめ、バンドを3つ掛け持ちしていた学生時代にステージで着ていた黒と黄のストライプシャツから「スティング(蜂の針)」と呼ばれた。
小学校教師を2年務めた後、プロ活動開始。一時広告モデルも務め、78年バンド「ポリス」でデビュー。映画「さらば青春の光」出演。
アルバム「白いレガッタ」「ゼニヤッタ・モンダッタ」「シンクロニシティ」が全英1位。映画「砂の惑星」出演。
心身の疲労でバンド休止、離婚。85年ソロアルバム「ブルー・タートルの夢」、アムネスティの活動やライブエイドに参加、映画「プレンティ」「ザ・プライド」、87年「ナッシング・ライク・ザ・サン」
ブラジルの熱帯雨林保護キャンペーン、熱帯雨林基金を設立。91年「ソウル・ケージ」、99年「ブラン・ニュー・デイ」。
アイルランド紛争や富の偏在、メディアの姿勢等を批判し、人間性の回復を主張してきた。
- 自分の書いた曲が、気軽に口笛で吹いてもらえるって最高だな。
- ぼくはこれまで貧しかった。二度と金に困るような目には会いたくない。
だが、堕落がはじまるのはこういうときだ。金は人をだめにするからね。
- ぼくにとって本を読むことは生きるうえで大きな支えだ。いつも本は読んでいる。
読書から新しいアイディアがうかんだり、ひらめきが生まれたり、いろんなことを考え直すきっかけを得ることができる。
だから、人にいい本をすすめてあげると、僕自身、とても前向きな気持ちになれるんだ。
- 人間は機械と違って、考える頭と心を持っている。それをもっと育んでいってほしいんだ。
人間は複雑で創造力に富み、又、同時に破壊する力だって持っているんだからね。
- 僕は政治家じゃない。ただ個人的な主張をしているだけだ。
- 子供たちに、僕のことを覚えておいて欲しい。親父はわりとまともなやつだったと思ってもらえれば、それでいいんだ。
- アマゾン先住民との交流で
ここの子供たちは自然に村の精神的・文化的な生活にとけこんでいく。それなのに、ぼくらの子供たちはすさんだ街角に、どんどん追いやられていく。
スティングさんの音楽
松岡修造さん (1967年〜)
いつでも全力の修造さん。10才から本格的にテニスを始め、高校総体3冠。中退して単身渡米、
86年プロ転向。88年82位、89年両膝半月板損傷、90年左足首靭帯3本全てを断裂。
91年カナダ・マスターズでピート・サンプラスをフルセットで下し、92年世界ランク46位。
95年ウインブルドンでベスト8。ATPツアーシングルス1勝、ダブルス1勝。11代目くいしん坊。
東宝名誉会長の松岡功と宝塚星組男役スター千波静との次男。阪急東宝グループ創始者の小林一三の孫。
- 人の弱点を見つける天才よりも、人を褒める天才がいい
- 勝ち負けなんか、ちっぽけなこと。大事なことは本気だったかどうかだ!
- 一所懸命生きていれば、不思議なことに疲れない
- ミスをすることは悪いことじゃない。それは上達するためには必ず必要なもの。ただし、同じミスはしないこと
- 心の底から好きなことを本気で取り組めるなら、それは幸せ
- 涙よりも、血よりも、汗を流していたい
- 暑くなければ夏じゃない。熱くなければ人生じゃない!
- 諦めるなよ!!諦めるなお前!!
- 人は完璧を求める。しかし、完璧だと思った時から全てがやり直しになる
- 僕が偉そうに話してることは全て、これまで僕ができなかったこと
- チャンスをピンチにするな!
- 偶然やラッキーなどない。つかんだのはおまえだ!
- 自分を創るのは自分だ!
- 予想外の人生になっても、そのとき、幸せだったらいいんじゃないかな
- 崖っぷちありがとう!!最高だ!!
- 怒る時には、自分の身長の高さから厳しい態度で言うこと。褒める時には、必ず子どもの視線までしゃがむこと。
- 褒め言葉よりも苦言に感謝
- 人もテニスも、ラブから始まる
- この一球は絶対無二の一球なり
- ベストを尽くすだけでは勝てない。僕は勝ちにいく
- 本気になれば自分が変わる! 本気になれば全てが変わる!!
- 一番になるっていったよな? 日本一なるっつったよな! ぬるま湯なんかつかってんじゃねぇよお前!!
- よく、時間が解決してくれると言うけれど、そうは思わない。でも、行動した時間なら解決してくれるはずだ。
- まず行動。足を引っ張る人は必ずいる。しかし、それを気にしていたら何もできない。
- 行動する時、力が湧いてくるのは、自分を信じてくれる人の存在を知った時。
- 「がんばれ!」ではなく、「がんばってるね!」
- OK。ナイストライ。
- 100回叩くと壊れる壁があったとする。でもみんな何回叩けば壊れるかわからないから、90回まで来ていても途中であきらめてしまう。
- 僕が一番好きな言葉はウィンブルドンのベスト8のコートに入る時に叫んだ「この一球は絶対無二の一球なり」という「エースをねらえ」に出てくる福田先生の言葉だ。
今ここを生きろということで、僕は「一所懸命」という字は、一つのところに命をかけろと学んできた。
過去とか未来とか考えれば考えるほど不安や怒り、そういうものがあるからこそ、今を一所懸命生きればいい。
- 諦めんなよ! 諦めんなよ、お前!! どうしてそこでやめるんだ、そこで!! もう少し頑張ってみろよ! ダメダメダメ!諦めたら! 周りのこと思えよ、応援してる人たちのこと思ってみろって! あともうちょっとのところなんだから!
- 過去のことを思っちゃダメだよ。何であんなことしたんだろ…って怒りに変わってくるから。未来のことも思っちゃダメ。大丈夫かな、あはぁ〜ん。不安になってくるでしょ?ならば、一所懸命、一つの所に命を懸ける!そうだ!今ここを生きていけば、みんなイキイキするぞ!!
- もっと熱くなれよ…!! 熱い血燃やしてけよ…!! 人間熱くなったときがホントの自分に出会えるんだ!
- 言い訳してるんじゃないですか? できないこと、無理だって、諦めてるんじゃないですか? 駄目だ駄目だ!あきらめちゃだめだ! できる!できる!絶対にできるんだから!
- 子供への禁句は
お前はダメだ。あの子ができるのに、お前はどうしてできないんだ。こうしろよ。ああしろよ。
松岡修造サイト 松岡修造さんの本
吉原知子さん(1970年〜)
究極のキャプテンシー。怖くて熱くて優しい、日本女子バレーのリーダー
北海道妹背牛町出身。中学で全国選抜。妹背牛商高で3年連続インターハイ。3年時に全日本入り。
88年日立入社。91〜94年日本リーグ優勝、91・92・94年ベスト6。92年バルセロナオリンピック代表。
94年、山田監督の解任とプロ化運動の余波で大林と共に解雇。即日、寮から出されてしまい。イタリアのプロリーグへ。
長く、大林の影に隠れていたが、チーム移籍でオールスター出場など活躍。
これまでと全く異なる環境で、新しい価値観も育まれた。再度のオリンピックを目指し帰国。ダイエー入社。
96年アトランタオリンピック代表。98年Vリーグ優勝とベスト6。廃部のため、99年東洋紡へ移籍。
00年ベスト6、01年Vリーグ優勝とベスト6&MVP。02年廃部のためパイオニアへ。
年齢を理由に代表から外れていたがアテネに向け、03年主将として7年ぶりに全日本復帰。
高校生もいる幅広い年令、バラバラで意識の低いメンバーをまとめ、時に叱咤。
夜の自主練習の他に、早朝6時(時に4時)からも竹下と自主練習し、W杯上位で五輪出場を決定。オリンピック5位。
04年Vリーグ優勝。180センチ、61キロのセンター。
- 誰かがやっているから私もやらなきゃという練習はやめてね。
- 自主練習は自分でこれがうまくなりたい、この技を磨きたいと思うならして。
- 体育館で一緒に時間だけ過ごす振りならやめて。
- 文句があるならコート内で言い合おう。コート外で他人の批判は絶対しないでね。
- せっかくここまでチームを作ってきたんだから、自分達の中から壊れることだけはやめようね。
- 中途半端はなしだよ!攻めるんだよ。思いっきり攻めていこう。
- まだまだね。こっから、我慢していこう。こういう時あるからさ、我慢して、我慢して。
- 諦めちゃダメだよ。絶対諦めちゃダメだよ。最後まで行くよ!
- 世界レベルで私は身体が小さい。速さや技で対抗しないと生きていけない。だから誰より練習するの。
- これだけ年齢も重ねて、昔とは違う。みんなと同じ事しか出来ないなら、自分は維持出来ない。だから練習するの。
日本バレーボール協会
あしたのジョー
矢吹丈と力石徹の運命的な出会いと死闘。ホセ・メンドーサとの壮絶なラスト。
1968〜73年少年マガジン連載。尾藤イサオさんの主題歌「サン〜ド〜バァッ〜グに〜」も懐かしい。
高森朝雄(梶原一騎)・ちばてつやさん作。少年マガジン全盛期の傑作。
- 棄権ってのはないぜ。俺の試合にはな。
- 打つべし! 打つべし!! 打つべし!!!
- 立つんだ、ジョー!
- ほんの瞬間にせよ、まぶしいほどに燃え上がるんだ! そしてあとには真っ白な灰だけが残る。燃えかすなんか、残りやしない。まっ白な灰だけだ。
- 燃えたよ。燃え尽きた。真っ白にな。
あしたのジョーのDVD
ブラック・ジャック
手塚治虫さんの名作。無免許の天才外科医ブラック・ジャックが医者から見放された患者達を助ける。
助手のピノコと二人で暮らし、莫大な診療代を請求する。1973〜83年少年チャンピオン連載。
- わたしなら母親の値段は百億円つけたって安いもんだがね。
- どんな医学だって、生命の不思議さにはかなわん。
- それでも私は人を治すんだ! 自分が生きるために!
- 頭の傷はちゃんと治したんだ。だが心の傷までは治すとは言わなかったぜ。この人の心の傷はもう手遅れだね。じゃあお大事に。
- 八頭身にも美女にも興味ないんだ。私は見かけの姿なんて興味ないよ。どうにでも整形できるからな。
- 仮病は、この世でいちばん重い病気だよ。
本間丈太郎博士が
- 人間が生き物の生死を自由にしようなんて、おこがましいとは思わんかね。
- これだけは君も肝に銘じておきたまえ。医者は人を治すんじゃない。人を治す手伝いをするだけだ。治すのは、本人なんだ。本人の気力なんだぞ。医者が人の生き死にのカギを握るなんて、思い上がりもはなはだしいんじゃないか。
ドクター・キリコが
- 生きものは死ぬ時には自然に死ぬもんだ。それを人間だけが無理に生きようとする。一体どちらが正しいのかね。
手塚治虫ワールド ブラック・ジャックのDVD
赤塚不二夫(1935〜2008)
満州生まれ。終戦後母親と満洲から新潟に引き揚げた。
1951年、中学卒業後、看板店に就職し、「漫画少年」に投稿開始。
1954年、上京、化学工場に勤務しながら漫画を執筆。
1956年「嵐をこえて」でデビュー、伝説の「トキワ荘」に移り、石ノ森章太郎と四畳半で生活。
1962年「おそ松くん(週刊少年サンデー)」、「ひみつのアッコちゃん(りぼん)」連載開始
1965年「おそ松くん」で小学館漫画賞受賞。
1967年「天才バカボン(週刊少年マガジン」)連載開始。ギャグ漫画の王様とうたわれる。
1976年、山下洋輔の紹介でタモリを見いだし全面支援。
1998年、紫綬褒章受章。
バカボンはサンスクリット語の「薄伽梵」。薄伽が徳、梵が成就。
煩悩を超えた徳のある存在なのだ」
- これでいいのだ。
- ママがいるからパパなのだ。
- ハラペコだけどシアワセなのだ。
- リコウよりバカが英雄なのだ。
- 立派な馬鹿になるのは大変なんだ。
- 忘れようと思っても思い出せないのだ。
- あんね。アイデアの出しおしみはダメだよ。
- 頭のいいヤツは、わかりやすく話す、頭の悪いヤツほど、難しく話すんだよ。
- 何でもありだよ。でも品がなくちゃダメ。
- いい本読んで、いい音楽を聴いて、いい映画を見なさい。でないと本物のバカになっちゃう。
- 世間や常識というやつはいいかげんなの。だから、本物が分かる人にならないとダメ。
- 最後につじつまがあってりゃ、何やってもいいんだ。
- ただバカっつったって、ホントのパカじゃダメなんだからな。
知性とパイオニア精神にあふれたバカになんなきゃいけないの。
- バカボンのパパってさ、別にラクして生きてるわけじゃないんだよ。
パパはパパなりに、どうすれば家族を幸せにできるか、どうすれば毎日を楽しく過ごせるかを
考えながら一生懸命ガンバってるわけ。そのためには体ごとぶつかっていってる。
- (酔ってパトカーで帰り、お巡りさんに)寄って飲んでけよ。
(断られ)、また来いよ。
- 言っちゃ悪いけど、女はある程度の年齢に達すると愛情問題がからんで、視野が狭くなるね。
好奇心が自分の男に集中するんだな。
これが男だと、彼女がいてもいい女をみれば「やりたい」と思うわけだ(笑)。
男と女はそこが違うな。これはトータルなことでね。
- 判事さんがヤミ米を拒否して餓死した時代だったからねえ。
親が養ってくれないから僕は泥棒してそれを煮て焼いて食って生活してたし
君ら、親が食べさせてくれないなんてないだろ。
- 《タモリ弔辞》
8月の2日に、あなたの訃報に接しました。
6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが、
回復に向かっていたのに、本当に残念です。
われわれの世代は、赤塚先生の作品に影響された第一世代といっていいでしょう。
あなたの今までになかった作品や、その特異なキャラクターは、私達世代に強烈に受け入れられました。
10代の終わりから、われわれの青春は赤塚不二夫一色でした。
何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、
歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていたときに、
あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは、今でもはっきり覚えています。
赤塚不二夫がきた。あれが赤塚不二夫だ。私をみている。
この突然の出来事で、重大なことに、私はあがることすらできませんでした。
終わって私のとこにやってきたあなたは「君は面白い。お笑いの世界に入れ。
8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。
それまでは住む所がないから、私のマンションにいろ」と、
こういいました。自分の人生にも、他人の人生にも、影響を及ぼすような大きな決断を、
この人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。
それから長い付き合いが始まりました。
しばらくは毎日新宿のひとみ寿司というところで夕方に集まっては、
深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタをつくりながら、あなたに教えを受けました。
いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。
ほかのこともいろいろとあなたに学びました。
あなたが私に言ってくれたことは、未だに私に金言として心の中に残っています。
そして、仕事に生かしております。
赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。マージャンをするときも、
相手の振り込みで上がると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしか上がりませんでした。
あなたがマージャンで勝ったところをみたことがありません。
その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。
そのためにだまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。
しかしあなたから、後悔の言葉や、相手を恨む言葉を聞いたことがありません。
あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折みせるあの底抜けに無邪気な笑顔は
はるか年下の弟のようでもありました。あなたは生活すべてがギャグでした。
たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀のときに、大きく笑いながらも
目からぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺のときたこちゃんの額をピシャリと叩いては
「このやろう逝きやがった」とまた高笑いしながら、大きな涙を流してました。
あなたはギャグによって物事を動かしていったのです。
あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。
それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、
また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。
この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち「これでいいのだ」と。
いま、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が思い出されています。
軽井沢で過ごした何度かの正月、伊豆での正月、そして海外でのあの珍道中。
どれもが本当にこんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。
最後になったのが京都五山の送り火です。あのときのあなたの柔和な笑顔は、
お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。
あなたは今この会場のどこか片隅に、ちょっと高いところから、
あぐらをかいて、肘をつき、ニコニコと眺めていることでしょう。
そして私に「お前もお笑いやってるなら、弔辞で笑わせてみろ」と言っているに違いありません。
あなたにとって、死も一つのギャグなのかもしれません。
私は人生で初めて読む弔辞があなたへのものとは夢想だにしませんでした。
私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。
それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、
お礼を言うときに漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。
あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。
しかし、今お礼を言わさせていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。
ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の一つです。
合掌。平成20年8月7日、森田一義。
浅井愼平さん(1937年〜)
写真家。愛知県瀬戸生まれ。早稲田中退。日本広告写真家協会賞受賞。
写真集「ビートルズ・東京」、VANやJANSENのポスター、CANONやPARCOのCMなどで、受賞多数。
アルバム「Surf Break from Jamaica」でゴールドディスク賞。映画「キッドナッピング・ブルース」で脚本・監督・撮影・照明。
地球環境への関心から水辺や歴史的風景なども撮影。千葉に景観重視の「海岸美術館」設立。
- 20世紀は人間のキャパシティーを超え、文明というシステムが肥大化した世紀ではなかったかと思います。
コントロールを失ってしまっていると言ってもいいでしょう。
このまま際限なく肥大したら、それは恐ろしい結末を迎えるだろうし、
一刻も早く、人間のキャパシティーに合ったシステムに組み直さなければいけない。
- 変わってはいけないものと変わっていくもの、双方の理由をきちんと考え、住む人が幸せかどうかが最も大事になる。
新しいものばかりを追いかけて、ものの本質的なよしあしを見極める目を失ってしまっている。
新しいものに悪いものもあれば、古いものにもいいものはたくさんあります。
- テレビジョンも以前は新しいメディアだったわけですが、人間の弱いところ、つまりただ楽しいとか、考えることを要求されない方に流れ、大衆化することであらゆる文化がレベルダウンしてしまったのです。
テレビジョンが悪い、インターネットが悪いという短絡的なことではなく、使う人間の考えが常に問われるということを忘れると、人のうわさ話ばかりして人生が終わってしまうなんてこともあり得る。
- 本当の幸福は、自分だけでなく、同時に他人も幸福でないと得られないもののはずですよ。
例えば、恋人の幸せが自分の幸せであり、家族の幸せが自分の幸せなんだというようにね。
ゴミのポイ捨てが増えたのも、自分の幸せしか考えられないからです。
自分さえ良ければいいと思うから、平気で街を汚すことができる。
自分の街なんだという意識がなく、国や行政という他人の持ち物だと思ってるのでしょう。
- 本当の面白さっていうのは最初の大変なところ、辛いところを乗り越えないと手に入らないと思う。
逆に言えば、大変だからこそ熱中できるっていうこと。中間を端折っては手に入れられないし、お金で買えるものじゃ満足できない。
- 勝つためにはどうしたらいいかと考えて自分で工夫するわけだから。
それも生きることの面白さだよね。
でも、がんばっても勝てるとは限らない。負けたり、落ちたりもする。
それもまた人生なんだよね。適当にやっていると悔いが残るけど、
自分なりにがんばっていたら、くやしいけど悔いは残らない。
- 美術館はただ箱があればいいというものではなく、そこを通過することで、人生に風が吹くようなものでありたいです。
海岸美術館
ジャック・マイヨールさん(1927〜2001年)
上海生まれのフランス人ダイバー。リュック・ベッソン監督「グランブルー」のモデル。素もぐり「大深度閉息潜水」の元世界記録保持者。
上海で暮らしていたジャック一家は、毎年夏のバカンスに当時あった上海長崎間定期航路で九州唐津に来てすごし、虹の松原「あずまやホテル」か「松原ホテル」に滞在した。
10才の時、七つ釜で、イルカと運命的に出会う。戦争のため、13才で両親とマルセイユに戻る。
高校卒業後、北極圏でイヌイットと暮らし、その後、フロリダで新聞社の助手やラジオのリポーターを経験し、マイアミ水族館で働き始める。
57年、調教師としてイルカ「クラウン」と意志を通じ合えるようになり、彼に水中での呼吸法や泳ぎ方も学んだ。
しかし、イルカたちを閉じこめる水族館に疑問を抱き、カリブ海のケイコス諸島に移住。素潜りによる伊勢エビ漁を始め、島の人々にも教えた。
あるカメラマンの誘いを受け、フリーダイビングの潜水記録に挑戦しはじめ、66年世界記録60mを達成。
ヨガの呼吸法をマスター、日本でも禅を学んで、集中力が高まり、伊豆沖で世界記録76m達成。
ライバルのエンゾ・マイオルカと記録を更新し続けるが、エンゾは74年87mの世界記録達成直後に失神して引退。
マイヨールは76年伊エルバ島沖で100m達成。その後、フリーダイビングと距離を置き、
著作や講演会でイルカや環境保護を訴え、自らを実験台とした潜水中の生理機能調査、心理テストなどにも協力した。
83年、56才で世界最高105mを達成。晩年はより哲学的になり、毎年唐津の海を訪れていた。
自己中心の気分屋と言われるほど純粋だったためか、日本のダイビング仲間に慕われていたが、日本以外では孤独だったようだ。
伊エルバ島にある海を一望する自宅で自殺。
- 人間の思考と精神に、兄弟であるイルカのインスピレーションが少しでもあったら、傷ついてしまった我々共通の惑星地球は、かつてそうであったようにパラダイスに戻ることができるだろう。
- 大自然の大気中には、全ての生命を生かしている見えないエネルギー「プラナ」が満ちている。この「プラナ」をスムーズに体内に取り入れる事に依って、最大限の生命力を発揮できる。
- 呼吸は、大宇宙の母と、その子宮の中で育まれている私達とを結ぶ、へその緒の様なものだ。
- イルカは高度な「知性」を持ちながら、自然と完全に調和して生きている。その生き方から学ぶことに依って私達も自然と調和する道を知ることができる。
- 鯨達との交感に言葉はいらない。コミュニケーションではなく、ハーモニーするのだ。
- 推進100メートルの青い静寂の中で聞こえる音がある。それは、音というより宇宙の大いなる生命の響き、ヨガのマントラに似ている。
- 潜ることは、海と一体になるということ。それはイコール宇宙と一体になること。そして自分自身が海そのものであり、宇宙そのものであると感じる。
だから、全体の一部である自分に気づいたら、他人を蹴落として自分のためだけに行動したり、名誉やお金に流されたり、戦争や争いで傷つけあったりすることは無意味だと気づくはずだ。
唐津シーサイドホテル ジャック・マイヨールさんのDVD
中村哲さん(1946年〜)
ペシャワール会現地代表、PMS総院長。
国内病院勤務ののち、1984年パキスタンのペシャワールに赴任し、
ハンセン病を中心とする医療活動に20年以上従事。
パキスタンとアフガニスタン東部で、病院1診療所4を運営し、年16万人を診療。
00年の旱魃による水不足で、深刻な農業崩壊と衛生が悪化したため、
1500以上の井戸の掘削と地下水路の復元を行い、続いて
大規模な農業用水路工事を進め、1期13キロが完成。2500ヘクタールを潤した。
現在第2期工事中だが、07年秋冬も少雨で、水不足が緊急事態。
活動資金はペシャワール会員の寄付のみによる。
アフガンは戦乱と旱魃で、300万人が難民となり、
穀物自給率が00年以前の94%から60%弱に激減した。
テロ防止の国際貢献という自衛隊の重油提供は、
07年までに600億円かかったが、米日パの利権関係者を潤しただけ。
そもそもテロを行ったとされるアルカイダは
アメリカのCIAが組織・援助してきた米軍需産業の傀儡だし、
アフガンとイラクの戦争を仕掛け、長引かせているのも石油・軍需産業のトップ達と、
それにシッポを振る政治家だ。
ペシャワール会の水資源確保と医療は、
会員寄付の年1億円程で、多くの農民や国民を助けている。
税金やODAを活かすにも、こうあるべきだろう。
- 戦争協力が国際貢献とは言語道断である
- なぜ、アフガニスタンの人々を助けるために
アフガニスタン人を殺すための軍隊を派遣する必要があるのだろうか。
- 「殺しながら助ける」支援というものがあり得るのか。
干渉せず、生命を尊ぶ協力こそが、対立を和らげ、
武力以上の現実的な「安全保障」になることがある。
- 「国際社会」や「日米同盟」という虚構ではなく、
最大の被害者であるアフガン農民の視点にたって、
テロ特措法の是非を考えていただきたい。
- タリバーン勢力と農民と区別がつかず、
誤認されて理由もなく殺害される。
その肉親が報復で外国軍を攻撃する悪循環を作っている。
- 誰もが行きたがらない所に行き、誰もがやりたがらないことをする。
ペシャワール会
乙武洋匡さん(1976年〜)
明るく前向きな重度の身体障害者。中学でバスケット部、高校でアメフト部に所属。東京生まれ。早稲田在学中に「五体不満足」がベストセラーに。卒業後スポーツライター。
「Number」連載やTVのスポーツ番組でも活躍中。
- 目の悪い人が眼鏡をかけるのと同じように手足の不自由な人が車椅子に乗っている。それだけのこと。
- 環境さえ整っていれば、ボクのような障害者は障害者でなくなる。
- (バリアフリーは)生活に最低限必要な所には目が向けられてきているんですけど、生活を楽しむような場はまだまだなんですよ。例えばカラオケとか飲み屋とか。最たるものはラブホテルです。
- 僕は彼ら(障害者)の励みになるためにやってるんじゃないんですが、でも結果的にそうなるのは、すごい嬉しいです。
- 僕自身が楽しんでいる姿を見てもらって、いろんなことを感じてもらえたらいいなと思います。
- 「いい人だよね乙武さんって」とか言われたりしても、「友達と一緒にいるから」と記念撮影を断ると、すっごいイヤな顔されるんですよ。
- すべて飛び込んでみてから考えるという性格です。事前に思い悩んだり、準備したりしているうちに疲れてしまうんですよ。
うまくいけば対岸まで飛べるかもしれないし、落ちても下がお花畑かもしれない。そう考えています。
- 今、目の前にあることに熱中していると、次の目標が自然に現れてくるんだと思います。
乙武洋匡さんの本
セヴァン・スズキさん(1979年〜)
12才の時、ブラジル・リオで開かれた92年環境サミットで、世界の指導者たちにスピーチをし、感動を呼んだ。
カナダ・バンクーバー生まれの日系4世。両親とのアマゾン旅行をきっかけに9才で環境保護グループを作り、
米のエール大を卒業し、その後も環境保護活動を続けている。
《サミットでのスピーチ全文》(翻訳・佐藤万理、辻信一)
こんにちは、セヴァン・スズキです。エコを代表してお話しします。
エコというのは、子供環境運動(エンヴァイロンメンタル・チルドレンズ・オーガニゼェーション)の略です。
カナダの12歳から13歳の子どもたちの集まりで、今の世界を変えるためにがんばっています。
あなたがた大人たちにも、ぜひ生き方を変えていただくようお願いするために、
自分たちで費用をためて、カナダからブラジルまで1万キロの旅をして来ました。
今日の私の話には、ウラもオモテもありません。
なぜって、私が環境運動をしているのは、私自身の未来のため。
自分の未来を失うことは、選挙で負けたり、株で損したりするのとはわけが違うんですから。
私がここに立って話をしているのは、未来に生きる子どもたちのためです。
世界中の飢えに苦しむ子どもたちのためです。
そして、もう行くところもなく、死に絶えようとしている無数の動物たちのためです。
太陽のもとにでるのが私は怖い。オゾン層に穴があいたから。
呼吸をすることさえ怖い。空気にどんな毒が入っているかもしれないから。
父とよくバンクーバーで釣りをしたものです。
数年前に、体中ガンでおかされた魚に出会うまで。
そして今、動物や植物たちが毎日のように絶滅していくのを、私たちは耳にします。
それらは、もう永遠に戻ってはこないんです。
私の世代には夢があります。いつか、野生の動物たちの群れやたくさんの鳥や蝶が舞うジャングルを見ることです。
でも、私の子どもたちの世代は、もうそんな夢を持つこともできなくなるのではないか。
あなたがたは、私ぐらいの年の時に、そんなことを心配したことがありますか。
こんな大変なことが、ものすごいいきおいで起こっているのに、
私たち人間ときたら、まるでまだまだ余裕があるようなのんきな顔をしています。
まだ子どもの私には、この危機を救うのに何をしたらいいのかはっきりわかりません。
でも、あなたがた大人にも知ってほしいんです。
あなたがたもよい解決法なんてもっていないっていうことを。
オゾン層にあいた穴をどうやってふさぐのか、あなたは知らないでしょう。
死んだ川にどうやってサケを呼びもどすのか、あなたは知らないでしょう。
絶滅した動物をどうやって生きかえらせるのか、あなたは知らないでしょう。
そして、今や砂漠となってしまった場所にどうやって森をよみがえらせるのか、あなたは知らないでしょう。
どうやって直すのかわからないものを、こわしつづけるのはもうやめてください。
ここでは、あなたがたは政府とか企業とか団体とかの代表でしょう。あるいは、報道関係者か政治家かもしれない。
でもほんとうは、あなたがたもだれかの母親であり、父親であり、姉妹であり、兄弟であり、おばであり、おじなんです。
そしてあなたがたのだれもが、だれかの子どもなんです。
私はまだ子どもですが、ここにいる私たちみんなが同じ大きな家族の一員であることを知っています。
そうです。50億以上の人間からなる大家族。いいえ、実は3千万種類の生物からなる大家族です。
国境や各国の政府がどんなに私たちを分けへだてようとしても、このことは変えようがありません。
私は子どもですが、みんながこの大家族の一員であり、ひとつの目標に向けて、心をひとつにして行動しなければならないことを知っています。
私は怒っています。でも、自分を見失ってはいません。私は恐い。
でも、自分の気持ちを世界中に伝えることを、私は恐れません。
私の国での無駄使いはたいへんなものです。買っては捨て、また買っては捨てています。
それでも物を浪費しつづける北の国々は、南の国々と富を分かちあおうとはしません。
物が有り余っているのに、私たちは自分の富を、そのほんの少しでも手ばなすのがこわいんです。
カナダの私たちは十分な食物と水と住まいを持つ恵まれた生活をしています。
時計、自転車、コンピューター、テレビ、私たちの持っているものを数えあげたら何日もかかることでしょう。
2日前ここブラジルで、家のないストリートチルドレンと出会い、私たちはショックを受けました。
ひとりの子どもが私たちにこう言いました。
「ぼくが金持ちだったらなぁ。もしそうなら、家の無い子全てに、食べ物と、着る物と、薬と、住む場所と、やさしさと愛情をあげるのに。」
家もなにもないひとりの子どもが、分かちあうことを考えているというのに、
全てを持っている私たちがこんなに欲が深いのは、いったいどうしてなんでしょう。
これらの恵まれない子どもたちが、私と同じぐらいの年だということが、私の頭をはなれません。
どこに生れついたかによって、こんなにも人生がちがってしまう。
私がリオの貧民窟に住む子どものひとりだったかもしれないんです。
ソマリアの飢えた子どもだったかも、中東の戦争で犠牲になるか、インドで乞食をしてたかもしれないんです。
もし、戦争のために使われているお金を全部、貧しさと環境問題を解決するために使えば、この地球はすばらしい星になるでしょう。
私はまだ子どもだけど、このことを知っています。
学校で、いや、幼稚園でさえ、あなたがた大人は私たちに、世の中でどうふるまうかを教えてくれます。
たとえば、
・争いをしないこと。
・話しあいで解決すること。
・他人を尊重すること。
・ちらかしたら自分でかたずけること。
・他の生き物をむやみに傷つけないこと。
・分かちあうこと。
・そして、欲ばらないこと。
ならば、なぜ、あなたがたは私たちに「するな」ということを、しているんですか。
なぜ、あなたがたがこうした会議に出席しているのか、どうか忘れないでください。
そして、いったい誰のためにやっているのか。それはあなたがたの子ども、つまり私たちのためです。
あなたがたはこうした会議で、私たちがどんな世界に育ち、生きていくのかを決めているんです。
親たちはよく「大丈夫。すべてうまくいくよ」といって子供たちを慰めるものです。
あるいは、「出来るだけのことはしてるから」とか、「この世の終わりじゃあるまいし」とか。
しかし、大人たちはもうこんな慰めの言葉さえ使うことができなくなっているようです。
お聞きしますが、私たち子どもの未来を真剣に考えたことがありますか。
父はいつも私に不言実行、つまり「何を言うかではなく、何をするかでその人の値うちが決まる」といいます。
しかし、あなたがた大人がやっていることのせいで、私たちは泣いています。
あなたがたはいつも私たちを愛しているといいます。しかし、私は言わせてもらいたい。
もし、その言葉が本当なら、どうか、本当だということを行動でしめしてください。
最後まで私の話をきいてくださってありがとうございました。
子ども環境サミット2005
環境と開発に関するリオ宣言、アジェンダ21
92年リオで開かれた国連環境開発会議(地球サミット)で採択された環境と開発に関する共同宣言。
エネルギーの使いすぎによる環境破壊を反省し、地球環境を守りながら持続可能な開発や経済発展をめざす考え方で、
同時に行動計画である「アジェンダ21」が発表され、後者は各国政府とその自治体で推進され、国際規格ISO14001も決められた。
アジェンダは取り組むべき課題の意味
序文
国連環境開発会議は1992年6月3日から14日までリオデジャネイロで開催され、
1972年6月16日の国連人間環境会議で採択されたストックホルム宣言を再確認するとともに、
その発展を目指し、社会や市民のかなめとなる分野と各国間の新たな水準の協調の創造を通じて、
新しく公平な地球規模の協力関係の確立を目標とし、すべての権利を尊重するとともに、
地球の環境と開発システムの一体性の保全への国際的な合意を追求し、
われらの住まいである地球が不可分なものであり相互に依存することを再認識し、
次の諸原則を宣言する。
第一原則
人類は持続可能な開発に対する関心の中心にある。人類は自然と調和して
健康で生産的な生活を送る権利がある。
第二原則
国家は国連憲章と国際法の原則に従い、自らの環境と開発の政策に準じて
自国の資源を開発する主権的権利と、自ら管轄または支配する行動がほかの国や
自らの管轄権の及ばない地域への環境破壊を起こさないようにする責任を有する。
第三原則
開発の権利は、現在および将来の世代の開発と環境での必要性を
公平に満たすよう行使されなければならない。
第四原則
持続可能な開発を達成するために、環境の保護は
開発過程の欠くことのできない部分とならなければならず、
それから離れて検討することはできない。
第五原則
生活水準の格差を縮小し、世界の大部分の人々の必要性をより良く満たすため、
すべての国家、国民は持続可能な開発に必要不可欠な要求として、
貧困を根絶する重要な任務に協力しなければならない。
第六原則
発展途上国、特に最も開発が進んでおらず最も環境的にぜい弱な国々の
特別の状況と必要性には、特段の優先順位が与えられるべきである。
環境、開発の分野での国際的な行動は、すべての国の利益と必要性に向けて取られるべきである。
第七原則
各国は地球の生態系の健全性および完全性を保全、保護、復元するために
全地球的に協力する精神で協力しなければならない。
地球環境の悪化への関与はそれぞれ異なることから、各国は普遍的だが異なった責任を持つ。
先進諸国は、彼らの社会が地球環境にかけている圧力および支配している技術、財源の観点から、
持続可能な開発を国際的に追求する上で有している責任を認識する。
第八原則
全人類が持続可能な開発とより高度な生活水準を達成するために、
各国は持続不可能なパターンの生産と消費を縮小、廃止し、適切な人口政策を推進すべきである。
第九原則
各国は、科学と技術の知識の交換を通じた科学的認識の向上と、
革新技術を含む技術の開発、適用、普及、移転を強化することによって、
持続可能な開発に向けた内なる能力のために協力すべきである。
第十原則
環境問題は関心あるすべての市民が適時、参加することで、最も良く対処される。
国内のレベルでは、個々人は、危険物質や地域社会の活動を含む公共機関が持っている環境関係の情報を適切に入手し、
政策決定に参加できる機会を得なければならない。
国家は情報を広く公開し、国民の認識と参加を促進、奨励しなければならない。
賠償や救済を含む、司法や行政手続きへの効果的な参加が与えられるべきである。
第十一原則
各国は効果的な環境法を制定しなければならない。
環境基準、規制対象、優先順位は、適用する環境と開発の状況を反映しなければならない。
幾つかの国で適用される基準は別の国々、特に発展途上国では不適当で、
不当な経済的、社会的費用をもたらすかもしれない。
第十二原則
各国は、環境悪化問題へのより良い対処と、すべての国に経済成長と持続可能な開発をもたらすような、
有効で国際的に開かれた経済システムを促進するため、協力しなければならない。
環境目的の貿易政策は、し意的な、または正当化できない差別、
偽装した国際貿易の制限の手段とされるべきではない。
輸入国の司法権の外での環境問題に対する一方的な行動は避けるべきである。
国境を越える、または地球規模での環境問題への対処は、
可能な限り国際合意に基づくべきである。
第十三原則
各国は汚染被害者やほかの環境被害の犠牲者に対する
責任と補償に関する国内法を作成しなければならない。
各国はまた将来、自国の管轄権の及ばない地域で、
自国の管轄下あるいは支配下による行動が起こした
環境被害の影響に対する責任と補償に関する国際法を作成するため、
迅速でより断固とした姿勢で協力しなければならない。
第十四原則
各国は深刻な環境破壊をもたらすか、人間の健康に害があることが判明した、
いかなる活動、物質の他国への移転を思いとどませたり、
防止するため効果的に協力すべきである。
第十五原則
環境を防御するため各国はその能力に応じて予防的方策を広く講じなければならない。
重大あるいは取り返しのつかない損害の恐れがあるところでは、十分な科学的確実性がないことを、
環境悪化を防ぐ費用対効果の高い対策を引き延ばす理由にしてはならない。
第十六原則
各国政府は、環境の汚染者は原則的に汚染の費用を支払うことを考慮に入れ、
公衆の利益を配慮するとともに、国際貿易と投資をゆがめることがないよう、
環境にかかる費用の国際化と経済手段の使用促進に努力すべきである。
第十七原則
国の手段としての環境影響評価は、環境に明白な悪影響を及ぼしかねない対象について行わなければならず、
権威ある国家機関の決定の対象とすべきである。
第十八原則
各国はほかの国に突発的で有害な影響をもたらしかねない、
あらゆる自然災害や緊急事態について、それらの国に直ちに通報しなければならない。
被害を受けた国を支援するため、国際社会によるあらゆる努力がなされるべきである。
第十九原則
各国は国境を越えて重大な環境への悪影響をもたらしかねない活動について、
潜在的に影響を受ける国に対し、事前に適切な通報をするとともに、
的確な情報を提供しなければならず、初期の段階でそれらの国と誠実に相談しなければならない。
第二十原則
女性は環境の管理と開発に極めて重要な役割を有する。
彼女らの全面的な参加はそれゆえ、持続可能な開発を達成するうえで欠くことができない。
第二十一原則
すべての人に持続可能な開発とより良い未来を保障するために、世界の青年たちの創造力、
理念、勇気が、地球規模のパートナーショップ創造に向けて動員されるべきである。
第二十二原則
先住民とその社会、さらに地域社会は、彼らの知識と伝統ゆえに環境の管理と開発に重要な役割を有する。
各国は彼らの主体性、文化、利益を認め、正当に支持し、持続可能な開発を達成するために
彼らの効果的な参加を可能とすべきである。
第二十三原則
圧政、抑圧、占領下にある人々の環境および天然資源は保護されなければならない。
第二十四原則
戦争は本質的に持続可能な開発の破壊者である。
それゆえ各国は交戦時における環境保護の国際法を尊重し、
必要に応じて、その一層の発展に協力しなければならない。
第二十五原則
平和、開発、環境保護は相互に依存しており、不可分のものである。
第二十六原則
各国はすべての環境に関する抗争を平和的かつ国連憲章に従って、
適切な手段で解決しなければならない。
第二十七原則
各国および国民は、この宣言に具体化された原則を満たすとともに、
持続可能な開発の分野での国際法の一層の発展のために、
誠意を持って、パートナーショップの精神で協力しなければならない。
「アジェンダ21」の日本政府版項目
第1章 前文
セクションT 社会的・経済的側面
第2章 開発途上国における持続可能な開発を促進するための国際協力と関連国内施策
第3章 貧困の撲滅
第4章 消費形態の変更
第5章 人口動態と持続可能性
第6章 人の健康の保護と促進
第7章 持続可能な人間居住の開発の促進
第8章 意思決定における環境と開発の統合
セクションU 開発資源の保護と管理
第 9章 大気保全
第10章 陸上資源の計画及び管理への統合的アプローチ
第11章 森林減少対策
第12章 脆弱な生態系の管理:砂漠化と干ばつの防止
第13章 脆弱な生態系の管理:持続可能な山地開発
第14章 持続可能な農業と農村開発の促進
第15章 生物の多様性
第16章 バイオテクノロジーの環境上適正な管理
第17章 海洋、閉鎖性及び準閉鎖性海域を含むすべての海域及び沿岸域の保護
及びこれらの生物資源の保護、合理的利用及び開発
第18章 淡水資源の質と供給の保護:水資源の開発、管理及び利用への統合的アプローチの適用
第19章 有害及び危険な製品の違法な国際的移動の防止を含む、有害化学物質の環境上適正な管理
第20章 有害廃棄物の違法な国際的移動の防止を含む、有害廃棄物の環境上適正な管理
第21章 固形廃棄物及び下水道関連問題の環境上適正な管理
第22章 放射性廃棄物の安全かつ環境上適正な管理
セクションV 主たるグループの役割の強化
第24章 持続可能かつ公平な開発に向けた女性のための地球規模の行動
第25章 持続可能な開発における子供及び青年
第26章 先住民及びその社会の役割の認識及び強化
第27章 非政府組織(NGO)の役割の強化:持続可能な開発のパートナー
第28章 アジェンダ21の支持における地方自治体のイニシアティヴ
第29章 労働者、労働組合の役割
第30章 産業界の役割
第31章 科学及び技術的コミュニティ
第32章 農民の役割の強化
セクションW 実施手段
第33章 資金源及びメカニズム
第34章 環境上適正な技術の移転、協力及び対応能力の強化
第35章 持続可能な開発のための科学
第36章 教育、意識啓発、訓練の推進
第37章 開発途上国における能力開発のための国のメカニズム及び国際協力
第38章 国際的な機構の整備
第39章 国際法措置及びメカニズム
第40章 意思決定のための情報
100人の村 「もし地球が100人の村だったら」
国や地域による大きな格差を分かりやすく訴えた文章、絵本。
環境学者ドネラ・メドウズさん(70年ローマクラブ「成長の限界」を主導)が
1990年「地球市民」に記した「1000人の村」が元。
ネット上で広がり、何度も改変追加され、キリスト教版やイスラム教版まであるらしい。
日本では中野裕弓さん版が01年3月から流れ、
9.11とアメリカの空爆をきっかけにメーリングリストで急速に広がり、
朝日新聞「天声人語」に掲載され、
マガジンハウスから池田香代子さん再話の絵本が出版された。
データのずれや、中野さん版の異訳しすぎなど批判もあるが、
グローバルな視点を分かりやすい形で広めた意義は高い。
《2000年頃のデータで修正したFastCompany版では》
60人のアジア人、13人のアフリカ人、12人のヨーロッパ人、9人の南米人、5人の北米人、1人のオセアニア人がいる。
50人が女性で、50人が男性。
80人が有色人種で、20人が白人。
33人がキリスト教で、67人はキリスト教以外。
20人が全世界の富の89%を手にしている。
25人が標準以下の住宅に住んでいる。
17人は文字を読めない。
13人が栄養失調に苦しむ。
1人が1年以内に死に、2人が1年以内に生まれる
2人が大学教育を受けている。
4人がコンピュータを持っている。
《ハーター教授版とされる追加文章》
次のことも熟考すべきことである。
もし、あなたが今朝、病気というより健康で目覚めたなら、あなたは今週生き残れない100万人より恵まれている。
もし、あなたが一度も戦いの危険、投獄の孤独、拷問の苦しみ、飢餓の苦痛を経験したことがないなら、あなたは世界中の5億人より恵まれている。
もし、あなたが弾圧、逮捕、拷問、死の危険なく教会の集会に出席できるなら、あなたは世界の30億人より恵まれている。
もし、あなたに冷蔵庫内の食物と、着る服と、頭上の屋根と、眠るところがあるなら、あなたは世界の75%より豊かである。
もし、あなたが銀行と財布に金があり、どこかの鉢に予備の小銭が入っているなら、あなたは世界の富豪の上位8%に入っている。
もし、あなたの親がまだ生きていて、まだ結婚したままなら、あなたは合衆国とカナダでさえも非常にまれである。
もし、あなたがこのメッセージを読むことができるなら、あなたは二重に恵まれている。
それは、だれかがあなたのことを考えてくれているから。
そしてそれ以上に、あなたはまったく読むことのできない世界の20億人以上よりも恵まれている。
《誰かに追加された、黒人のスーパー野球選手、サチェル・ペイジさんの言葉》
お金など必要としていないように働こう。
一度も傷ついたことがないように愛そう。
誰にも見られていないように踊ろう。
誰にも聞かれていないように歌おう。
地上の天国にいるように生きよう。
《ドネラ・メドウズさんによる「1000人の村」Deva氏訳》
村の状態のレポート
もし世界が1000人の村だとしたら
584人がアジア人
123人がアフリカ人
95人が東西ヨーロッパ人
84人がラテンアメリカ人
55人がソビエト人(とりあえずリトアニア・ラトヴィア・エストニアなどを含む)
52人が北アメリカ人
6人がオーストラリア人とニュージーランド人
村の人々の意思疎通はかなり困難だ。
165人が中国普通話を話す
86人が英語を話す
83人がヒンディー語かウルドゥー語
64人がスペイン語
58人がロシア語
37人がアラビア語
このリストでは村の半分の人の母国語しか載っていない。
残りの半分は(多い順に)ベンガル語、ポルトガル語、インドネシア語、日本語、ドイツ語、フランス語、その他200語が話されている。
その村のうち、
300人がキリスト教徒(183人がカトリック、84人がプロテスタント、33人が正教会)
175人がイスラム教徒
128人がヒンドゥー教徒
55人が仏教徒
47人がアニミスト
210人が残りの宗教(無神論者を含む)
村の3分の1(330人)は子供。
子供たちの半分だけが、はしかや小児まひのような予防可能な伝染病に対して免疫がある。
1000人の村人のうち60人が65歳以上。
既婚女性の半分以下しか、近代的な避妊具を入手・使用できない。
毎年28人の赤ん坊が生まれる。
毎年10人が死に、そのうち3人が食糧不足で、1人がガンで死ぬ。
死者のうち2人は生まれて1年以内の赤ん坊だ。
村の1人はHIVウイルスに感染している。その人はまだエイズの末期症状にまでは至っていないだろう。
28人が出生し、10人が死亡するので、翌年の村の人口は1018人になる。
この1000人の共同体で、200人が収入の4分の3を手にしている。
別の200人は収入の2%しか手にしない。
70人だけが自動車を持っている(そのうち数人は複数の車を持っている)。
約3分の1の人は、きれいで安全な飲み水を入手できない。
村の670人の成人のうち、2分の1が文盲。
村は一人あたり6エーカー(2.4ヘクタール)の土地を持っている。
全部で6000エーカー(2400ヘクタール)の土地のうち、
700エーカー(280ヘクタール)が耕作地
1400エーカー(560ヘクタール)が牧草地
1900エーカー(760ヘクタール)が森林地帯
2000エーカー(800ヘクタール)が砂漠、ツンドラ、舗装その他の不毛地帯
森林地帯は急速に減少している。不毛地帯は増えている。残りの土地分類はおおむね安定している。
村は肥料の83%を耕作地の40%に投入する。それは最も豊かで最もよく食べている人たちが所有している。
この土地から流れ去る過大な肥料が湖と井戸に汚染を起こす。
肥料の残り17%を割り当てられた60%の残りの土地は、穀物の28%を生産し、73%の人々を養うことになる。
その土地の上の平均穀物産出は、金持ちの村人たちが得た産出量の3分の1である。
もし世界が1000人の村であったなら、5人の軍人、7人の教師、1人の医者がいるだろう。
毎年300万ドル以上の村の歳出予算のうち、18万1000ドルが武器と戦争に、
15万9000ドルが教育に、13万2000ドルが健康管理に使われている。
村はその地下に、村を何度も吹き飛ばしてしまうのに十分な破壊力を持つ核兵器を埋めている。
これらの武器はちょうど100人の制御下にある。
他の900人は、その100人がうまくやっていけるかどうか、
もし、うまくやっていったとしても、その武器を不注意や技術的失敗で爆発させないかどうか、
また、武器を廃棄することに決まったとしても、
その兵器から生まれる危険な放射性物質を村のどこで処分するのかを心配して、深い不安を抱いて眺めている。
《中野裕弓氏版の後半文章》
もし、このように縮小された全体図から私達の世界を見るなら、
相手をあるがままに受け容れること、自分と違う人を理解すること、
そして、そう言う事実を知るための教育がいかに必要かは火を見るより明らかです。
また、次のような視点からもじっくり考えて見ましょう。
もし、あなたが今朝目が覚めた時、病気でなく健康だなと感じることが出来たなら、
あなたは今週生き残る事のできないであろう100万人の人たちより恵まれています。
もし、あなたが戦いの危険や投獄される孤独や獄門の苦悩、
あるいは飢えの悲痛を一度も経験したことがないのなら、
あなたは世界の5億人の人たちより恵まれています。
もし、あなたがしつこく苦しめられることや逮捕拷問、
または、死の恐怖を感じることなしに教会のミサに行くことが出来るなら、
あなたは世界の30億人の人たちより恵まれています。
もし、冷蔵庫に食料があり、着る服があり、頭の上に屋根があり、寝る場所があるなら、
あなたは世界の75%の人たちより裕福で恵まれています。
もし、銀行に預金があり、お財布にお金があり、家のどこかに小銭が入った入れ物があるなら、
あなたはこの世界の中で最も裕福な上位8%のうちの一人です。
もし、あなたの両親がともに健在で、そして二人がまだ一緒なら、それはとても稀れなことです。
もし、このメッセ−ジを読む事ができるなら、あなたはこの瞬間2倍の祝福を受けるでしょう。
何故ならあなたの事を思ってこれを伝えている誰かがいて、
その上、あなたは全く文字の読めない世界中の20億の人々より、ずっと恵まれているからです。
昔の人がこう言いました。
我が身から出るものは、いずれ我が身に戻り来ると。
お金に執着することなく喜んで働きましょう。
かって一度も傷ついたことがないかのごとく、人を愛しましょう。
誰も見ていないかのごとく、自由に踊りましょう。
誰も聞いてないかのごとく、のびやかに歌いましょう。
あたかもここが地上の天国であるかのように、生きていきましょう。
このメッセ−ジを人に伝えて下さい。
そして、その人の一日を照らしてください。
100人の村の本
千の風になって、Do not stand at my grave and weep (Mary Frye さん、1905〜2004年)
私は死んだけれど、千の風になって雪や光や自然の中にいる。だから泣かないで。
というアメリカで葬儀や追悼の時に読まれる有名な詩。
"Do not stand at my grave and weep"として知られる。
複数のバージョンがあり、作者不詳だったが、米オハイオ州生まれのドイツ系ユダヤ人、
メアリー・フライMary Fryeさん作と判明。
日本では95年に南風椎氏が、97年鎌章二郎氏が訳し、
新井満氏も知人の追悼文集で知って訳し、03年朝日新聞の天声人語に紹介され、
「千の風になって」として、広く知られるようになった。
Do not stand at my grave and weep
I am not there, I do not sleep
I am in a thousand winds that blow
I am the softly falling snow
I am the gentle showers of rain
I am the fields of ripening grain
I am in the morning hush
I am in the graceful rush
Of beautiful birds in circling flight
I am the starshine of the night
I am in the flowers that bloom
I am in a quiet room
I am in the birds that sing
I am in the each lovely thing
Do not stand at my grave and cry
I am not there I do not die
私の墓の前で泣かないで
私はそこにいない。私は眠ってなんかいない
私は千の風の中で渡ってゆく
私は優しく舞い降りる雪
私は静かに降り注ぐ雨
私は野に実る穂
私は朝の喧騒の中にいる
私は空を旋回する美しい鳥たちと戯れている
私は夜空の星の光
私は咲き誇る花といる
私は静かな部屋の中にいる
私は歌う鳥たちといる
私は愛おしいたくさんのものといる
私の墓の前で泣かないで
私はそこにいない。私は死んでいない
別バージョンの異なる中間部分
I am the song that will never end.
I am the love of family and friend.
I am the child who has come to rest
In the arms of the Father who knows him best.
When you see the sunset fair,
I am the scented evening air.
I am the joy of a task well done.
I am the glow of the setting sun.
柳田邦男さん (1936年〜)
栃木県鹿沼市生まれ。72年NHK記者時代に「マッハの恐怖」で大宅壮一ノンフィクション賞。戦争・災害・公害などのドキュメントや評論、
次男の自殺をきっかけに医療事故、心の危機、少年問題などについて積極的に発言。
- 映像、情報機器は自分で操作できます。面白くなければ次から次へ取り換えられる世界。
子供たちは、自分が世界の中心になったような気になってしまう。
まともな人間関係を築けない子供が増える。好きな人としか付き合わないし、少し嫌なことがあればすぐに絶縁。
それより自分で操作できるパソコンの画面を見ていた方がいい。バーチャルな世界と現実が逆転しているのです。
- テレビ漬けの子どもは、言葉の発達の遅れ、感情表現の乏しさ、
感情をコントロールする力の欠如などの傾向が強いことが、専門家の調査研究で明らかになりつつあるし、
テレビゲーム漬けの子どもは前頭葉の発達にゆがみが生じ、人格形成にまで影響がおよぶ危険があるという脳科学の研究報告も登場するようになった。
日本小児科学会や日本小児科医会は2才以下の子どもにはテレビを見せないようにしよう、とくに授乳中はテレビを消そうといった提言を発表している。
- テロの背後にはさまざまな歴史的な条件がありますが、瞬間の映像が私たちに映像という断面だけで価値判断を迫ってくる。
もし崩落するビルと同じだけ、イスラエルに制圧され虐殺されるパレスチナの子供たちの映像を目にすればどうでしょう。
われわれの思想は必ず変わるはずです。映像は怖い。理性的に全体像を把握する思考を停止させてしまう。
- 技術の発達は私たちの生活や仕事に絶大と言えるほどの利便性や効率性をもたらした。しかし、技術の発達は必ず影の部分、負の側面を伴う。
- 教育の目標は他者を思いやる気持ちを育てることです。自分と同様に他人も存在している。つまり、他者認識の基本を身に着けた子供を育てることです。
- 生と死の現場に直面した人たちが語ったのは高尚な哲学ではありませんでした。
例えばこんな言いふるされた言葉です。「人は一人では生きられない」。
そのためには日常の出来事の中で、親や教師が絶えず子供に語りかけていく以外にありません。
柳田邦男さんの本
三木清さん(1897〜1945年)
京大、西田幾太郎に師事した哲学者。欧州留学でハイデッガーに師事、パリでパスカルを研究。
兵庫県生まれ。彼の「人生論ノート」は当時の学生の必読書。
京都学派と言われる西田門下の何人かは戦争協力のメッセージを出したが、三木は共産党員をかくまい、治安維持法で逮捕。敗戦1ケ月後に獄死。
- 孤独が恐ろしいのは、孤独そのもののためでなく、むしろ孤独の条件によってである。あたかも、死が恐ろしいのは、死そのもののためでなく、むしろ死の条件によってであるのと同じである。
- 孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのでなく、大勢の人間の「間」にあるのである。
孤独は「間」にあるものとして、空間の如きものである。
- ひとは軽蔑されたと感じたとき最もよく怒る。だから自信のあるものはあまり怒らない。
- 判断力をつけるには質の悪いものを見る必要はない。よいものをたくさん見ることによって、おのずと目が養われてくる。
良識というのは、ほんとうのものと偽りのもの、
善いものと悪いもの、永続的なもの、永遠なものと一時的なもの、かようなものを識別する力である。
- 旅をする者は為す者でなくて見る人である
- 一から十まで、これで完璧というところまで準備をしておいてから始めようというのでは、何時までたっても何もできっこないよ。
- 機嫌がよいこと、丁寧なこと、親切なこと、寛大なこと、等々、幸福はつねに外に現われる。
京都大学
世阿弥さん(1363〜1443年)
室町時代の能役者兼作者。それまでの猿楽から、父観阿弥と共に幽玄美を理想とした能に発展させ、芸術にまで高めた。多数の能作品と能楽論がある。
少年時から将軍義光の寵愛を受け、30代前半の隆盛期に観阿弥の口伝を推敲してまとめたのが「風姿花伝(花伝書)」。
壮年期に出家して書かれた「花鏡」はさらにハイレベル。晩年は将軍義教の命を拒み、佐渡に流された。
簡単に言えば、優雅で品のある姿や風情を「幽玄」、観客を感動させるものを「花」とするようですが、秘伝の奥義なので行間がすごく深い。
有名なのは...
秘する花を知る事。秘すれば花なり、秘さずば花なるべからずとなり
花は見る人の心にめづらしきが花なり。花は心、種は態(わざ)。花を知る、花を失ふ。
「花鏡」の「初心忘るべからず」いつも心すべき原点ですが、これに3条の口伝がついています。
- 是非とも初心忘るべからず(修行を始めたころの気持ちを、ずっと忘れずにもっていなさい)
- 時々の初心忘るべからず (修行の各段階で、その時に合う風体を改めて工夫しなければいけない)
- 老後の初心忘るべからず (老後は、老後の風体に合う工夫を改めてしなければいけない)
同じく「花鏡」に
- まず能くその物に成り、さて能くその態を似せよ。
まず演じるべき対象になりきり、そのなりきった姿ですべての演技をせよ。
姿になりきったうえで舞い、演技のしぐさや謡もすべてその姿の内部から出てくるように演じなければならない。
- 目前心後
眼で前を見ながら、さらに心の眼を自分の背後に置く。
能の演者は、自分の姿を観客の目でも見、左右前後、さらに自分の後姿まで自覚し、
つまり心の目で体のすみずみまで意識して優美な舞姿を保たねばならない。
- 動十分心、動七分身
心は十分に動かし、身体は七分に動かす。
心にはいっぱいに気持ちを込め、身体の動きを控えめに演技すれば、十分に動いた心が演技の情緒的な表現になり、面白い風情を伝える。
- 強身動宥足踏、強足踏宥身動
身体を強く動かす時には足は柔らかく踏みならし、足を強く踏む時には身体を静かに動かす。
演技の視覚効果と聴覚効果をずらし、その融合する面白い風情を感じさせる。
能楽協会 世阿弥さんの本
平櫛田中(1872〜1979年)
彫刻家。帝国芸術院会員、東京美術学校(現・東京芸大)教授、東京芸大教授、
90歳で文化勲章受章。107歳で自宅にて永眠。代表作「鏡獅子」は、
国立近代美術館所蔵。国立劇場に永久貸与で、正面ホール展示。
満百歳の誕生日前に、30年分の材料を買い込んだと言われる。
英語に訳され、「If not now, then when? If not me, then who?」
- 人間いたずらに多事、人生いたずらに年をとる、いまやらねばいつできる、わしがやらねばたれがやるいい匂いだね。
- 六十、七十は鼻たれ小僧、男ざかりは、百から百から、わしもこれからこれから。
- 今日もお仕事、おまんまうまいよ、びんぼうごくらく、ながいきするよ。
ちびまる子ちゃん
さくらももこさんの人気コミック&アニメ。70年代の清水市を舞台に、まる子が父ヒロシ、母すみれ、祖父友蔵、友人のたまちゃん、花輪君達とほのぼの楽しく暮らす。
- いい匂いだね。朝のお味噌汁の匂い。なんか幸せを感じるよ
- ひゃっほう、そいつあ素敵にゆかいだ。
- 怒ってる人がごまかされて、笑っちゃえば、世の中、平和だよ。
- やだね。そんな過去のことを。今がすべてだよ。今はこのおかしのおいしさしか語れないよ。
ちびまる子ちゃんのDVD
ボブ・マーリーさん (1945〜1981年)
レゲエを代表するシンガー。36才で癌により死去。「ゲットアップ、スタンドアップ」「ノーウーマン、ノークライ」「トーキングブルース」等
英軍大尉の父とジャマイカ人の母の間に生まれる。母とスラム街で暮らし、11才の時に父は死去。
- おれたちがもし、別の星からやってきたなら、ひとつにまとまるなんてできないよ。だけど、おれたちは同じ父親から生まれてきた。だから、みんなで手をつなぎあえるんだ。
- 目的を見つけよう。なんにでも理由を見つけよう。もし、あんたがしっかりやって、おまけに神を好きなら、きっと見つかるさ。
- 俺たちはポジティブだ。俺はポジティブなことに従事している。ネガティブなものは何から何まで完全に取り除きたい。ネガティブは出て行け。
- おまえの口からついてでる言葉がお前を生かすのだ。おまえの口からついてでる言葉がお前を殺すのだ。
- 臨終の日、息子のジギーに
父さんのいる場所は美しいところだ。緑がしげっていて、すがすがしい。でも、地上を見下ろすと、暗やみと破滅がおおっている。それでも続けることだ。かあさんやみんなと、ひとつになるんだ。
- 妻のリタさんに
リタ、おれはどこにも行かない。おまえを残して、どこにも行かない。おれはいつだって、おまえのそばにいる。
ジャマイカ政府観光局 ボブ・マーリーさんの音楽
鳥井信一郎さん (サントリー創業者 1879〜1962年)
13才で大阪のワインやウイスキーも扱う薬種問屋に丁稚奉公。20才でワイン販売の鳥井商店(後の寿屋、サントリー)設立。
酸っぱくて売れなかったが、日本人に合う赤玉ポートワインで成功。日本初のヌードポスターなど画期的な宣伝で広告の天才といわれた。
後にアサヒビールやニッカを創業する竹鶴を工場長にし、国産ウイスキー「白札」も販売する。
- やってみなはれ、やらなわからしまへんで。
- 商品開発は消費者に一番近いところにいる者が考えた方がいい。「上に聞くな、市場に聞け」といつも言っています。商品を買うのは上司ではなく消費者なのですから。現場主義でやることが経営のスピードアップにもつながるのです。
ドラッカーさん (1909〜05年)
ビジネス最前線を研究する異色学者。経営の神様。自称「社会生態学者」。ウィーン生まれ。
父親はオーストリアハンガリー帝国の政府高官。新聞記者として働きながら独フランクフルト大で博士号取得。
ナチスから逃れ、渡英。37年渡米し、ニューヨーク大教授就任。71年よりクレアモント大教授。
「断絶の時代」「エクセレントカンパニー」「明日を支配するもの」など著作の多くがベストセラー。90代の今も多数の企業、政府、政治家などのアドバイスを続ける。妻は32才年下。05年95才で死去。
- 事業の目標は顧客の創造である。
- 未来に何かを起こすには、勇気を必要とする。努力を必要とする。信念を必要とする。
- 企業活動に伴うリスクをなくそうとしても無駄である。現在の資源を未来の期待に投入することには、必然的にリスクが伴う。
- 経営管理者は事業に命を吹き込むダイナミックな存在である。彼らのリーダーシップなくしては、生産資源は資源にとどまり、生産はなされない。
- 成果をあげるには、人の強みを生かさなければならない。弱みを気にしてはならない。利用できるかぎりのあらゆる強み、すなわち同僚の強み、上司の強み、自らの強みを総動員しなければならない。
- 成功していないものはすべて組織的に廃棄しなければならない。
- 上得意の顧客に対し、わが社は他社にできないどのような仕事をしているかを聞かなければならない。顧客が常に答えを知っているわけではない。しかしどこに正しい答えを見つけたらよいかは明らかにしてくれる。
- あらゆる組織にとって、もっとも重要な情報は、顧客ではなくノンカスタマについてのものである。変化が起こるのは、ノンカスタマの世界においてである。
- 信頼、すなわち追随する人たちがいること。それ以外の共通点は、私が出会った名指導者にはない。
- カリスマ性は不要、必要なのはリーダーシップで、その本質は行動にある。リーダーシップそれ自体はよいものでも望ましいものでもない。それは手段である。
- マネジメントの行なう意思決定は全会一致によってなしうるものではない。対立する意見が衝突し、異なる見解が対話し、いくつかの判断のなかから選択が行われて初めてなしうる。したがって意思決定における第一の原則は、意見の対立を見ないときには決定を行わないことである。
- 部下と自らに厳しくプロの能力を要求する人。高い目標を掲げ、その実現を求める。何が正しいかを考える。頭のよさよりこの真摯さがリーダーの資質である。
- よく見られるのは、成果をあげるには人が多すぎ、したがって、仕事をするよりも、互いに作用し合うことに多くの時間が使われるという状況である。
- あらゆる組織が「人が宝」と言う。ところがそれを行動で示している組織はほとんどない。本気でそう考えている組織はさらにない。
- 金で人を惹きつけることはできない。そういうものをやっているところほど人の出入りが激しい。
- 中小企業のトップは、大企業に比べ地域とのつながりにも多くの時間を割かなければならないし、重大危機には自ら乗り出さなければならない。大企業より中小企業のトップマネジメントの方の責任が大きく切実だ。
《イノベーション》
- いまあるものはすべて陳腐化する。
- 変化はコントロールできない。できることは、その先頭に立つことだけである。
- 変化を利用する者は、激しい競争に直面することがほとんどない。他の者たちが、相変わらず昨日の現実にもとづいて仕事をしているからである。
- 数年毎にあらゆるプロセス・製品・手続き。方針について、「もし現在これを行っていない場合に、今と同じだけの情報を持っているとして、果たしてこれを始めるか」を問わなければならない。もし答えがノーであれば「今何を行うべきか」を問わなければならない。そして、行動しなければならない。
- 組織は行うことすべてについて、絶えざる改善、日本で言うカイゼンを行う必要がある。歴史上あらゆる芸術家が、体系的かつ継続的な自己改善を行ってきた。改善の目的は、製品やサービスを改良し、二、三年後には全く新しい製品やサービスにすることである。
- 成長は事業の成功によって自動的にもたらされるものではない。成長は不連続である。ある段階で自らを変えなければならない。
- イノベーションの欠如こそ、既存の組織が凋落する最大の原因であり、マネジメントの欠如こそ、新事業が失敗する最大の原因である。
- 一般には、イノベーションが変化を作り出すと考えられている。しかし、そうであることは稀である。成功するイノベーションは、すでに起こった変化を利用する。変化そのものとそれが知覚され受容されるまでのタイムラグを利用する。
- トレンドを利用する者は必ず成功する。
- イノベーションは壮大なものではない。身近なものである。
- 最近の新しい製品や技術、すなわちイノベーションを引き起こしたアイデアがどこから来たかを検証してみると、その90%は内部でなく、外からもたらされている。
- 内部にあるのはコストのみ、すべての機会とチャンスは外部にある。
- 一つの構造的なトレンドが終わったにもかかわらず、あるいは逆転したにもかかわらず行動できない者は、消滅の危機に瀕する。逆に、そのとき急速に自らを変化させる者は機会と出会う。
- イノベーションは、焦点を絞り、シンプルにしなければならない。
- 最初からトップの座を狙わない限り、イノベーションとはなりえず自立した事業ともなれない。
《明日を支配するもの》
- 自分の強味を生かせ。強味を集中させ、さらに伸ばせ。不幸にも、自分の強味と価値観が合わないときは、優先すべきは価値観である。
- 苦手な分野は引き受けるな。無能を並みの水準にするには、一流を超一流にするよりも、遥かにエネルギーを必要とする。
- 世の中には、読み手と聞き手がいる。その両方が出来る者は殆どいない。読み手にはメモで、聞き手には口頭で伝えよ。
- 自分を変えようとしてはならない。不得意なことや出来ないことを行なおうとしてはならない。
- 組織にも個人にも価値観がある。組織で成果を上げるには、個人の価値観と組織の価値観が共存しえなければならない。そうでなければ、心楽しまず、成果も上がらない。
- 目標は、背伸びしてやっと実現可能というレベルに設定しなければならない。あまり先を見ては行けない。せいぜい、一年半か二年だ。しかも、その目標は世の中を変えるものでなければならぬ。
- 果たすべき役割を問い直すとき、責任が生まれる。責任を持つとき、はじめて自由となる。
- 組織は権力によっては成立しない。信頼によって成立する。信頼とは好き嫌いではない、信じ合うことである
《知識労働者》
- 知識労働者は自らが責任を負うものについては他の誰よりも適切に意思決定をしなければならない。仕事の目標や基準や貢献は自らの手の中にある。したがって、ものごとをなすべき者はみなエグゼクティブである。
- 知識労働者は自らに課される要求に応じて成長する。自らが自らに求めるものが少なければ成長しない。だが多くを求めるならば、何も達成しない者と同じ程度の努力で巨人にまで成長する。
- 組織は知識労働者に対し,その知識を生かすための最高の機会を提供することによって、初めて彼らを獲得できる。
- インダストリアル・エンジニアリングや品質管理など肉体労働者の仕事を測定評価するための手法は、知識労働者には適用できない。知識労働者は自らをマネジメントしなければならない。
- 今日の若い高学歴者のもっとも困った点は自らの専門分野の知識で満足し、他の分野を軽視する傾向があることである。
- 知識あるものは、常に理解されるように努力する責任がある。素人は専門家を理解するために努力すべきであるとするのは、野卑な傲慢である。
ドラッカーさんの本
リチャード・ブランソンさん (Virgin創業者 1950年〜)
ロンドン郊外生まれ。17才で学生オピニオン誌「Student」を創刊し高校中退。20才でレコード通販のヴァージンをスタート、23才でヴァージン・レコード設立。気球による冒険も有名。
- 僕は勉強があまり好きではなかったんだ。本も理解できないことが多かった。成績も悪いので先生からの覚えも悪かったんだ。
- 学校の寄宿舎の公衆電話から「Student」の企業広告を取ろうと、会社に電話を掛けまくったりした。そのほうが勉強よりも楽しかった。
- 音楽もビジネスも、クリエイトする際に、自分自身か友人達のために創るべきで、お金儲けを目的としてビジネスしても、そうは問屋がおろさない。
ハートから出たものじゃないと、なかなかうまくいかないと思う。一瞬の成功なんて長続きしないものだよ。
- 成功を約束する要素や技術はこの世に存在しない。ビジネスの成功を明確に保証したり、手法を香水のように瓶詰めにすることはできない。
自分自身でやってみて、実践を身につけなければならない。
- ヴァージングループは一般消費者の味方でありたい。何を求めているのかを徹底的に研究してヴァージン流のスマートな手法で商品やサービスを安価に提供していくのだ。
- 大企業が独占または寡占状態で特定の業種を牛耳っている状況は多々ある。そして、その力を利用して、
劣悪な商品やサービスを消費者に不当に高い価格で販売しているケースもある。そんなとき、私は大きな憤りを感じるんだ。
もしヴァージングループがその業界に進出して、よりよい商品やサービスをより安く提供できる可能性があれば会社を設立する。僕は大企業に一泡吹かせてやるのが大好きなのさ。
- なにか新しいことを始める時って、いつも不安がいっぱいだ。マイナスの可能性を列挙し始めたら、最も楽な結論は「何もしない」ということになってしまうよね。
そういう場面に遭遇した時、僕はいつも「Life is short。だから何でもやってみよう。」と自分自身に言い聞かせて、未知の分野にチャレンジしてきたんだ。
- 私個人にとっても、ヴァージングループにとっても、最も重要なことは名声だ。
つまり、どんなにお金がもうかりそうなビジネスチャンスがあっても、その業界が不評だったり、販売方法が社会的に不適当だったりすると、われわれは進出しない。
どうせやるのであれば、社会的に意義があり、一般消費者の利益になり、皆さんから感謝されるようなビジネスをしたい。
- ヴァージンの名前のついた企業のビジネス活動には、エンターテインメントの要素があるということなんだ。
エンターテインメントというのは、その企業で働いている社員も仕事をエンジョイするし、お客さまもわれわれが提供する商品やサービスをエンジョイしてほしいということ。
これがほかの企業群からヴァージンを差別化する最大の特徴だと、16才のときに会社をつくって以来、自負している
- 失敗もあったよ。でもそれでくじけていたら、せっかくチャレンジした意味がない。
だから、戦略を練り直して、再度チャレンジするのさ。ビジネスではあきらめないことが大切だよね。
- 僕はビジネスも食事もパーティもカラオケもすごくエンジョイしているんだ。そうしないと、せっかく神様から頂いた人生を無駄にすることになってしまうからね。
- 常に社員をほめるんだ。決して、けなしてはならない。
リチャード・ブランソンさんの本
福沢諭吉さん (慶応義塾。1835〜1901年)
長崎で蘭学を学び、大阪の緒方洪庵の元でも頑張り、すぐ塾長に。江戸で蘭学塾を開くが横浜でオランダ語が通じず英語に切り替え。咸臨丸などで米欧州に3回洋行し、慶応4年に義塾設立。「西洋事情」「学問のすすめ」
- 独立の気力のない者は必ず人に依頼する。人に依頼する者は必ず人を恐れる。人を恐れるものは必ず人にへつらう。そして人にへつらうことによって、時に悪事をなすことになる。独立心の欠如が結果として、不自由と不平等を生み出す。学ぶことの目的は、まずは独立心の涵養である。
- 天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず。人は生まれながらにして貴賤貧富の別なし。
- 学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり。
- 活用なき学問は無学に等し。
- 心事、高尚ならざれば働きもまた高尚なるを得ざるなり。高い志を持ち、心を高め、より良い結果を生み出していきたい。
- 進まざる者は必ず退き、退かざる者は必ず進む。
- 見込みあればこれを試みざるべからず。未だ試みずして先ずその成否を疑う者は、これを勇者というべからず。
- 妊娠中に母を苦しめ、生れて後は三年父母の懐を免れず、その洪恩は如何と言えり。
「心訓七則」「福沢諭吉訓」と呼ばれる下記の文は、福沢のものではなく、死後に偽作されたものらしいのですが、意味するところは的確なので掲載いたします。
- 世の中で一番楽しく立派なことは、一生涯を貫く仕事を持つことです。
- 世の中で一番惨めなことは、人間として改善のないことです。
- 世の中で一番寂しいことは、する仕事のないことです。
- 世の中で一番醜いことは、他人の生活を羨むことです。
- 世の中で一番尊いことは、人の愛に奉仕し、けっして恩に着せないことです。
- 世の中で一番美しいことは、全ての物に愛情を持つことです。
- 世の中で一番悲しいことは、うそをつくことです。
慶応義塾 福沢諭吉さんの本
ガストン・レビュファさん (1921〜85年)
ヨーロッパアルプスの名クライマー兼ガイド。そして「星と嵐(55)」「天と地の間に/星にのばされたザイル(61)」等傑作山岳映画の監督。
- 憧れから人生の喜びは生まれる。わたしは思い出より憧れが好きだ。
- 不要な物はいっさい持ち込んでは行けない、しかし、必用な物は一切忘れてはならない。
- ガイドの職業こそ、こよなく美しい。けがれを知らぬ土地で、その職務を果たすのだから。
- 今の世の中には、もうわずかなものしか存続していない。夜はもう存在しない。寒さも、風も、星も。すべてが打ち壊されてしまった。
生命のリズムはどこにあるのか。全てのものは、あまりにも早く過ぎ去り、騒々しい。急いでいる人間は路傍の草を知らない。その色も、香も、風が愛撫する時の輝きも知らない。
- 子供の頃、私たちは木登りをした。この本能を私たちはたぶん持ちつづけてきたのかもしれない。もしも、私たちが登るのをだしぬけに止められて、
「なぜ山へ行くのか」という避けられない質問をされたなら、今日の私たちはすぐこう答えただろう。「ぼくらは山へ登るためにできているんだ」
- まず頭で考えろ、お前が何をしたいのかを。そして何が出来るのかを。アルピニズムは何よりも、まず自覚の問題である。
ガストン・レビュファさんのDVD
山野井夫妻(登山家、泰史65年〜、妙子)
世界最強の登山家夫妻。ベースキャンプから軽装備で単独頂上を目指すアルパインスタイルの登山が評価され、
02年度朝日スポーツ大賞、03年夫婦で植村直巳冒険大賞受賞。
泰史氏は87年ヨセミテエルキャピタン南東壁ラーキングフィアー単独第3登、
アルプスドリュ西壁フレンチダイレクト単独初登、
88年バフィン島トール西壁単独初登、90年パタゴニアフィッツロイ冬季単独初登、
92年ネパールアマダブラム西壁冬季単独初登、
94年中国チョー・オユー南西壁単独初登、
95年パキスタンレディースフィンガー南西壁初登、
98年ネパールクスムカングル東壁単独初登、
00年K2南南東リブ無酸素単独初登など、世界屈指のクライマーで、
妻の妙子さんも世界トップ級の女性クライマー。
02年秋、ヒマラヤのギャチュンカン北壁単独登頂に成功したが、その帰路、雪崩に遭い、
両手と右足の指計10本、妙子さんは手足の指全てを失う。
その後もトレーニングを重ね、05年7月ポタラ北壁完登。
2人の住む奥多摩では近くの氷川屏風岩などでのトレーニングの他、
家の天井や梁にも多くのホールドを取付け、山に浸りきりのシンプルな暮らしをしている。
- 登る山と対峙したときに、自然に集中できるようでなければ、その山を登るのはやめたほうがいいかもしれない。
- 山登りっていうものを知ったときから、ずっと発狂状態みたいな感じなんだよね。
- 登ること、生きること、同じです。同じだけども、なんか生きることっていうと生活の匂いを感じるでしょ。ないね、オレには。
- 登ること=呼吸すること、心臓を動かすことに近いかな。
- 足りないのではと思うくらい大胆に荷物を減らせば、スピードはあがるし、大自然を強く感じられる。エキスパートになるにしたがい、体につけるものは少なくすべき。
- 山では寝なくて大丈夫。3日間ぐらいならば、普通に行動できる。
- 5年先を考えないと、ステップアップしていけない。
- 怖さを忘れて鈍感になる事はきわめて危険。
- ソロクライマーは100%近く死んでいるけど、それはいつもひとりで登っているから。楽しい登山もないと寿命が延びない。
永守重信さん (1944年〜)
HDD用モーターで世界シェア7割、ipodにも採用される日本電産の社長。京都府生まれ。職業訓練大学校電気科卒。28才で日本電産設立。元日の午前以外、毎朝6:30に出社し365日仕事。再建した会社28社。
M&Aでグループ110社、従業員8万人。連結売上4800億、経常利益500億。
再建先では事業切捨ても人員削減もしない漢方薬療法(大規模なリストラという外科手術が西洋療法)で、6S(整理、整頓、清潔、清掃、しつけ、作法)を徹底。
ポケットマネーの食事会で1年かけて全社員と対話する。社員のモラルが高まり、欠勤率大幅ダウン、稼働率アップ。
- 人間の能力にそれほどの差はない、せいぜい5倍や。けど、意識の差は100倍ある。一流大学出身者なんかいらない、働くことに意識の高い人間こそが一番いいんだと。
- すぐやる。必ずやる。出来るまでやる...「ノー」の連発からは何も生まれない。常に前向きな姿勢を持ってこそ、すばらしい成果が待っている。
- 一日24時間という時間はすべての人間に平等に与えられている条件。これをどう使うかで、勝負が決まる。
- 成長の陰には必ずハードワーキングがある。ソフトワーキングで成長している企業はない
- 僕のことを再建屋などと世間は持ち上げてくれるが、小難しいことをしているわけではない。僕が再建先の企業に言うのは二つだけ。
「会社に休まずに来て欲しい」「整理、整頓、清掃をきっちりやって欲しい」ということだけ。僕が変えるのは従業員の意識なのです。
- 従業員の意識を変えるのは経営者にとって一番エネルギーが必要でしんどいこと。
- ダメな社員は首にしろという人がいる。でもわれわれは能力がないからといって首にはしない。たとえダメな人でも少しでも上げてやりたいから。ただ、怠け者は辞めてもらう。
- 執念という言葉は非常に大切な言葉ではないでしょうか。今の経営者、従業員、それに技術者にしても、執念をもつ人間が少なくなった。やると決めたら絶対にあきらめたらアカンのです。
もう一歩、もう一回。この「もう一回の執念」を忘れている。成功するかしないかは執念の差なんです。
- 企業の発展を担うのは、たった一人の天才ではない。ガンバリズムをもった協調性のある凡才の絆こそ、組織の原動力である。
- 経営というものは、結局は数字がものをいう。いくら立派な理論、すばらしい表現であっても、数字という裏打ちのない机上論であれば、それは犬の遠吠えに過ぎない。
- 企業は存在するかぎり、常に成長を続けなければならないし、成長なしに企業の活性化は図れない。
- 仕事が達成できない理由に「人が足りない」からというのが口グセになっている幹部がいる。そういう部門をよく観察すると一番教育ができていないし、工夫も不足している。
- 仕事を任せるということは、常に進捗の状況と内容のチェックが行われていなければならない。それがなければ放置である。
- 地位や権力で人を動かすことは良策ではない。自ら実力をつけて範を示し、人を動かすことに全力をあげねばならない。
- チャレンジのないところから決して成功は生まれない。何もしない者より、何かをしようとした者を応援する。そんな社員に拍手を送る会社であり、経営者でありたい。
- リーダーの強さがそのグループの勝負を決する。すなわち、1匹の狼のリーダーを持つ49匹の羊の軍団と1匹の羊のリーダーを持つ49匹の狼の軍団が戦えば、勝つのは1匹の狼のリーダーを持つ軍団である。
永守重信さんの本
ジェームズ・ラブロックさん(1919年〜)
英の生物物理学者。地球は一つの生命体という「GAIA(ガイア)理論」の提唱者。ガスクロマトグラフでハロゲン化合物を検出する電子捕獲型検出器(ECD)を発明し、DDTやPCB・フロンが地球全体に広がっていることを明らかにした。
- 地球は火星や金星などと大きく異なって、単なる岩石の塊のような存在ではなく、自らが生き続けようとする生命力を持っています。
決定的な違いは大気の成分ですが、40億年もの間、地球だけが20数%の酸素を維持し続けているのです。
この酸素量がわずかに変化しただけで地球上の生物は決定的な打撃を受けますが、長い地球上の歴史の中で、
どのような気象変化や変動が起きても、酸素量は神業のようにバランスを保ち続けてきました。
- 隕石が落ちるとか、気温が下がって氷河期に入るなどの激しい変動にも十分に耐え生き延びてきたのです。
おそらく、地球上のすべての生命が大きな自己調節システムのような働きに関与し、生命の流れを維持するように存在しているのです。
- 森の木も水も、動物も昆虫も、生物として人間の仲間であることを体で分かるには、子供時代の経験が非常に大切です。
都会にいて机上の学習をする時間を削り、子供を森や川や海へ連れていく努力をいとわないで欲しい。
- 環境への配慮ができる成人を育て、人間が地球を支配したり、コントロールしたりするのではないと体で分かる存在を送り出してください。
人間が生命体として自然の一部であることを知れば、子供は直感で、していいことと、してはいけないことを判断していきます。
- 60億人を超える人間が、これからも共に生きぬくことを考えなければならないのです。産業文明は人類の糧です。しかも自己改革を続け、汚染を出さない低消費構造の謙虚な文明の必要に目覚めています。
感情的にならず、昔はずっとよかったなどと懐古的にならず、そしてすぐに何とかしようなどと短絡的にならないで欲しい。
しかし、向かう方向を間違えてはならない。
ガイアシンフォニー
森繁久弥さん (1913年〜)
軽妙洒脱、演技か本当かわからないおちゃめなボケ老人。「三等重役」「社長シリーズ」「駅前シリーズ」「夫婦善哉」「警察日記」「恍惚の人」など280本以上の映画に出演。900回上演の「屋根の上のヴァイオリン弾き」。映画賞、紫綬褒章、文化勲章など受賞多数。
「もののけ姫」の声優も。
大阪の名家出身、早大で演劇に凝り、中退して東宝入社。日劇、東宝歌舞伎、古川ロッパ一座と移り、徴兵検査不合格。39年NHKアナとして旧満州に。
戦後の47年映画デビュー。TVドラマ「七人の孫」「だいこんの花」、ミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」、57年から続くラジオ「日曜名作座」。
森繁節といわれる歌も60年作詞作曲の「知床旅情」でも有名に。63年伴淳などと「あゆみの箱」募金活動開始。
- 夢を見て、夢に追いつき、夢を追い越せ。
- チャップリンに、「あなたの最大の傑作は何ですか?」って聞いたらね、「ネクスト・ワン」ってね(笑)。洒落てるでしょ。
僕もその時に、ネクストワンをしっかりやらないといけないと思ったなぁ。
- 映画とはデタラメとウソの積み重ねだが、その中に小さな真実を見つけて、良い映画と言う。
- 僕は芝居をする時にあまり気負わないんだ。「いよいよやるぞ!」というのはないね。ただスーッと舞台に出て芝居をやる。
その中に何か一つでも光るものがあればいいと思うんだ。
- 故向田邦子さんの石碑にある献辞
「花ひらき、はな香る。花こぼれ、なほ薫る。」
- 縁側という一見ムダな空間が日本の文化です。心の周りに縁側のない現代人が増えました。
- 私たちを燃料とすれば、お客さまはウチワです。
- 一つとせ、ヒドイところに毛がはえた...五つとせ...までで文句が思い出せなくなった。
伝授してくれた三木のり平さんもいないし、どなたかご教示してほしい。
- 86才にもなるともうお友達がいませんね。女性は今でも好きですが「何か」が起こる力はないですね。
- 美人看護婦さんに囲まれて非常に嬉しかった。入院中はお風呂に入れないからね。私を素っ裸にして全部ふいてくれるんですよ。これが本当に楽しいんですね。ボクもちゃんとふいてくださいって頼んじゃいました。
森繁久弥さんの本
サモアの酋長ツイアビさん
100年前、ヨーロッパを旅した酋長が、島人に語ったのをまとめたとされる書「パパラギ(白人)」から
- 丸い金属と強い紙。彼らが「お金」と呼んでいるもの。これがパパラギ(以下、白人)の神さまだ。
あの国ではお金なしには生きてゆけない。日の出から日の入りまで。
- 白人の世界では、人間の重さをはかるのは気高さや勇気や心の輝きではなく、
一日にどのくらいお金を作るか、どのくらいお金を箱にしまっているかなのだ
- みんなの目を金持ちの紳士とくらべてみよう。彼らの目はかすみ、しょぼしょぼとしているが、みんなの目は太陽のように輝いている。
喜びに、力に、命に、そして健康にあふれて輝いている。みんなのような目は、白人の国では子どもだけしか持っていない。
- 私たちの島のやりかたはそうではない。もてなしをしたからといって何かを要求したり、何かをしてやったから贈り物をほしがるような人間を、私たちは軽蔑する。
この立派な慣わしを大切にしよう。ひとりの人間がたくさん持っていて、その他の人びとは何もない、というようなことを私たちは許さない。
その慣わしを大切にしよう。そうすれば私たちは、隣のきょうだいが悲しがっているのを見て、嬉しそうにしていられる白人のような心にならずにすむのだ。
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パパラギ
はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集。豊かな精神性と誠実な人柄。人間の幸せは。
立風書房 ¥840
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ネイティブアメリカン(米先住民、旧名インディアン)の教え
まだ200〜100年前のこと。白人を友人と見なして、食料や土地を分け与えたのに、逆に騙され、虐殺され続け、遠く離れた荒れた土地に移住隔離され、1千万人いた内の95%近くが亡くなりました。我々と祖先を同じくするモンゴロイドです。
ドロシー・ロー・ノルトさんの本
貴乃花さん
数々の最年少記録を持ち、優勝22回の第65代横綱。兄若乃花との「若貴ブーム」で相撲界の人気を引き上げた。形の美しい横綱だったが、96年背中負傷、01年右膝半月板損傷から体調を崩した。
- 相撲とは...日本人の心だと思います。
- いつも頑張らなくてはいけない。相撲を取ることが私の命。それがなければ何もない。
- 敵は自分の中にいますよ、何事においても。
- 横綱の名を汚さぬよう、不撓不屈(ふとうふくつ)の精神で相撲道に不惜身命(ふしゃくしんみょう)を貫きます。
- この世界に入った時、十両に上れればいいという思いだった。
それが横綱にまでさせていただいて。相撲を愛したことが自分の誇りです。
- (部屋入門時に)
これからはおかみさんと呼ぶけど、心の中ではずっとママです。きっと立派になるから元気でいて。
オシム監督(1941年〜)
イビチャ・オシム。Ivica Osim, Ивица Осим。
サラエボ(ボスニア・ヘルツェゴビナ)生まれ。
64年東京五輪に旧ユーゴ代表で出場。
フランスなどでプレーし、12年の選手生活でイエローカード無し。
86年旧ユーゴ代表監督就任、90年イタリアW杯ベスト8。
そのW杯でオシム監督はバランスを考え、
ストイコビッチなどスター選手全員の同時起用は避けたかったが、
世論や政治圧力を考慮して、初戦にわざと全員使い、結果惨敗。
以後は何人か外して勝ち上がり、準々決でマラドーナのアルゼンチンとスコアレスドロー、PKで敗れる。
その後オーストリアなどクラブチーム監督を経て、
03年ジェフ市原(千葉)監督に就任。降格寸前のチームを建て直し、05年ナビスコ杯優勝。
そのコメントはオシム語録として有名だが、未熟な記者は時にからかわれる。
千葉の祖母井GMとは厚い信頼関係にある。身長191cm、心臓に問題を抱え、体調がやや心配。
- 問題は、日本人が早く判断する能力を持っているかどうかではなく、
早く自分で考えることが一般社会で許されているのかどうかだ。そういう習慣があるのだろうか。
- サッカーはピッチで指示を待ち続けていたら負けてしまう。私が何を言うか待っているような選手はいらない。
サッカーは自分でプレーするスポーツで、タイムを取って監督の指示を仰いだり、ピンチヒッターやピンチランナーを投入して局面を変えるようなことはできない。
サッカーは自分で判断しなければならない。アイデアのない選手はサッカーに向いていない。
- 今日唯一良かったことは、最低のプレーをした選手が全員だったということだ。
- ライオンに追われた野ウサギが逃げ出すときに、肉離れを起こしたりしない。
- 練習はつらいけど、サッカー人生は短いよ。
- やったことが返ってくるのが人生というもの。もっと走るべきだし、タイトにプレーすべきだ。全てが返ってくるのだからやらなくてはいけない。
- 休みから学ぶものはなにもない。
- スローインを有利な状況と思ってはいけない。スローインの瞬間、ピッチ上は数的不利にある。
- 君たちは何か勘違いをしている。自分だけが良い生活をして、良い車に乗っていれば良いということは絶対にない。
サポーター・街・市原市・千葉市のためにも最高のプレーをみせないでどうする。
- 巻には何もいうことはない。巻はジダンになれない。だけど、ジダンにないものを持っている
- ゲームに負けることはある。ただ負けるにしても自分たちのプレーをやりきって負けるのと、そうでないのでは大きな違いだ。
- ナビスコカップ優勝で多くの花束が届いたが、それはすでに枯れた。ナビスコカップ優勝は終わったことなのだ。
- リスクを犯すのはボールを相手のエリア近くに運んだときに犯すもので、自陣で犯すのは間違っている。
- 遅い、すべてが遅い。考えるのも、走るのも、スローインもだ。まったく何もやっていない。危険なプレーも全然できていない。まずは、全員でしっかりと全力でプレーしよう。目を覚ませ。
- 選手が何かを学ぶなら、勝ったときより負けたとき、敗北から学ぶことが本当に大きい。勝つことからは学べないことがある。
- 攻撃的ないいサッカーをしようとする。それはいい家を建てようとするのと同じ意味。
ただ、それを壊すのは簡単です。戦術的なファウルをしたり、引いて守ったりして、相手のいいプレーをブチ壊せばいい。
作り上げる、つまり攻めることは難しい。でもね、作り上げることのほうがいい人生でしょう。
- うまくいくときもダメなときがあるもんだよ。采配が全部当たるなら、カジノに行くし、競馬にもチャレンジしているよ。
- 限界には、限界はありません。限界の定義は何だと思いますか。限界は個々の選手の目標で、限界を超えれば、次の限界が生まれるのです。
- 大事なことは、昨日どうだったか、明日どうかではなく、一日一日を大切にすること。
- 練習でできなかったことがゲームで出来るようになるはずがない。人生も同じ。日々の生活でのことが重要なときに必ず出てしまうものだ。
- 試合というものは、勝ちたいという意識が強いチームが勝つものだ。
- 日本人は平均的な地位、中間に甘んじるきらいがある。野心に欠ける。これは危険なメンタリティだ。
大平光代さん(1965年〜)
中学時代にいじめで割腹自殺未遂、学校に復帰するも誹謗中傷され、美容学校合格も担任や母にほめてもらえずに暴走族入り。
16才で極道の妻になり背中に刺青。22才で養父の大平さんと出会って立ち直り、「宅建」「司法書士」と合格し、29才で「司法試験」に一発合格。現在大阪市助役。
- できると思うことからはじめれば、行動と結果はついてくると思っています。
- 弁護士になろうと思ったのは、非行少年の先輩として、私ならこの子たちのために何かできるのではないかと思ったからです。
でも実際に子どもたちと接してみて、それは思い上がりだったと痛感しています。
- 絶対に自殺はしないでほしい。死んでも地獄、運よく助かっても立ち直るまでは地獄。
あなたの今現在の苦しみや悲しみは永遠のものではなく、いつかきっと解決する。
- 家庭や学校や世間に対する怒りや不満を、道を踏み外すことで解消しようとしても、
それは全部自分に跳ね返ってくる。自分がしたことの何倍にもなって。自分の人生も他人の人生も大切にしてほしい。
大平光代さんの本
利休・茶のおもてなし
日本文化の一つに「茶の湯」があります。湯を沸かして茶をたてて飲む。それだけのことですが、400年を超える中で、「侘び」「寂び」と共にお茶を一番美味しく味わってもらうための「もてなしの心」を追求し、受け継いできました。
おもてなしは小売業やサービス業にも共通するものです。客層や店のタイプによって対応は異なりますが、長い歴史の茶の湯から接客のヒントを学んでみましょう。
●お客様の心をわが心とすること
- 基本はこれです。楽しさや喜びは自分だけで満足しているより、共に分かち合える人がいたほうが、大きく、充実感を得られます。
- お客様が何をもとめ、どうして欲しいのかを感じて対応します。気働きするのは当り前で、自分のやり方や考え方を相手に押し付けるのではありません。
- 間違っても「どうだ」とお客様に見せつけるようなサービスでなく、あくまでもさりげなく、心づかいのある気働きです。
- 押し付けがましくない優しさ、いつまでも包み込んでくれるような居心地の良さ、心の奥がほのぼのとあたたまる感じを目指します。
●一期一会
- 有名な言葉ですが、「一生にただ一度限りの出会いと思い、そのひとときを最大限に充実させ楽しむため、心の全てをつくすこと」です。
- 一期一会であるひとときを可能なかぎり充実させようという意欲を持ち、お客様とのその時間を楽しいひとときにしようとする気持で、お客様を楽しませ、自分も嬉しくなれれば最高です。
- 楽しんでサービスできれば笑顔も自然にでます。形だけ顔だけで笑うのは無理があります。
●相手を活かす
- 茶室の入口は「にじり口」という60cm四方程のごく狭いもので、身をかがめ、頭を下げなくては入れません。茶室では肩書きや身分の上下を取り払い、対等な一人の人間として向き合う、お互いに敬意を持って相手に接しようという意味があるようです。
茶室の亭主と客が互いに相手を活かそうとすることで、良い雰囲気を作り出します。
- 相手を踏みにじって自分が良い思いをするのでなく、かといって相手を活かすために自分を犠牲にするのでもなく、相手が望むものを与えながら、結果として自分も欲しいものを手に入れる。そんなふれあいを目指します。
- 「和敬静寂」という言葉もあります。「茶道は和みの世界をつくり、人を敬い、物事に動じない心を生み出していくこと」とし、「もてなし」と「しつらい」の美学ともいいます。しつらいは準備を整えることです。お店でいうとクレンリネスに当たるのでしょうか。
●余情残心
- 「素晴らしいひとときを過ごせて良かったとしみじみ思える余韻や風趣」のことで、好印象を残して、終わることを目指します。
- 居合せる人の心が一つになって、はじめて湧きあがる気持ですから、スタッフ全員、お店全体でお客様への暖かいおもてなしを目指します。
- もちろん、気分良く帰ってもらえば、お店のリピーターになってもらえますし、口コミもしてくれます。
●目にも見よ、耳にもふれよ、香を嗅ぎて、ことを問いつつ、よく合点せよ
- 利休が茶道の心がまえを句にした「利休百首」の一つです。お茶を最もおいしく賞味していただくために、どのように入れ、どのようにおすすめするか、舌だけでなく、目も、耳も、鼻も五感全部を使って、おいしいお茶を入れます。
- 接客でもお客様が急いでいるのか、疲れているのかなど、五感とカンを働かせて、表情や会話から口にださない心情を瞬間的に察して、応対します。
●守・破・離
- これも利休百首の一つで、「規矩作法守りつくして破るとも、離るるとても、もとを忘るな」からきています。
- 「守る」は形ばかりの点前にしばられていること
- 「破る」は規則を守りつつ、そこから一歩出た状態で、その場に応じた臨機応変の作意ができること
- 「離れる」は名人の領域で、一見、法則に合致しないようでありながら、きちんと法にかなっていることです。
- マニュアルに書いてあることだけするのが「守り」、マニュアル以外のサービスも出来るのが「破る」、個性を出しながら自由自在に接客出来、お客様からは絶大な信頼を得られる人が「離れる」でしょうか。
●日々是好日
- 「一日一日を良き日と感じる」ことです。
- 何となく日々を過ごして、だんだん自信が無くなって、どうせ自分はダメだと虚しくなるのでなく、今を大切にし、どの瞬間も充実していると感じることです。
- 今を良い瞬間と感じるのは本人、その人です。100%の満足を得られたときだけを良い瞬間と感じるのはとても危険です。だいたい100%の満足を得ることなどまずありませんから。
- 今の一瞬をどうすれば、最も充実できるか、真剣に考え、結果については良いなら良いなりに、悪いなら悪いなりに満足を見つけ、次がより充実するようにしていきます。
- リピーターを増やすには、決まったマニュアルを実行するだけでなく、お客様一人一人に合わせたおもてなしがキーポイントです。お客様一人一人みんな事情も好みも違いますから、バリエーションに富んだ対応が必要です。
- ある老舗の主人は「まずはお客様の気持に溶け込むことで、お客様の気分についていき、お買い物の相談相手になること。お客様の好みによって、いかようにも変えること。」と言っています。
お客様の喜んだ顔や満足そうな表情を目標にし、さりげなく自分の出来る範囲で対応していきましょう。
- 余談ですが、紅茶の本場イギリスでも17世紀の始めに日本から緑茶を入れたのがお茶のスタートです。その後100年ほどは紅茶でなく緑茶で、それに砂糖やミルクを入れて飲んでいました。
尊敬するバッグブランド「Bスタッフ」の角田さんは、ごく自然に実践しています。優しい方ですがすごいなあ。
マザー・テレサさん(1910〜1997年)
現在のマケドニアで、アルバニア人の家に生まれる。ボランティアを続ける母を幼い頃から手伝い、
18才でアイルランドのロレッタ修道会に入会。シスターとなり、テレサと改名。
40才でインドに帰化。インドのカルカッタに修道会を創立し、
最も貧しい人々や重病患者に尽くし「現代の聖女」と呼ばれた。97年永眠し、インドで国葬された。
- 平和は微笑みから始まります。1日5回あなたが本当は笑顔を見せたくない人に微笑みかけなさい。
それを平和のためにするのです。
- 貧しい人たちはね、お金を恵まれるよりも食べ物をあたえられるよりも、
なによりもまず自分の気持ちを聞いてほしいと望んでいるのよ。実際には何もいわないし、声も出ないけれどもね。
- たいせつなのはどれだけたくさんのことをしたかではなく、どれだけ心を込めたかです。
- 無理なことを、どうこう思い悩むのは無駄なことです。出来ないことは神様がお望みでないのだと思いなさい。
- 微笑み、触れ合いを忘れた人がいます。これはとても大きな貧困です。
- 善い行いをしても、おそらく次の日には忘れ去られるでしょう。気にすることなく、し続けなさい。
あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたといわれるでしょう。気にすることなく善を行いなさい。
助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。気にすることなく、助け続けなさい。
あなたの正直さと誠実さが、あなたを傷つけるでしょう。気にすることなく、し続けなさい。
- 人間にとっていちばんひどい病気は、だれからも必要とされていないと感じることです。
マザーテレサ マザー・テレサさんの本
「男はつらいよ」の寅さん。第39作より
昔ながらの下町映画は無くなってしまいましたね。
満男
「人間は何のために生きているのかな」
寅次郎
「何て言うかな。ほらっ。あ〜、生まれてきて良かったって思うことが何べんかあるだろう」
「そのために人間生きてんじゃねえのかな」
柴又帝釈天 男はつらいよのDVD
ゆうこりん(小倉優子)
千葉出身の女性タレント。波田陽区に「キャラを計算しているのがバレバレ」だと斬られたが...
- 中学生の頃から『自分は「こりん星」という星からやってきた「りんごももか姫」だ』と
- 将来は、お城に住んでて、ギリギリの生活をしてる人と結婚したい
- 総理大臣になったら、役所をなくしたい
- 王子様に連れさられたい
マハトマ・ガンジーさん (1869〜1948年)
インドの統一と独立、世界平和のために生命を掛け、非暴力の思想は世界中の植民地解放や人権運動、
又、トルストイ、ロマン・ロラン、チャップリンなどにも影響を与えた。狂信的なヒンズー教徒に暗殺された。
13才で結婚、16才の時、妻との営みにふけって父の死に立ち会えなかった。
18才で、酒・女・肉食を断つ誓いをし、ヨーロッパに留学。南アフリカでの人種差別体験が人生の転機となる。
37才でヒンズー教の禁欲生活の誓いを立て、指導者として生活、9回投獄され、18回断食。
- 暴力は対抗的な暴力によって一掃されない。それは一層大きな暴力を引き起こしてきただけである。けれども私は非暴力ははるかに暴力にまさることを、敵を赦すことは敵を罰するより雄々しいことを信じている。
- 非暴力は決して弱者の武器として思いついたものではなく、この上もなく雄々しい心を持つ人の武器として思いついたものなのです。
- 非暴力の社会を実現するのには100年、200年の年月が必要かもしれないが、だからといってそれに向かって努力するのを諦める必要はない。
- 明日死んでしまうかのように生きろ。永遠に生きるかのように学べ。
- 良心に関しては、多数決の法則は当てはまらない。
- 競争ではない、協力こそ人間本来の生き方である。
- 世界に変化を望むのであれば、自らがその変化になれ。
マハトマ・ガンジーさんの本
「あたりまえだけどとても大切なこと」(ロン・クラーク)
2004年のベストセラー。米ノースカロライナ州出身の教師。大学卒業後、各地で冒険、その後ハーレム地区の学校などで成果をあげ、2001年ディズニーの賞!を受賞。
子供向けだけどそのほとんどは基本的な社会ルール。自戒も含めて、若い方へ
- 大人の質問には礼儀正しく答えよう
- 相手の目を見て話そう
- 誰かがすばらしいことをしたら、拍手をしよう
- 人の意見や考え方を尊重しよう
- 勝っても自慢しない、負けても怒ったりしない
- 誰かに質問されたら、お返しの質問をしよう
- 口をふさいで咳やくしゃみをしよう
- 何かをもらったら3秒以内にお礼をいおう
- もらったプレゼントに文句をいわない
- 意外な親切でびっくりさせよう
- 人の成績をいいふらさない
- 人が読んでいるところを目で追うこと
- 質問には完全な文章で答えよう
- 自分から褒美を要求してはいけない
- 宿題は必ず提出しよう
- 教科の切りかえはすばやく
- できるかぎり整理整頓をしよう
- 宿題に文句をいわない
- 代理の先生の授業でもルールを守ろう
- 授業中は許可なく席を立たない
- 先生に挨拶しよう
- お客さまを歓迎しよう
- 誰であれ、仲間はずれにしない
- 叱られている人のほうを見ない
- 宿題の内容についての質問をしよう
- きれいにあとかたづけをしよう
- バスのなかではおとなしく座っていよう
- 人の名前をしっかりおぼえよう
- 食べ物を欲張って取らない
- 誰かが何かを落としたら、拾ってあげよう
- 次の人のためにドアを押さえていよう
- 誰かとぶつかったらあやまろう
- 公共の建物に入るときはおしゃべりをしない
- 訪問先では何かをほめよう
- 集会ではおしゃべりをしない
- 電話の応対はきちんとしよう
- お世話になった人にはお礼をいおう
- エスカレーターでは左(右)側に立とう
- 全員で廊下を歩く時にはおしゃべりしない
- 横入り(割込み)をしてはいけない
- 映画館では絶対におしゃべりしない
- 学校にスナック菓子を持ってこない
- もしいじめられたら知らせてほしい
- 信じるもののために立ち上がろう
- 前向きに生きて、人生を楽しもう
- したいことがあるなら、やってみよう
- まちがいを受け入れよう
- いつも正直でいよう
- 現在を楽しもう
- きみのなれる最もすばらしい人間になれ
黒板五郎さん(北の国から)
ゆったりとした、でも凝縮された時間で、21年間、毎回ジーンとさせられました。
田中邦衛さん=五郎さんになってしまいましたね。
麓郷の森の丸太小屋の入口に掛かっています
灯は
小さくても
いつも
あったかい
ゴミや畑から掘り出された石でも、家をつくりましたね
物がこんなに捨てられて行くなら
オイラ、拾ってきて生き返らせてやる
だって絶対失礼じゃねえか
捨てられちまう
そう言うものに
それを懸命に作った方々に
あんたの親爺さんが汗水たらして作ったものを
あんた
簡単に捨てられるか
え
最終作「遺言」
金なんか望むな。幸せだけを見ろ。
ここには何もないが、自然だけはある。
自然はお前らを死なない程度には充分、毎年食わしてくれる。
自然から頂戴しろ。
そして謙虚に、
つつましく生きろ...
北の国からのDVD
倉本聰さん
富良野塾を作られた時の言葉です
あなたは文明に麻痺していませんか
石油と水はどっちが大事ですか
車と足はどっちが大事ですか
批評と創造はどっちが大事ですか
あなたは感動を忘れていませんか
あなたは結局何のかのと云いながら
わが世の春を謳歌していませんか
ドラマ「優しい時間」から
森の時計はゆっくり時を刻む
富良野観光協会 倉本聰さんのDVD
永六輔さん
永六輔さんがお父さんからの教えを詩にしました
- 生きているということは
誰かに借りをつくること
生きてゆくということは
その借りを返してゆくこと
職人さんの言葉を集めた「職人」から
- 人間出世したか、しないかではありません。卑しいか、卑しくないかです。
- 職業に貴賤はないと思うけど、生き方に貴賤はありますねえ。
- おいっ、若いのっ。何もできなくっていいから、せめて、元気のいい返事ができねえか。
- 子供は親の言うとおりに育つものじゃない。親のするとおりに育つんだ。
- メシ喰う暇があったり、ウンコする暇があったら、忙しいなんて言うもんじゃない。
- 女房褒めれば良く尽くす。亭主立てればよく稼ぐ。
- コラっ。あんまり勉強するとバカになっちゅうぞ。
- 値切るっていうのは品がないよ。高いと思ったら買わなきゃいいんだ。
モノづくり職人 永六輔さんの本
五木寛之さん(1932年〜)
小説家。福岡県八女市生まれ。「青春の門」、仏教を学んだ後の「日本人のこころ」など。
生後すぐ教師の両親と朝鮮へ渡り、ソウルや平壌で成長。ソ連軍侵攻と敗戦で母は死亡、米軍の難民キャンプにたどりつき、母の郷里八女に引き上げる。
52年早稲田露文に入学するが経済的に苦しく、父の葬儀にも帰れず、57年学費未納で中退。
業界誌や放送台本執筆、作詞などした後、65年仕事を整理してソ連北欧旅行。その後、元金沢市長の娘で精神科医の五木玲子氏と結婚し、金沢に移住。
執筆した「さらばモスクワ愚連隊」で小説現代新人賞受賞、「蒼ざめた馬を見よ」で直木賞。
以後、「青春の門」「朱鷺の墓」「四季・奈津子」「戒厳令の夜」、翻訳「かもめのジョナサン」、エッセイ「生きるヒント」「他力」など話題作を発表。
「日本人のこころ」シリーズで菊池寛賞。英版「TARIKI」は米の02年ブックオブザイヤーに。
81年より休筆、京都龍谷大で仏教史を学び、85年より執筆再開。現在、直木賞、泉鏡花文学賞、吉川英冶文学賞など選考委員をつとめ、横浜市在住。
- ずっとひとつの夢を抱きつづけて努力することは、たしかに奇跡みたいなことをよびおこすんだよなあ。
- 楽しいことは長続きする。好きなことは長続きする。気持ちのいいことは長続きする。そうでないことは、どんなに強制されても結局は続かない。
- よろこぶ、というのも一つの習慣じゃないでしょうか。それに習熟することが必要な気がするのです。
- 泣きながら生まれたきた人間が、笑いながら死ぬことはできないだろうか。
- 人が生きるということは苦しみの連続なのだ。
- 人生の目的の第一歩は、生きることである。
- 人間は誰でも自分がいちばん大切なのです。
自己を肯定し、自己を認めてやり、自己をはげまし、よろこばせること。
自分自身を囃し自分自身に相づちを上手に打てる。
- 自分の弱点を隠さないこと。欠点をごまかそうとしないこと。これだけでも大したことですよ。
肉体的な弱点でも、内面的なものでも、それを他人に気づかれまいと苦心するところから人間は醜くなるのです。
持っていないものを持っているふりをしようとするから、ぎこちなくなるのです。
- 晴れる時もあれば、曇りの日もある、雨の日もある。同じように私達の心の天気図はいつも変化していく。
そして心萎えるそのときこそ、生きていることの不条理、重さをすべり落とし、
また元に戻って春を待ち、生き続けていこうとしている人生の知恵がはたらいているときなんだと、
考えることはできないでしょうか。
- 喜ぶことも大事だけれども悲しむことも大事である。
希望をもつことも大事だけれども絶望することも大事である。
胸をはることも大事だけれどもまた深いため息をつくことも大事である。
- 何も言わずにそばにいて、相手の顔を見て、黙って相手の話を聞く。
言葉が出ないときはそっと相手の心に寄り添って笑っている。
そして、少しでも、自分の方に相手の苦しみが伝わってきますようにと心の中で願う。
そういう感情を悲というのです。
五木寛之さんの本
電通「鬼の十訓」、「広告戦略十訓」
積極性で言うなら今でも鬼の十訓が一番。4代目社長の吉田氏が制定し、60〜70年代の高度成長期に全国の会社で使われました。吉田氏はアメリカの広告手法を取り入れつつ、有力者子息の優先入社、社員の代議土秘書への送り込みなども駆使し、GHQや日本政府に太いパイプを作ったと言われます。「全力を尽くして、結果を出す」です。
- 仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない
- 仕事とは、先手、先手と働きかけていくことで、受身でやるものでない
- 大きな仕事に取り組め、小さな仕事は己を小さくする
- 難しい仕事を狙え、そしてそれを成し遂げるところに進歩がある
- 取り組んだら離すな、殺されても離すな、目的完遂までは
- 周囲を引きずり廻せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地の差が出来る
- 計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生れる
- 自信を持て、自信がないから君の仕事には迫力も粘りも、そして厚みすらない
- 頭は常に全回転、八方気を配って、一部の隙もあってはならぬ。サービスとはそのようなものだ
- 摩擦を恐れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ。でないと君は卑屈未練になる
「広告戦略十訓」は電通PRセンター初代社長の永田久光氏が1973年に発表。米社会学者パッカードのセールス9訓が元。当時としてはわかりやすく的確な正論だった。
今も通じる部分はあるが、環境への配慮がないと企業も危うい。
- もっと使わせろ
- 捨てさせろ
- ムダ使いさせろ
- 季節を忘れさせろ
- 贈り物にさせろ
- コンビナートで(関連づけて)使わせろ
- きっかけを投じろ
- 流行遅れにさせろ
- 気易く買わせろ
- 混乱をつくりだせ
五輪書(宮本武蔵さん 1584頃〜1645)
小次郎との巌流島の決闘など、13才から60数戦無敗と言われる剣豪武蔵による外国でも有名な兵法書。戦略の書では孫氏が、戦術ではこの武蔵の書が最高峰と思われる。吉川英治の小説とコミック「バカボンド」で有名。
- 兵法において、心の持ち方は「常の心」と変わってはならない。
常も戦いの時も少しも変わることなく、
心を広く真っ直ぐにし、緊張しすぎず、少しもたるまず、
心が偏らないように、心を真ん中に置き、心を静かにゆるがせ、
ゆるぎやまないよう充分に注意するべし。
動作が静かな時も心は静かではなく、
動作が速い時も心は速くではなく、
心が体に連れず、体は心に連れず、
心に用心して、体には用心せず、
心が不足することなく、心を少しも余らせず、
表面の心が弱くても、真の心を強く、
心を見破られないようにして、
弱者は良いイメージを浮かべ、
強者は細かいことにも気をつけ、
強者も弱者も心を真っ直ぐにして、
自分を過大評価しないことが大切である。
- 姿勢は顔は俯かず、仰向かず、曲げず、目をむかず、額に皺をよせず、
眉間に皺をよせて目玉が動かないようにし、瞬きせず、目をやや細め、おだやかな顔で。
鼻筋は真っ直ぐに、少しアゴを出す気持ちで、
首は後ろの筋を真っ直ぐにして力をいれ、両肩を下げ、背筋をまっすぐにし、
尻を出さず、ひざから足先まで力を入れ、腰が曲がらないように腹を張り、
楔(くさび)をしめるように、脇差の鞘に腹を持たせ、
帯がゆるすぎないようにするのが基本といわれている。
- 正しい道を、自分が極めようとしっかり決意し、
朝に鍛え、夕に練り、技を磨き尽くした後に、
人は自由自在の神秘な力を持つことができるようになる。
- 敵が仕掛けてきた時、
効果のないことは敵のするままに任せ、
効果的なだけ見極め、それを敵にさせない様にするのが大切である。
敵のすることを抑えよう抑えようと思うのでは後手になる。
- 一対一の戦いで敵が打ってくる太刀を受けていては勝負のはかがいかない。
敵が打ち掛ける太刀を踏みつける気概で、先制攻撃で勝ち、二の太刀など許さないようにすべし。
踏むというのは、足にはかぎらず、身にても踏み、こころにても踏み、
勿論太刀にても踏み付け、二の太刀などさせないように心得るべし。
- 戦う時に同じことをたびたび繰り返すことはない。
同じことを二度繰り返すのは仕方がないが、三度してはならない。
一度で成功しない時に、もう一度攻めてもその効果はなくなる。
全く違ったやり方を敵の意表をついて仕掛け、
それでもうまくいかなければ、さらにまた別の方法を仕掛けよ。
- 身も心もまっすぐにして、敵をひるませ、ゆがめて、
平静さを失ったところで勝つ。
このように思う事が肝心なのである。
- 見方には観と見の二通りある。
「観」で敵の心と場所の状況を見、大きな「見」で戦いの流れと強弱を見れば、
正しく勝つことができる。
全日本剣道連盟 宮本武蔵さんの本
マキャベリさん(1469〜1527年)
政治軍事学者。伊フィレンツェの貴族出身で、国家利益の為なら非道徳的行為も許されるとするマキャベリズムを生んだ。
メディチ家が追放された後のフィレンツェで、軍事・外交を担当し、
同盟国フランスや、神聖ローマ帝国との交渉をした。
当時の傭兵に代えて彼が創設した周辺農民による軍隊が活躍して名を上げた。
メディチ家の復帰により投獄されたが、許しを得、1513年「君主論」を発表。
権謀術策、君主に対する恐怖心、残忍な行為の有用さなども説いた。
他に「ローマ史論」「戦術論」、メディチ家に依頼された「フィレンツェ史」など。
- 君主が人情・誠実・信仰心といった美徳を身につける必要はない。しかし、それらを備えているように見せかける必要はある。
獅子の勇猛さと狐の狡知を持った為政者こそが相応しい。
- 国家は、軍事力なしには存続不可能である。
- 完全無欠で何一つ欠陥のないような制度は、この世の中には存在しえない。
- 不正義はあっても秩序ある国家と、正義はあっても無秩序な国家のどちらを選べと言われたら、私は前者を選ぶであろう。
- 都市であろうと国家であろうと、規模の大きな共同体ならば、時が経つにつれて欠陥があらわれてくるのを避けることはできない。
- 困難な時代には、真の力量をそなえた人物が活躍するが、太平の世の中では、財の豊かな者や門閥にささえられた者が、わが世の春を謳歌することになる。
- 戦争しかする能のない者たちを常にかかえておくほど、為政者にとって危険なことはない。
- 人物を評価するに際して最も簡単で確実な方法は、その人物がどのような人々とつきあっているかをみることである。
- 軍の指揮官にとって、最も重要な資質は想像力である。
- やった後で後悔するほうが、やらないで後悔するよりもずっとましだ。
- 天国へ行くのに最も有効な方法は、地獄へ行く道を熟知することである。
マキャベリさんの本
お釈迦様
仏教の創始者。仏陀、釈尊、ゴータマ・シッダールタなど色々な名前で呼ばれる約2500年前の偉人。
仏教は2500年の間に他の宗教や国家権力、欲得、時代毎の生活環境など様々な影響を受け、
新興宗教も含めて、釈迦の教えとは大分離れてしまいました。なにせ2500年間ですからね。サンスクリット語に漢字の当て字したお経を日本で使うのも変ですよね。
時代と共に変化し「葬式&カウンセリングの巨大ビジネス」になったのは他の宗教・宗派も同じです。
釈迦の教えは「悟り(心の安らぎ)を得る」には、人生には苦しいことがたくさんあり(四苦八苦)、
その原因は物事の変化(諸行無常)などであることを理解(四諦)し、
その悩み(煩悩)を解決するには、正しい考え方や生活(八正道)をしなさい。」で、
「みんな大変なんだからさ、心を落ち着けて、ちゃんとしようよ」という簡単なものだと管理人は思うんですが。
その実行が大変というだけで(宗教の皆さんゴメンナサイ)。
2000年前に作られた大乗仏教系の「自己より他を優先」も、「正しい生活」の範囲内だしねえ。
「正しい生活をすると幸せ(心の安定)」というのは儒教を含め、どんな宗教も一緒かな。
宗教の目的は「心のやすらぎ」ですから、誰かに自分のことを聞いてもらって気持ちが落ち着くのも、
趣味や自然との触れ合い、友達や家族との団欒、ボランティアや奉仕活動なども、効果は同じです。
念仏や題目を唱えて救われるとか、禅で悟れるとか、本気で思っているお坊さんもまずいないでしょうし。
趣味や交友も含め、何でもいいから「そうすることで、心が落ち着くこと」が生活の中にあれば、それで充分に一種の悟りです。
- 「一切の事物は我ならざるものである」と明らかな知慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。
- 為すべきことであるならばそれを為すべきである。それを断乎として実行せよ。
- 先ず自分を正しくととのえ、次いで他人を教えよ。他人に教えるとおりに、自分でも行なえ。
- みずから自分を励ませ。
- 他人の過失を見るなかれ。他人のしたこととしなかったことを見るな。ただ自分のしたこととしなかったことだけを見よ。
- ひとは「われはこれこれのものである」と考えるそのとおりのものとなる。それと異なったものになることは、あり得ない。
- 沈黙している者も非難され、多く語る者も非難され、すこしく語る者も非難される。世に非難されない者はいない。
- すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。己が身をひきくらべて、殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ。
- たとえためになることを数多く語るにしても、それを実行しないならばその人は怠っているのである。
- どの方向に心でさがし求めてみても、自分よりもさらに愛しいものをどこにも見出さなかった。そのように、他人にとってもそれぞれの自己がいとしいのである。
- 子らは、すみかであり、妻は最上の友である。
- 親の義務とは、子を悪から遠ざけ、善に入らしめ、技能を習学させ、適当な妻を迎え、適当な時期に相続させることである。
- 人の価値とは、生まれや身分によるものではなく、清らかな行いによって決まる
- 足りないものは音をたてるが、満ち足りたものは静かである。
- 道を行きて、己よりも勝れたる者、または、己に等しき人に逢わずんば、むしろ、独り行きて誤るな。愚かなる者の友となるなかれ。
- 目的が達成されるまで、人は努めなければならぬ。自分の立てた目的がそのとおりに実現されるのを見よ。
- 準備してなすべきことをつねに準備している人を、なすべき時になすべき仕事が害うことはない。
- 「その報いはわたしには来ないであろう」とおもって、悪を軽んずるな。水が一滴ずつ滴りおちるならば、水瓶でもみたされるのである。
- 善をなすのを急げ。悪を心から退けよ。善をなすのにのろのろしたら、心は悪事をたのしむ。
- 実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てせば、ついに怨みのやむことがない。堪え忍ぶことによって、怨みはやむ。これは永遠の真理である。
- 「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した。」という思いをいだかない人には、ついに怨みがやむ。
- ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも清らかな心で話したり行なったりするならば、福楽はその人につき従う。
- まことであるものをまことであると知り、まことではないものをまことではないと見なす人は、正しき思いにしたがって、ついに真実に達する。
- もしも愚者が「われは愚かである」と知れば、すなわち賢者である。愚者でありながら、しかも自分は賢者だと思うものこそ、「愚者」と呼ばれる。
- 何でも取っていく友、言葉だけの友、甘言をかたる友、遊蕩の仲間、これらの四つは敵である。賢者は知って、かれらを遠ざけよ。あたかも恐ろしい道を避けるように。
- 世に母を敬うことは楽しい。また父を敬うことは楽しい。
- 母と父とは子らに対して多大のことをなし、育て、養い、この世を見せてくれた。
- 生き物を自ら害すべからず。また他人をして殺さしめてはいけない。また、他の人々が殺害するのを容認してはならない。
- 飲み友達なるものがある。きみよ、きみよと呼びかけて、親友であると自称する。しかし、事が生じたときに味方となってくれる人こそ、友だちなのである。
- 婦女の求めるところは、男性であり、心を向けるところは装飾品、化粧品であり、よりどころは子どもであり、執着するところは夫を独占することであり、究極の目標は支配権である。
- 世界はどこも、とどまってはいない。すべての方角も揺れ動いている。私は、安住の地を求め探したが、どこにもなかった。すべて、死や苦しみにとりつかれている所ばかりだった。殺そうとしている人々を見よ。武器をとって打とうとしたことから恐怖が起こった。すべてのものは、燃えている。欲望と怒りと愚かさによって。
- 五戒の実践が必要。殺さず、盗まず、嘘つかず、淫らならず、酒飲まず。
※死後の世界の有無、宇宙の有限無限、霊魂の不滅か否か、など形而上学的(存在論)なことは考える必要はないとしている(十四捨置記)。未来や過去より今なのだ。
※現在行われている、位牌・戒名・葬式・喪・忌などは仏教ではなく、儒教の習慣。
※死後7日毎の法要、1周忌、3回忌なども釈迦の仏教ではなく、バラモン教や原始儒教の影響。
※輪廻転生、六道、三途の川、閻魔もバラモン教の影響。地獄や極楽も釈迦とは無関係。密教の多くはバラモン教の影響です。
※法螺貝を吹く山伏は密教系の修験道。座禅の代わりに尺八を吹く虚無僧は禅宗の一派、普化宗。
全日本仏教会 釈尊さんの本
モーゼの十戒
モーゼ、又はモーセ、モイセイ。ヘブライ語でモシェ(Moshe)、イスラム教でムーサー。
旧約聖書の「出エジプト記」で、そのモーゼがシナイ山で神からユダヤ人に与えられたとされる10の戒律。
ユダヤだけでなく、キリスト教もこれに準拠している。もちろん守らない人の方が多いのだが。
モーゼはイスラム教のコーランでも偉大な預言者とされ、やはりシナイ山でユダヤ人への律法を神から授かったとされる。
ユダヤ教って、イスラエル政府や米中枢にいるネオコンの、強引さばかりが目立ちますが。
- 私以外を神としてはならない。
- 偶像を作ってはならない(カトリックではこの項を削除し、キリスト像を拝む)。
- 神の名をいたずらに取り上げてはならない。
- 安息日を守れ(ユダヤ教は土曜、キリスト教も本来は日曜でなく土曜)
- 父母を敬え。
- 殺人をしてはならない。
- 姦淫をしてはならない。
- 盗んではならない。
- 偽証してはならない。
- 隣人の家を欲してはならない。妻、奴隷、牛やろばなど隣人のものを欲してはならない。
極めて基本的なことですが、米のネオコン達(ラムズフェルドやウォルフウィッツ等)と、イスラエル政府は破りっぱなしです。
ちなみに「仏教の五戒」はやはりごく基本的な
- 殺さない。
- 盗まない。
- 淫らなことをしない(不倫しない)。
- 嘘をつかない。
- 酒を飲まない(飲みすぎない、とする場合も)。
逆に言えば、こういう社会の基本的なことが、人間はなかなか守れないから、
その戒めとして、何千年も言われるわけですよね。
人間としての理性で、本能である「欲望」をコントロールすることが、あるいは全員が守るということが、
いかに困難かということですね。残念ながら。
管理人
えらそうでスミマセン。自戒を込めて、この「お言葉」を読み直すんですが、みんなだいたい同じことをおっしゃってるような気がします。
後悔しないように、そして幸せになるように
- やりたいこと(仕事、趣味、対友人・恋人・家族)を一生懸命やってみる。
- やりたいことが特別なければ、自分の心地よいことを優先してやってみる。
- 周囲の方達にいつも優しい心で接しつつね。
- さらに社会全体や人類も意識にあればベターだ。と
みたいなことですかね。それで充実感が増し、気持ちも落ち着き、いずれ誰かのお役に立ち、
みんなの幸せが少し増えると...又、自分の心が満たされると。
老子さん
中国春秋時代(紀元前5C頃)の謎につつまれた思想家。孔子も一度教えを得たと言われる。
国を離れる時に関守に乞われて残した短い「道徳経」が唯一の書。「道」を唱え、荘子が継ぎ、二人の思想を合わせて「老荘思想」。
後に道教となる。
西欧で有名な東洋哲学は、この老子の「TAO(道)」と、鈴木大拙の伝えた「ZEN(禅)」の2つ。
「道」は森羅万象を貫く宇宙の根源、大法則、名前すらない「無」とし、
宇宙では人間の行いは無力であって、他と争わず、優しく、自然の道に従って生きる事を理想とした。
元本も約5千字のコンパクトなものですが、さらに集約したエッセンスが以下の「老子の十徳」です。
- 有無相生...有無相い生じ。醜があるから美がある。善悪、美醜を隔てない。
- 不争.....決して争わない。
- 和光同塵...その光を和し、その塵に同じくす。わこうどうじん。名誉を求めない。才知は見せびらかさずに、謙虚に俗世と同調する。
- 上善如水...謙虚に生きる。お酒の名前にもなっていますね。
最上の善とは水のようにあらゆるものに利益を与え、争わない..柔軟で、謙虚で、正しい..
- 為腹不為目..腹の為にし、目の為にせず。自らの生命を養う。
- 無物之象...見えないものを信じる。
- 絶学無憂...学を絶てば憂いなし。知識より意識を大切にする。
- 曲則全....曲なれば則ち全(まった)し。間違っていたら直す。理想を人に押しつけない。
- 知者不言...知る者は言わず、言う者は知らず。教育を押しつけない。
- 天網恢恢...生命の法則によって生きる。「天網恢恢、疎而不漏(てんもうかいかい、そにしてもらさず)」と続き、天が世を正すために張った網は粗いが決して悪人を逃しはしない。
この他「大器晩成」も老子で、本来の意味は「人間はずっと未完成なものだ」らしいです。
後継者の孟子は「仁義礼智の四徳」「仁義礼智信の五常」も唱えました。
「仁」は他への思いやり、「義」は人間の行うべき道、「礼」は社会秩序を保つ生活ルール、「智」は善悪の判断能力、「信」はウソをつかないこと。
基本なのですが、日本社会からどんどん少なくなっていくようで、心配ですね。やはり道徳教育強化が必要か。
老子さんの本
柳沢教授(天才柳沢教授の生活)
88年よりモーニングに掲載。経済学部教授、柳沢良則氏の生活。道路は右端を歩き、横断歩道以外で道を渡らない。作者山下和美さんの父親がモデル。
- 何故みんな時間があるのにそんなに走るのか。また無いのにそんなに無駄に使うのか。
何故吐いても飽きずにまた酒を飲むのか。何故みんな働きすぎ、そしてさぼるのか。私にはわからない。
- 母さんはどうも機嫌が悪いらしい。この人の場合、機嫌が悪いということは体調が悪いということである。
- 私は私の物理学的見地から見た行動形式上、タンゴしか踊れないのです。
- 他人には語らなくても自分には語ってくれるものもある。あなたが花であれば私は書物です。
- 私も変わりません。ですから私なのです。
天才柳沢教授の生活の本
フェリーニの名作「道 (1954)」から
フェリーニ自身の子供時代が投影されている映画。不遇な娘ジェルソミーナにサーカス座員のマットが言う
- 俺は無学だが何かの本で読んだ。たとえばこの石だ。こんな石でも何かの役に立っている。
- どんな?
- それは...俺なんかに聞いてもわからんよ。神様はご存知だ。お前が生まれるときも死ぬときも...
人間にはわからん...俺には小石が何の役に立つかわからん、何かの役に立つ。これが無益ならすべて無益だ。
空の星だって同じだと俺は思う。お前だって何かの役に立っている。
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道 LA STRADA
フェリーニの名作。頭の弱いジェルソミーナは夫ザンパノの女と酒、暴力に何度も逃げようとする。
ある時、青年に勇気づけられ、夫と生きていくことを決心するが..
DVD ¥3,675
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小津安二郎さん(1903〜1963年)
日本を代表する映画監督。ローアングルのカメラワークで丁寧に描く小津調として海外でも有名。
東京深川生まれ。9才で父の郷里松阪へ転居。17年トマス・H・インス監督「シヴィリゼーション(16年)」を見て映画監督になる決意をかためた。
宇治山田中(現宇治山田高)卒業後、大学受験に2年失敗し、小学校の代用教員を1年経験。
父を説得して上京し、叔父のつてで1923年、松竹キネマ蒲田撮影所入社。サイレント・モノクロ時代の32年「生まれてはみたけれど」がキネ旬1位。
戦後、「晩春(49年)」「麦秋(51年)」「東京物語(53年)」、カラーになった「秋日和(60年)」「小早川家の秋(61年)」、遺作「秋刀魚の味(62年)」などを発表。
脚本を共同制作していた野田高梧、松竹大船撮影所でのカメラ厚田雄春を中心にした美術浜田辰雄、録音妹尾芳三郎、編集浜村義康などいつも同じ「小津組」で製作。
笠知衆、原節子らを重用。
ホウ・シャオシェン、ヴィム・ヴェンダース、ジム・ジャームッシュ、アキ・カウリスマキ、周防正行、市川準、竹中直人など多数に影響を与えた。
ガンにより60歳の誕生日に死去。
- 何でもないことは流行に従う。重大なことは道徳に従う。芸術のことは自分に従う。
- 人間は少しくらい品行は悪くてもよいが、品性は良くなければいけないよ。
原節子時代キネマ 小津安二郎さんのDVD
坪井千夏さん(TVドラマ「ショムニ」)
脚立を担いだ最強OL。江角マキコさん扮する千夏がまっすぐ目を見て、啖呵をきります。
- 夢を持っている社員がどれだけいるかが、会社の価値なんだよ。
- 地球は誰のために回ってると思う。自分のためだよ。お前はお前。人に合わせてても幸せにはなんないんだよ。
- アンタは男や会社のためにいるんじゃない。アンタのために男も会社もあるんだよ。
- ちょっとつまづいたぐらいで、いちいち傷ついてごまかしてたらさぁ、たとえ幸運が団体ツアー組んで押し寄せたってひとつもモノにできないよ。
- 恋愛は、自分を変えるチャンスなんだよ。
- パチンコ台の前で玉が1つでも残っていればチャレンジするでしょうが。あんたの運命はあんたが決めるんだよ。試合を放棄するやつに幸福の女神は微笑まない。
- 無理かどうかはやってみないとわからないでしょ。世の中すべて戦い。自分に勝てない者は誰にも勝てないんだよ。
ショムニのDVD
イアン・ソープさん
金メダリスト、世界記録保持者。195センチ、96キロ、足35cm
- 別にそれほどたいしたことをしているわけじゃない。ただ、好きな水泳を楽しんで泳いでいるだけさ。
- 毎朝4時15分に起きていたけれど、速い車に変えたので、今は4時17分に起きています。
- 大きな目標に圧倒されてしまうときは、それを小さく分けてひとつずつ達成するようにしていき、日々の練習が嫌なときは、大きなゴールに目をやるようにする。
- ENJOY! この一言で現実が変わる。
- 努力の天才になりたい。
- ベストを尽くしたと思えれば何もいらない。レースで1位になろうと2位3位だろうと関係ない。大事なのは自分ができるかぎりのベストをつくしたかどうか。
孫子の兵法
2500年前に書かれた戦いのセオリー。世界中の軍の基本。武田信玄、ナポレオン、パウエル氏なども活用。ラムズフェルド氏やブッシュ氏は学んでいるのでしょうか。
●戦いの基本
- 戦争は国家の一大事であって、国民の生死、国家の存亡かかわるものなので、慎重に検討しなければならない。
- 国益にかなわなければ戦争を始めてはならない、勝つ見込みが無ければ軍事力を行使してはならない、危機が迫っていなければ戦ってはならない。
- 君主は怒りに駆られて開戦してはならない、将は憤りの感情で戦ってはならない。一時の感情でなく、有利と判断したときは戦い、不利な場合は戦いをやめるべきだ。
- 戦争が長期化すれば、戦力が消耗し、士気が衰える。長期間戦場に軍を張りつけておけば国の財政が窮乏する。軍隊を動かすには膨大な戦費が必要である。
- 多少作戦にまずい点が残っても速やかに決着をつければ成功するが、戦いを長引かせて良い結果は得られない。戦いが長引いて、国に利益をもたらした例は無い。
- 戦争は勝つことが重要で、長く戦うことではない。
- 百回戦って百回勝っても、それは最上の勝ち方とは言えない。武力行使せずに敵を屈服させることこそ最上の勝ち方である。
- 最上の戦い方は敵の謀略を封じることであり、その次は外交策略で敵の同盟関係を断ち切り孤立させ、その次が武力を行使することであって、城攻めは下の下である。
- 天下を握る強国の勢力下に入り、その勢力増強に手を貸すようなことはせずに、自国の力の増強に努めて、国威が次第に敵国に及んでいくようにすべきだ。
●戦略
- 戦争は心理的駆け引きで、我の優勢化を図ることが大切である。
- 敵の戦力が充実していれば、我は態勢を整えることに専念せよ。
- 敵が強ければ正面衝突を避けて、他の方策を考えろ。
- 敵をかき乱して、そのスキに乗じて攻略せよ。
- 敵が平穏無事で楽をしていれば、仕掛けて疲れさせよ。
- 敵が団結していれば、分裂させるようにせよ。
- 我は遠征せずに戦力を蓄え、敵をはるばる誘い出し戦力を消耗させる。我は休養しつつ敵が疲れてやって来るのを待つ。我は糧道確保し敵の糧道は遮断する
- 勝算が多ければ勝ち、少なければ負ける。まして勝算が無ければ勝てるわけがない。
- 敵の実情を知って、我自身をわきまえて戦えば、何度戦っても危険は無い。
- 勝つ条件が揃っていない時は守りを固めなければならない。勝機を見出した時は攻撃に転じなければならない。
- 戦いというものは、正攻法を原則とし、状況に応じた奇策を用いることで勝つ。
- 我兵力が圧倒的に優勢ならば包囲し、かなり優勢なら正面から攻め、優勢なら敵を二分して各個撃破せよ。
敵と兵力拮抗なら全力を挙げて戦い、我兵力劣勢なら防御や根拠地を移動しながら遊撃戦で戦い、完全に劣勢と分かったら衝突を避けよ。
●幹部、部隊
- 有能な将を任命したら、トップはこれを信頼して干渉してはならない。
- 将がトップの承認した戦略に従わなければ、必ず敗れるだろうから解任すべきである。
- 名将はあらかじめ勝てる態勢を整えてから戦いを始め、凡将は戦いを始めてしまってから勝とうとする。
- 名将は敵の士気旺盛な時は戦いを避け、士気低下を待って攻撃を仕掛ける。
- 名将の戦い方は、勢いが激しく、好機を狙って力を集中して一気に攻め込む。それは石弓を使う時に弦を十分に引いて力を蓄えて、好機を狙って矢を放つようなものだ。
- 名将は自分が主導権を握っており、敵に引き回されることはない。
- 勢いは合理的判断に基づき、情勢に応じて臨機応変に対処するところに生まれる。
- 名将は個人個人の能力にとらわれずに全体の勢いを重視する。従って、適任者を選抜配備して特性を発揮させ、集団としての勢いづけをさせる。
- 乱戦状態になっても、組織編成を保たねばならない。混戦状態になっても、情報伝達系統を守らねばならない。
- 大部隊をあたかも小部隊のように指揮するには、組織編成と情報伝達系統を簡明にしなければならない。
- 名将は徴兵や糧秣調達を計画的に効率化を図る。しかも軍需品は輸送するが、食糧はなるべく現地調達する。
- 軍が輸送部隊を失えば敗亡するし、糧秣の補給と備蓄が無ければ生きることは出来ない。
●戦法、戦術
- 行動を起こす時は疾風の如く迅速に、情勢眺めの時は林の如く整然とし、攻め入る時は烈火の如く猛然と、動くのが不利な時は山の如く泰然とし、暗闇の如く実態を秘匿し、出動する時は雷の如く四方を震撼させる。(風林火山)
- 初めのうちは処女のようにしおらしく振舞って、敵の油断を誘い、敵のスキを見い出したら脱兎の如く襲い掛かかれば、敵は防ぎようがない
- 敵が楽をしていれば疲れさせ、満腹していたら糧道を断って飢えさせ、落ち着いていれば仕掛けて動かざるを得ないようにする。(絶えず揺さぶりをかける)
- 攻めて必ず成功するのは、敵が守っていない所を攻めるからだ。陣地を必ず守り抜くのは、敵が攻めることの出来ない所にいるからだ。
- 逃げるとなったら素早く逃げれば、敵は追いつきようがない。
- 敵を戦場に引き出すには、敵が必ず救援に出掛けねばならない所を攻撃すればよい。
- 我は集中して一つになり、敵は分散させて十にすれば、我は十の兵力で敵の一の兵力に当ることになる。つまり、我は多数で敵は少数となる。
- 未知の地域や困難な地域に進出する時は、そこの事情に詳しい者に案内や仲介を頼むことが大切である。
- 帰心に駆られた敵は障害突破の戦意が高いので不用意に阻止してはならない、敵を包囲した場合は逃げ道を開けておき気を抜いてから攻めよ、窮地に陥った敵は死にもの狂いで反撃してくるので追い詰めてはならない。
- 敵が河を渡って攻めてきた時は、水中で迎え撃ってはならない。敵の半数が渡り切った時に攻撃するのが効果的だ。
- 軍の布陣は高所が良く、低地は良くない。日当りの良い場所を選び、日当りの悪い場所は避けるべきだ。その上で健康管理に気をつければ、兵士は健康で気力も充実する。
- 上流で雨が降って川面が波立ってきたら、それがおさまるまで川を渡るのは待て。何らかの兆候を見出したら、その意味する事が判明するまでは軽々しく動いてはならない。
- 敵が近づこうとせずに挑発するのは、我を誘い出そうとしているのだ。
- 守るに不利な地形に陣取る敵は、囮部隊の可能性がある。
- 木々が動くのは敵が近づく兆し、草むらに仕掛けをしているのはワザと疑わせるためで、鳥が不意に飛び立つのは伏兵がいる証拠、獣が驚いて走り出すのは敵奇襲の兆候。
- 時の流れと環境条件とに対応出来る者だけが勝てる。
- 事前に情報を知るには、祈っても星占いしても、先例から類推してもダメで、必ず人を使って情報収集することが肝要である。
- 恩賞や費用を出し惜しんで敵情を知ろうとしない者は、人の上に立つ将の資格は無い。
●部下の掌握
- 個人個人にヤル気を出させれば、円い石を高い山から転落させるような勢いをつけることが出来る
- 戦いに臨んでは、兵と共に高い所に登って梯子を取り去るように、退路を絶って必死の覚悟をさせなくてはならない。
- 部下を赤ん坊のように愛すればこそ、彼らは信頼感をもって谷底へもついて来る。愛児を育てるようにすればこそ、彼らは信頼感をもって生死を共にする気にもなる。
- 部下を厚遇するだけで働かさず、可愛がるだけで命令もせず、秩序を乱しても管理出来なければ、それはワガママ息子にしてしまうだけで、使いものにならなくなる。
- 部下に向ってクドクドと話したり、媚びるような話し方をするのは、部下からの人望を失っている証拠である。
- まだ馴染んでいないのに、規律だけ厳しくしたのでは部下は心服しない。
- まず法令や物の道理をよく教えてから、威力をもってこれを守らせることが大切だ。
- 部下に余計な情報を与えることで迷わせてはならない。
- 人をどうしても動かそうとする場合、利点を強調すべきで、欠点にあまり触れてはダメだ。
ゲーテさん(1749〜1832年)
18世紀のドイツ詩人。小説家、科学者、劇場監督、政治家。死にかけるほどの難産で生まれ、6人兄弟のうち、4人が幼くして亡くなったため、過保護気味に育った。
「ドイツ建築について」「若きウェルテルの悩み」「親和力」「ファウスト」「イタリア紀行」など。旧制高校とか諸先輩方の必読書でした。
- 人生において重大なのは生きることであって、生きた結果ではない。
- 自分にできること、あるいは夢に思い描いていることは、すべて実行に移すことだ。
- 自分を信じよう。そうすればどう生きるかがわかる。
- 人生は全て次の二つから成り立っている。したいけど、できない。できるけど、したくない。
- 自分一人で石を持ち上げる気がなかったら、二人でも持ち上がらない。
- 大胆であれば、非凡な能力と不思議な力を発揮できる。
- 大切なことは、大志を抱き、それを成し遂げる技術と忍耐を持つということ。その他はいずれも重要ではない。
- 人間は努力するかぎり、迷うものだ。
- 涙とともにパンを食べたものでなければ、人生の味はわからない。
- 青年は教えられることよりも、刺激されることを欲するものである。
- 金銭を失うこと。それはまた働いて蓄えればよい。名誉を失うこと。名誉を挽回すれば世の人は見直してくれる。勇気を失うこと。それはこの世に生まれてこなかった方がよい。
- 空気と光と友人の愛。これだけ残っていれば気を落とすことはない。
- 今日出来ないようなら、明日もだめです。一日だって無駄に過ごしてはいけません。
- 気持ちよい生活を作ろうと思ったら、済んだことをくよくよせぬこと、
めったに腹を立てぬこと、いつも現在を楽しむこと、とりわけ、人を憎まぬこと、未来を神にまかせること。
- いや遠くさまよい出でんとするか。見よ、善きことはまこと近きにあり。幸福をとらえる術を知れ、幸福は常に手近にあれば。
- 我々はいろいろ理解できないことがある。生き続けて行け。きっとわかって来るだろう。
- 10歳にして菓子に動かされ、20歳にしては恋人に、30歳にして快楽に、40歳にしては
野心に、50歳にしては貪欲に動かされる。いつになったら人間はただ知性のみを追って進むようになるのであろうか。
ゲーテさんの本
ニーチェさん(1844〜1900年)
ドイツの哲学者。裕福な牧師の家に生まれ、5才で父と弟があいついで病死。名門校で特待生として学び、24才でバーゼル大の古典文献学教授に。
永劫回帰説などを唱えた。梅毒にかかり、45才の時に精神病で入院。廃人に近い状態で11年間、母と妹の世話を受け、亡くなった。
生存中は注目されなかったが、ハイデガー、ユンガー、バタイユ、フーコー、ドゥルーズなど、以後の文学・哲学に大きな影響を与えた。
「人間的な、あまりにも人間的な」「ツァラトゥストラはかく語りき」「権力への意志(未完。妹が編纂)」など。
- 愛の不足ではなく、友情の不足が不幸な結婚生活を作り出す。
- 復讐と恋においては、女は男よりも野蛮である。
- 人間は地球の皮膚病なり。
- どの買い手も抜け目のない目を持っている。ところが、最も抜け目のない男も自分の妻は吟味もせず袋入りのままで買ってしまう。
- ヨーロッパの二大麻薬、アルコールとキリスト教。
- 神は死んだ。神は死んだままだ。そしてわれわれが神を殺したのだ。
- キリスト教においては、どの点においても、道徳も宗教も現実と接触していない。
- 怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。
ニーチェさんの本
シェークスピアさん(1564〜1616年)
史上最高の劇作家。小学校卒。18才で、8つ年上のアン・ハザウェイと結婚。長女と双子の男女が出来たが、23才で別居。
俳優を経験した後に脚本を執筆。「ヘンリー5世」「じゃじゃ馬ならし」「真夏の夜の夢」「ロミオとジュリエット」「十二夜」
「ベニスの商人」「お気に召すまま」「ハムレット」「オセロ」「リア王」「マクベス」「テンペスト」等。
- この世はすべて舞台。男も女も役者に過ぎない。 All the world's stage, and all the men and women merely players.
- 男というものはいつもそうだが、我が家から離れている時が一番陽気なものだ。
- もの言わぬ宝石の方が生きた人間の言葉よりもとかく女心を動かすものだ。
- 女はバラのようなもの。ひとたび美しく花開いたら、それは散る時。(十二夜)
- 恋ってのは、それはもう、ため息と涙でできたものですよ。
- ほどほどに愛しなさい。長つづきのする恋は、そういう恋だよ。
- 人はみな、泣きながら生まれてくる。
- 過ぎてかえらぬ不幸を悔やむのは、さらに不幸を招く近道だ。
- 悲しみの耳には、素直な言葉こそ入りやすいもの。
- 共感は全世界の人間を親族にする。
- たいていの友情は見せかけであり、たいていの恋は愚かさでしかない。
- ことごとくの雲が嵐をなすというわけではない。
- 行動は雄弁だ。 Action is eloquence.
- 人生は動く影、所詮は三文役者。色んな悲喜劇に出演し、出番が終われば消えるだけ。(マクベス)
- 君、時というものは、それぞれの人間によって、それぞれの速さで走るものなのだよ。(テンペスト)
- われわれは夢と同じものでできている。そうして、われわれのささやかな人生は眠りにつつまれているのだ。(テンペスト)
シェークスピアさんのDVD
アインシュタインさん(1879〜1955年)
「相対性理論」で有名なノーベル賞受賞の理論物理学者。ユダヤ系ドイツ人。ナチスに追われて渡米。
9才までうまく話せず、両親にも脳障害と思われ、学校でも無口で成績不振。高校は退学になった。
- 大切なのは、問うのをやめないことです。好奇心は、それ自体存在理由を持っているのです。
- 私は天才ではありません。ただ、人より長くひとつのことと付き合ってきただけです 。
- 結果というものにたどりつけるのは、偏執狂だけです。
- 結婚とは、偶然の結果を長続きさせようとする成功の見込みのない企てです。結婚はすべて危険です
- 熱いストーブの上に一分間手をのせてみてください。まるで一時間ぐらいに感じられるでしょう。
ところがかわいい女の子と一緒に一時間座っていると、一分間ぐらいにしか感じられない。それが相対性というものです。
バーナード・ショーさん(1856〜1950年)
ダブリンに生まれの劇作家、小説家、批評家で社会主義者。ノーベル賞受賞。皮肉な警世家だが反骨精神で尊敬され続けた。
「人と超人」「ピグマリオン」「シーザーとクレオパトラ」等。
子供の時から働き、独学で勉強。社会の伝統を片端からこきおろし、ノーベル賞もいったん辞退するが、やむを得ず受け取り、その場で文学連盟へ寄付。
- 人間は必ず自分の人生を支配できる。
- 情熱なき人は善人にも悪人にもなれず。
- 人生には2つの悲劇がある。一つは心の願いが達せられない事。もう一つはそれが達せられる事。
- 間違いを犯してばかりの人生は、何もしなかった人生よりも、あっぱれであるだけでなく、役に立つ。
- 人間が賢くなるのは経験によるのではない。経験に対処する能力に応じてである。
- (あなたが一番影響を受けた本はなんですか?に答えて) 銀行の預金通帳だよ。
- 親であるという事は一つの重要な職業だ。しかしいまだかつて子供の為に、この職業の適性検査が行われた事はない。
- 結婚をしばしば宝くじにたとえるが、それは誤りだ。宝くじなら当たることもあるのだから。
- 恋愛とは女が男を追いかける事に他ならない。女の方はじっとしているのだから、
女は男を待っているかのように見えるが、それはクモが無邪気なハエを網の方へひきつけるのと同じやり方なのだ。
バーナード・ショーさんの本
科学データ(範疇外ですが、管理人の趣味でひとつよろしく)
視点を大きくすると、誰がどうしたとかこうしたとかは、どうでも良い小さなことに思えます。
- 「地球」が属す「太陽系」のある「銀河」が、さらに数10〜100個集まったのが「銀河団」。銀河系もアンドロメダ銀河など他の30個程の銀河とで半径300万光年の「局所銀河団」。銀河団はさらに数千個集まって「超銀河団」。おとめ座超銀河団は半径1億光年。かみのけ座超銀河団、ヘルクレス座超銀河団などある。
つまり 私やあなた < 人類 < 生物 < 地球 < 太陽系 < 銀河 < 銀河団 < 超銀河団
- 銀河系には約1000億の星があり、そんな銀河が宇宙に約1000億。宇宙には100垓(がい)個。1の後ろに0を22個つけた数の星が存在している。
- 日本で見える星の数は6等星以上で4300個。
- 宇宙の71%は水素、27%はヘリウム、この2つで98%を占めている。
- 地球の自転速度は赤道辺で時速1700km、太陽の周りを回る地球の公転速度は時速11万kmで、シューマッハの400倍。太陽系が銀河系内を回転する速度は時速80万kmで、ジェット機の800倍。もちろんみんなも地球と一緒に超高速移動中。ポルシェに乗らなくてもみんなスピード違反だぞ!
- 248万年前から73万年前まで南北極が現在と反対だった。過去500万年の間に数十回逆転しており、約1千年後に逆転がある。太陽は11年毎に逆転している。
- 今のこぐま座にある北極星。8000年後には白鳥座のデネブが、12000年後にはこと座のベガが、北極星の位置にくる。
- 宇宙の歴史は150億年、大きさは150億光年、光速のスピードでさらに膨張中。
- 46億年前にできた太陽はあと50億年位で赤色巨星になり、地球も飲み込む。
- あと5億年で太陽が膨張し、地球と太陽の距離が5%近づき、環境のバランスがくずれ水が無くなる。当然、人類は生存できなくなる。
- 人間が住むには、水と空気と20℃位の気温が必要。金星の表面は420〜480度、火星の表面は-55度で昼夜の温度差が激しい、火星の重力は地球の1/3。
- テラフォーミングという火星の改造移住計画がある。海を作るのに数100年、光合成可能にするのに10万年。
- 厚い氷のあるエウロパ(木星の衛星)、大気のあるタイタン(土星の衛星)も生命の可能性が研究されている。
- 地球とほぼ同じ46億年前、火星程の星が地球に衝突し、その衝撃で出来たのが今の月。出来た頃は今の距離の16分の1位。
- 奇跡的な衝突で大きな月が出来、その引力による海の満ち引きが地球に生命を誕生させた。
- 46億年前地球誕生、40億年前海、6億年前三葉虫、3億年前ハ虫類、2億年前恐竜、6500万年前恐竜絶滅、1400万年前霊長類、600万年前猿人、2本足歩行、50年前原人、3万年前ホモサピエンス、1万年前農耕始まる。7000年前黄河文明、5000年前メソポタミア、エジプト文明。
- 地球の歴史を1日とすると、農耕を始めてから0.2秒、1人の命は0.002秒
- 今日まで生き残った生物の種類は0.1%で3〜5千万種。
- 1万年前の人口100万人、農耕が始まり紀元前2500年1億人、0年2億人、1000年3億人、1650年5億人、1800年10億人、1900年20億人、1960年30億人、1974年40億人、1987年50億人、1999年60億人。
- 現在の世界人口65億人。今は毎年8千万人づつ急増中。
- 65億人の13%が栄養不良、下水道のない人50%、文字を読めない人17%。大学教育を受けられる人が2%、コンピュータを持つ人4%。
- 人間以外に、牛13億頭、豚9億頭、羊11億頭、山羊7億頭、鶏134億羽。
- 日本人の平均寿命(幼児死亡含)は明治13年に30才超え、大正時代に40才超え。
- 動物学的な人間の寿命は30年。子供を作って育てればお役ごめん。あとはおまけ。
- 現在の人類のルーツは15万年前の1人のアフリカ女性「イヴ」。先ずニグロイド(アフリカ人)が枝分かれし、7〜8万年前の氷河期にアフリカを出て、氷河を渡り、次にモンゴロイド(黄色人種)とコーカソイド(白色人種)が枝分かれする。
- ひとりの人間は60兆個の細胞から構成されている。
- 細胞は分裂して自己と同じもの(複製)を生み出す設計図(プログラム)を持っている。それが遺伝子DNA。
- 「デオキシリボ核酸」という物質を「DNA、染色体」と呼び、構造自体は細菌から人間まで共通。塩基配列は生物種によって違い、人間ひとりひとりも微妙に違う。
- DNAは30億個の並びがあり、生物の進化の歴史が全て書かれている。
- 人間の体の60%は水。赤ちゃんは70%で肌もしっとり、老人は50%でちとカサカサ。
人間の存在が極めて奇跡的なこと。そして、1人の人間のちっぽけなこと。
山口瞳さん
毎年、成人式と入社式の頃にメッセージがありました。
- 金をつくるより友人をつくれ。
5年間に5人の友人ができたらしめたものである。
10年間に10人の友人を得たら天下無敵である。
- 人生は短い。あっという間に過ぎてゆく。しかし、今目の前にいる電車にどうしても乗らなければならないというほどに短くはない。
- 僕は、新しく社会人になったきみたちに社会のルールを説いているつもりだ。
大いに遊び給え、大いに飲み給え。しかし、社会のルールはしっかりと守り給え。
仕事を愛せ、プライドを持て、新入社員よ、甘えを捨てろ。
- 僕は君たちにひとつだけお願いがある。それは「心に理想を抱く人間になれ」ということだ。理想のない人間は駄目だ。目標なしに生きていたってつまらない。青年時代に理想を抱いていた友人はいまでも顔が輝いている。たとえ貧しくてもイキイキしている。
- 新入社員諸君、恐れるものは何もない。地道な努力を積み重ねていれば、誰かが必ず認めてくれる。きみはきっと大成する。
- 会社勤めで何がものを言うかと聞かれたとき、僕はいま少しも逡巡することなく「それは誠意です」と答えている。
山口瞳さんの本
ワーズワースさん(英詩人1770〜1850)
有名な自然詩人。湖水地方の生まれで、バイロンにもそのライフスタイルの実践者と評されていた。以下は1802年の詩の一節。
- No grandeur now in nature or in book Delights us. Rapine, avarice, expense, This is idolatry; and these we adore Plain living and high thinking are no more.
我らを喜ばせた気高さは今や自然や書物にもない。強奪、強欲、消費、これは偶像崇拝である。そして我々が敬愛したもの、質素な暮らしと高貴な思考はもう無い。
- 嘆かれはしたが、この中の「Plain Living and High Thinking」が有名に。
「簡素な生活と気高い思慮」 管理人も好きな言葉。
後にガンジーが「Simple Life and High Thinking」と提唱した。この言葉の方が日本人にもわかりやすい。
-
「虹」
私の心は躍る、大空に虹がかかるのを見たときに。
幼い頃もそうだった、大人になった今もそうなのだ、
年老いたときでもそうありたい、でなければ、生きている意味はない。
子供は大人の父親なのだ。
願わくば、私のこれからの一日一日が、
自然への畏敬の念によって貫かれんことを。
湖水地方 ワーズワースさんの本
三銃士
アレクサンドル・デュマの傑作「三銃士」。若き騎士ダルタニャンと三銃士が突撃する時に、剣を合わせて呼応するお約束のフレーズ。日本ラグビー界でも有名。
モンテクリスト伯でも有名なデュマ本人は多数の女性遍歴に浪費美食濫作と波乱万丈荒唐無稽な人生を送った。
- All for One. One for All.
みんなは一人の為に、一人はみんなの為に
チームワークの絶対原則。日本ラグビー界では順番を逆にした「One for All. All for One」として使われますが、どちらでも。
日本ラグビーフットボール協会 アレクサンドル・デュマさんの本
アルフレッド・マーシャルさん(英経済学者)
1885年、43才でケンブリッジ大教授になったマーシャルの就任講義の最後に「冷静な頭脳と熱い心を持ち、周囲の社会的困難と戦うため、すすんで力を傾けようとする...そんな人材が増えるよう最善を尽くしたい。」と
- Cool Head and Warm Heart
冷静な頭脳と熱い心
これは何事を行う時も基本ですよね。
アイルトン・セナさん(F1ドライバー、60〜94年)
3回のワールドチャンピオン、優勝41回の天才レーサー。
ブラジルの裕福な地主の息子に生また。4才からカートを始め、83年英F3チャンプ、84年F1参戦、85年ロータスでF1初優勝。
セナの死後、セラピストだった姉が意志をついで「セナ財団」を設立。ストリートチルドレンへの支援や職業訓練を続けている。
- みんな平等にチャンスは与えられている。
この世に生を受けたこと、それ自体が最大のチャンスではないか。
- レースは人生のすべてじゃないよ。まったく違う。もちろん、レースは僕の職業だし、全力で取り組んでいる。
でも、Fフォードから仕事として始めて以来、F3、F1とくるにしたがって責任が重くなっていった。
プレッシャーが大きくなるにつれて、情熱の対象だったものから喜びの一部が奪われていったんだ。
- 自分が世界を変えられるわけがないのはわかっている。小さな貢献をするぐらいがせいぜいだよ。
F1は重要じゃないんだ。そういう問題に比べたら、無に等しい。
- 理想を語ることは簡単だが、自ら実践するのはすごく難しい。
だからこそ、とにかくどんな時でもベストを尽くして生きなければならない。
その結果、うまくいく時もあれば、そうでない時もある。
間違いを犯すこともあるだろう。
でも、少なくとも自分自身に対しては誠実に、
そして、自らの描いた夢に向かって、精いっぱい生きていくことだ。
- なぜ人生には、不幸なことが起きるのか、それを理解するのが最も難しいことなんだ。
愛する友達や家族を亡くせば、なぜ自分がこんなに辛い目にあうのかと思うだろう。
でも、それは僕ら人間にはわからない。それを理解するには人間の心はあまりにも小さすぎるんだ。
だから、僕達はただその苦しみに耐え、悲しみを乗り越えるためにより強くならなければならない。
しかし、数年後、数十年後になって、その時の悲しみの意味がわかることもある。
- 多くの人間がべス卜を尽くし、極限まで努力する。
しかし、本当の努力はその限界からどこまで行けるかということなんだ。
単に極限までの努力なら誰でもできる。それでは他の者と変わらない。
極限をどれだけ超えられるかに勝負の結果、人生の成功不成功がかかってくる。
- いくら自分に完璧を求めても、完璧な人間なんてどこにもいない。結局、自分や他人の失敗から学んでいくしかないんだ。
アイルトン・セナ アイルトン・セナさんの本
桃井かおりさん (1952年〜)
倉本さん脚本の「前略おふくろ様」が好きでした。恐怖の海ちゃん、かすみちゃん(坂口良子さん)、秀さん、半妻さん。30年前です。
- 頂上にたどり着いて、たとえきれいな夕焼けに出合えなくても、
そこで思わぬ体力がついている事の方がすごいでしょ。
夢を追いかけている自分、追いかけるときに力がついてくる事実の方が、
夢を手に入れたかどうかよりも、もっと素敵なことなんじゃないの。
- 自分の選択に確信なんてない、食欲に似た欲望だけ。
迷ったり、近回りしないでいろいろやってみれば、無邪気で元気で楽しい私のような50歳になる。
脚本が面白くないなら、私が直すし、監督がダメだったら、私が監督やってやる(笑)。
おかげでシャットアウトくらうし、作家に嫌われる(笑)。でも、やってみるしかないからね。
この女優って仕事、大事だから、自分をいい作品に出してやりたい。
ほかの才能が必要になったときに、いつでもトライできる自分でありたいよね。
- 生きてるうまみは、生きたやつにしか教えてあげられない。
桃井かおりさんの本
フランソワ・サガンさん (1935〜2004年)
18才で発表した「悲しみよこんにちは」が世界的ベストセラーに。「ブラームスはお好き」など仏を代表する女性作家。
二度の離婚、自動車事故、アルコール依存など波乱の人生。映画に主演したジーン・セバーグのセシールカットが流行。
- 男には男らしく振る舞ってほしいわ。そう、強くて子供っぽくね。
- 年を取ることをこわいとは思わないわ。こわいのは、外出してもそれがアヴァンチュールではなくなることよ。
- 私は人生を忘れるために酒を飲んだことは一度もありません。逆に人生を加速させるためなのです。
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サガンの「悲しみよこんにちは」
南仏海岸の別荘で暮らす17才のセシル(ジーン・セバーグ)は父の愛人(ミレーヌ・ドモンジョ)と共謀し、父(デヴィッド・ニヴン)の再婚相手を。
DVD ¥2,090
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悲しみよこんにちは
17歳の利発な少女と彼女を取り巻く大人の関係。父と愛人エリザ、洗練された婚約者マリア。セシルはマリアに小さないたずらを。繊細な心が崩れる瞬間、無垢な残酷さ。
新潮文庫 ¥460
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ココ・シャネルさん (1883〜1971年)
カリスマデザイナー。私生児として生まれ、幼くして母は亡くなり、妹と孤児院で育つ。15才の時、妹も死去。
26才で小さな帽子屋からスタートし、ジャージやツイードの初めての取り入れ、モードとしての黒やベージュ使い。女性初めてのパンタロン、
香水のNo5。全て画期的な仕事だった。
イングリッド・バ−グマン、ジャンヌ・モロ−、ブリジッド・バルド−、ロ−レン・バコ−ル、ジャクリ−ヌ・ケネディなど多くのセレブが愛用。
多くの男性と人生を謳歌した。
- かけがえのない人間になるためには、常に他人と違っていなければならない。
- 20才の顔は生まれつきのもの、30才の顔は生活を物語り、50才の顔はあなたの責任。
- あたしはかわい気がなくて、とっても傲慢だったわ。頭を下げたり、ペコペコしたりするのは大嫌い。一人で生き、世の中の不平等さと闘ってきた。
- 傲慢な人間のいちばんうれしいことは、自由ということだ。
- 私が成功した秘密? ガムシャラに働いたから。働けばよけいに働きたくなる。
- 金は儲けるためにやっきになるのではなく、使うためにこそ夢中になるべきなのだ。
- 受け取るよりは、与えることのほうが、はるかにうれしいものだ。それは仕事に限らず、恋愛においても友情においても同じことだ
- 男と女が愛しあうには対等でなくっちゃ。私の嫌いなのは所有されること。
- 意地悪で、怒りっぽくて、泥棒で、嘘つきで、盗み聞きの名人。あたしはそんな子供だった。
- 学校ではカトリックの勉強もしたが、覚えるものはなにもなかった。あたしの知りたいことは学校の先生が教えてくれることとは何の関係もなかった。
- 生きているかぎり働き続けようと思うわ。老人ホ−ムなんて退屈するところはないでしょう。もし、天国に行ったら、そこでも天使たちのために本当にいい洋服を作ろうと思っている。
ココ・シャネルさんの本
中村天風さん(中村三郎 1876〜1968年)
高校柔道部の頃、試合後の私闘で誤って相手の刃物で刺殺したといわれる。退学後、遠山満に学び、中国の諜報活動で活躍するが捕われ、九死に一生を得る。
重い肺結核にかかり、克服のため、米欧で医学と哲学、ヒマラヤ山麓でヨガを学ぶ。銀行頭取など務めた後に、思考を宇宙と同調させる「心身統一道」を教え、原敬、山本五十六、双葉山、宇野千代、松下幸之助、稲盛和夫、広岡達郎など多数が薫陶を受けた。
プラス志向、ポジティブシンキングの元祖かもしれない。
- 人生のすべてのできごとは、すべて自分のこころがつくりだしている。
- 人生を健康的にも運命的にも、理想的にしたければ、平素の人生で心を十分に積極的にしなければならない。
- 強く思ったことは必ず現実化する。
- こころをいつも積極的にし、楽しい、愉快なことだけを心にいれなさい。
- 人生は楽しく過ごすものと強く思考せよ。
- こころは感じてから思って考える。だからマイナスのことを感じても思わないこと。
- 消極的な言葉は一切口にしてはいけない。
- いやだ、おもしろくないと感じたら笑ってしまえ。
- 酸いも甘いもかみわけているはずの年配者の方が悟りがおそい。余計なこだわりが多くあるためだ。
- できるだけ積極的な人と交わりなさい。
- 他人の消極的な言葉や行動に同化しないこと。
- 取り越し苦労しないこと。
- 本心良心にそむいた行ないはしないこと。
- 今日一日、怒らず、怖れず、悲しまず。
- 常に明るく朗らかに生き生きと何事にも対処する。
貝原益軒の「益軒十訓」に「気は、一身体の内にあまねく行き渡るべし。怒り、悲しみ、憂い、思い、あれば、胸中一所に気滞りて集まる。
七情の過て滞るは病の生る基なり。」など類似項目がかなりあり、それを咀嚼し分かりやすくしたと思われる。
「宇宙と一体」はインドのウパニシャッド哲学の「梵我一如」に類似。
中村天風さんの本
安岡正篤さん(1898〜1983年)
5才から論語の素読をさせられたという陽明学者。昭和天皇の終戦の詔に加筆、平成の年号考案者。
吉田から小渕まで歴代の総理や、多くの政財界人に影響を与えた人格者。
85才の時、あの細木数子に婚姻届けを出され、その2ケ月後に死去。為に膨大希少な蔵書を東西の暴力団が争ったといわれる。
- 真に人間の真価をあらわすものは、その人がどういう地位にあるとか、どれほど財産をもっているとか、どんな名誉職にあるとか、あるいは国会議員をやったとか、大きな会社の重役であったとか、何か大きな事業をなしたとか、というようなことではなく、ただ その人がどういう人間であるかということであります。
- 偉大な人物とはまことの人であります。偉人とか英雄とかいわれるような異常の人でなく、ただまことの人であります。
- ものをみるのに「三つの原則」があります。
目先にとらわれないで、できるだけ「長い目で」見る。
一面にとらわれないで、「多面的に」、できうれば全面的にみる。
枝葉末節にわたらないで、「根本的に」みる。この三つであります。
- 日々の生活姿勢
- 飲食は適正か
- 毎晩、安眠・熟睡できるか
- 心身に影響する悪習慣はないか
- 適当な運動をしているか
- 日常、一喜一憂しやすくないか
- 精神的動揺があっても、仕事は平常どおり続け得るか
- 毎日の仕事に打ちこんでいるか
- 自分は今の仕事に適しているか
- 現在の仕事を自分の生涯の仕事となし得ているか
- 自分の仕事と生活に退屈していないか
- たえず追求すべき明確な問題を持っているか
- 人に対して誠実であるか
- 人間をつくるための学問修養に努めているか
- エキスパートになるための知識技術を修めているか
- 信仰・信念・哲学を持っているか
- 自処超然
自分のことになると執着したり拘泥したりするものだが、一切捕われないで解脱している、脱けきっていなければならない。
- 処人藹然
人には、常に好意を持ってなごやかに接する。春の草木の青々と茂った雰囲気のように温かい気分でその人に接する。
- 有事斬然
何か問題がある時はうろたえたり、うじうじしないで、すっきりしている、きびきびしていること。
- 無事澄然
何もない時は、氷のように澄みきっていること。
- 得意澹然
得意の時は驕ったりせず、謙虚にあっさりしている。
- 失意泰然
失意のときは、あわてず、ゆったりと落ち着いている。
安岡正篤さんの本
エジプトやギリシャの偉人が
5千年前も3千年前も、人間社会てば同じなんですね。
- ソクラテスが
子供は暴君と同じだ。部屋に年長者が入ってきても起立もしない。客の前でもさわぎ、食事のマナーを知らず、足を組み、師にさからう。
- その弟子のプラトンも
最近の若者はなんだ。目上の者を尊敬せず、親に反抗する。法律は無視。街であばれる。道徳心のかけらもない。このままだとどうなるやら。
- 古代エジプトの教師が
若者よ。なんとおまえはうぬぼれていることか。おまえは私が話すとき聞こうともしない。おまえの心は完成されているとでも思っているのか。
- アッシリアの遺跡に
世も末だ。未来は明るくない。賄賂や不正の横行は目にあまる。
- ボンペイの遺跡に
明日は確かじゃない。楽しめ。生きてるかぎり。
- シュメールの遺跡に
楽しみ、それはビール。嫌なこと、それは遠征。
ピラミッド一覧
古今亭志ん生さん (1890〜1973年)
酩酊朦朧?の言語を超越したスーパー名人。破天荒な道楽と貧乏長家暮し、16回の改名で有名。息子の故志ん朝師匠も粋な正統派名人で管理人も大好き。
- 貧乏ってのはするもんじゃねえ。たしなむもんです。
- 酒がいちばんいいね。酒というのは人の顔を見ない。貧乏人も金持ちも同じように酔わせてくれるんだ。
- この地震では、きっと酒屋もつぶれる。とすると東京中から酒がなくなってしまうかもしれない。こいつは大変だ。
- あたしは、13、14で、もう酒ぇくらっていたんですが、酒屋がそんな年頃の子供に平気で酒ぇ売るんですからしようがない。
- 物事ってえものは、うれしい前にはきまって、心配事や悲しいことがあるんです。
心配事や悲しいことから、うれしいことが生まれてくるもんですな。
- 「うめい」とか「うまくねえ」とか他人のやっているのを聞いて、そういうことを言うについちゃぁ、
別に物差しがあるわけじゃぁありませんが、まぁ他人の噺きいてみて、「こいつぁ、俺よりまずいな」と思ったら、まず自分と同じくらいの芸ですよ。
人間にゃ誰だって多少のうぬぼれがありますからね。「俺と同じくれえかな」と思うときには向こうのほうがちょいと上で、
「こいつぁ、俺より確かにうめえや」と感心した日にゃぁ、そりゃもう格段の開きがあるもんですよ。
新宿末広亭 古今亭志ん生さんの本
寿限無(落語)
有名な古典落語。主に前座の噺として使われ、お寺の坊さんに付けてもらった男の子の名前があまりに長くて一騒動、というシンプルな構成。
早口言葉や呪文のようで、NHK教育TV「にほんごであそぼ」から子供たちに広がり、絵本も出た。
寿限無(じゅげむ)寿限無、五劫(ごこう)のすりきれ、
海砂利水魚(かいじゃりすいぎょ)の水行末(すいぎょうまつ)、雲来末(うんらいまつ)、風来末(ふうらいまつ)、
食う寝るところに住むところ、藪裏柑子(やぶらこうじ)のぶらこうじ、パイポパイポ、パイポのシューリンガン、
シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナの長久命(ちょうきゅうめい)の長助。
- 寿限無は寿限り無し、つまり死ぬ時がないということ。
- 五劫のすりきれは三千年に一度、天人が天下って下界の巌を衣でなで続けて擦り切れるのを一劫といい、その5倍なのでやはり限りないということ。
- 海砂利水魚は、海の砂利も水にすむ魚もとりつくすことが出来ない。
- 水行末、雲来末、風来末は、水の行く末、雲の行く末、風の行く末、いずれも果てしがない。
- 食う寝るところに住むところは、一つがかけても生きてはいけない大切なこと。
- 藪裏柑子のぶらこうじは、やぶこうじという木があって、丈夫で、春は若葉を生じ、夏は花咲き、秋は実を結び、冬は赤き色をそえて霜をしのぐめでたい木。
- パイポパイポは、昔、唐にパイポという国があって、皆、長生きした王のシューリンガン、王妃のグーリンダイ、姫のポンポコピーとポンポコナーのこと。
- 長久命の長助は、天長地久というありがたい文字から長久命、命名した和尚がわしに男の子ができれば長助という名前がいいと言ったことから長く助けるという意味で長助も。
長い名前では画家ピカソの「パブロ・ディエゴ・ホセ・フランチスコ・ド・ポール・ジャン・ネボムチェーノ・クリスバン・クリスピアノ・ド・ラ・ンチシュ・トリニダット・ルイス・イ・ピカソ」、
NBA選手ムトンバの「ディケンベ・ムトンボ・ムポロンド・ムカンバ・ジャン・ジャック・ワムトンボ」が知られている。
上野鈴本演芸場 寿限無の本
北野武さん
海外の方が評価の高い巨匠タケシ監督。死をテーマにした作品が続いた後、再生の「キッズリターン」、娯楽活劇「座頭市」ときて、さて次作品は。
- 何をやっててもだいたい半分は面白い。残りの半分はつらい。
だけど100%楽しかったら、その人は栄誉とか、褒美はもらえないと思う。
人から評価されたり賞をもらったりするには、半分苦しかったってことがないとダメだな。
あくまでも社会と自分が作ったものとの関係だから。
- 我々みたいのが天才のふりをするためには捨てなきゃいけないものが一杯あるんだよね。
- 国際人というのは「どこの国の人だかわからない無国籍人」になることだと思い込んでるバカが多すぎる。
本当の国際人というのは、自分の国の文化を背負って、どこの国の人たちとも自国の文化をバックボーンにして話せる人のことなんだよ。
たとえば、いきなりフランス料理を出されてわからなければ、そこで「醤油と箸をくれないか」といった方が勝ちなんだ。
味もわからないのに慣れないフォークとナイフを使って、「おいしいですね」なんて愛想笑いを浮かべて一生懸命物真似をするなんていうのはカッコ悪いし、バカにされるんだよ。
- 要するに哲学的に言えばだよ。「死ぬこと」が人間の一番平等なことだから。
- あまりに世間が生きる事に関しての術とか、充満してて、それに突っ走るじゃない。生活からなにからさあ。そういうのはあんまりちょっと片手落ちかなあっていう。
- よく周りで死んでるんだねえ。小学6年の時、一緒に野球やってたやつが、目の前でダンプに轢かれて死んだり、中学の時も友達が白血病で死んだでしょ。
- 朝家出る時、仏壇に線香あげて、水取っかえて、ろうそく立てて、母ちゃんとか、父ちゃんとか、師匠とか、黒澤さんとか全部拝むのね。
俺が全部背負うって。俺を使って、自分の夢のできなかったことやってくれっつって。
- テロでは5千人が死んだわけだけど、その一人一人に家族があるわけで、5千回のドラマがあるということを考えなきゃいけないんだ。
- 世間では、妙にありがたがってる部分もあるけど、若さって俺はたいした特典ではないと思う。
年齢は関係なくて、無茶を出来るスピリッツを持っているかが問題。
- 映画を作る時に、必ず、意見の合わないやつをひとり入れるようにしてるんだよね。
同じような感覚の人間だけじゃ、おもしろい映画は作れないから。
- 映画ファンに対して「こういうのどうだ?」って気はあるよ。「こういうのおもしろいだろう?」って。俺も嫌いじゃないと思ってやってるけどさ。
- 稽古を1年やった奴と、十日舞台に出た漫才師がいたとしてさ、その実力差っていうのは舞台に出た奴が勝つに決まってるわけだから。稽古は駄目なんだよね。現場に出ないと。
- 頼りになるのは、自分の意志だけ。
北野武さんのDVD
じゃりんこチエちゃん
70年代後半、大阪の西成をイメージした地区でホルモン焼屋「チエちゃん」を切り盛りする、自称「日本一不幸な少女」の元気な小学5年生チエちゃんが主人公のコミック。オカッパに赤玉の髪留めは「ヤワラ」ちゃんより早かった。
- チエちゃん
「テストの点が5点10点上がっても親子の仲が悪なったら何にもならんやんけ。」
「明日は明日の太陽がピカピカやねん。」
「お母はん、自信なくさん方がええで。おバァはん、女もアホやけど男はもっとアホやゆうとったから。」
- チエの親友ヒラメ
「やっぱり晴れはうれしいなぁ。なんか太陽見たら笑てしまうもんな。」
「こおゆう、ダンゴみたいな形の大福は、まず、大福のまん中を指で押さえて、そこを中心に、周りへ平べったく押し開げる。
ほんなら、アンコが全体にまんべんのう、行き渡って、そこをパクッと食べるねん。」
- チエの飼い猫 小鉄 実は「月の輪の雷蔵」
「あり余るシアワセは時として苦痛を伴うものなのさ。」
- しっかりものの母 ヨシ江
「一人で生きてゆけるなんて思ってると、辛抱せなあかん時に辛抱がきかんようになったりもするんよ。」
- 地獄組のボス レイモンド飛田
「人間がびびる時はなぁ、なんか守るものがある時なんじゃ。」
じゃりんこチエの本
長島茂雄さん
はやく全快して、コミッショナーになっていただかなくては。ナベツネ氏とは切れてね。
- 人間は明日があるから生きていける。トゥモローです。
- バッターの心構えはまず第一に集中力。次が細かい所に気を配る。これが3原則です。うん。
- えぇー、鯖(さば)という字は魚偏にブルーでしたっけ。
- 立教卒業時、友人の英和辞書を見て「へえ、こんな便利なものがあったのかあ」(あくまでウワサですよ)
- 川上監督の研修を聞いて提出したレポートで、「分かりました」と一言。
- 少年野球教室の指導で、「球がこうスッと来るだろ」「そこをグゥーッと構えて腰をガッとする」「あとはバァッといってガーンと打つんだ」
カール・セーガンさん(1934〜96年)
NYブルックリン生まれの宇宙物理学者。米国惑星探査計画で指導的役割を果たし、TV番組「COSMOS」は、世界60ヶ国以上で放映された。反核デモに参加し逮捕されたこともある。
- 私は、水とカルシウムと有機物のかたまりで、カール・セーガンと呼ばれている。
大きさはだいたい原子と星の中間くらい、100兆ほどの細胞からできている。
あなたも、私とほとんど同じ分子でできていて、名前だけが違っている。
- 私たちの体は全て星の物質でできている。私たちは極めて深い意味において「星の子」なのである。
- 人間のからだを単純な物質に還元したときの値段は1〜10ドル。大部分が水でできているが、水はほとんどただ。
炭素は石炭として値段をつける。骨のカルシウムはチョークの値段で見積もる。
たんぱく質のなかの窒素は空気中の窒素と同じと考えるからこれも安い。血液の中の鉄分はさびた釘と同じ。
- 地球は1日に一度自転し、1年に一度太陽の周りを回り、2億5千万年に一度銀河系の中心を回っている。
出来た時から回り続けており、これまでに一度だって止まったことはない。
カール・セーガンさんの本
松井孝典さん(宇宙物理学)
宇宙の様々なことを解明。地球環境には冷静率直。元気への言葉ではないかもしれないが...事実。
- 人間の知性は自然を超えるものではない。そもそも我々が持っている知識なんて、全て自然から学んだものですよ。
- 「地球に優しく」なんて言ってるのは、地球のことを知らない人ですよ。
「炭素」という元素の分布ひとつをとっても、いまのような大気組成のもとでは基本的に一定だから、
人口が増えれば、それだけ分布が人間に偏るわけですからね。
- 今の環境問題は、先進国の10億人がどうやったら現在のステータスを保てるかというレベルの議論ですから。
地球を持ち出して先進国以外を丸め込もうとしている。そういった意味で地球の定員は10億人なわけです。100億人ではない。
本当に地球に優しく、特権を捨てて他の動物と同じように狩猟採集のライフスタイルで生きるとすると、人間の定員はだいたい1千万人です。
今の文明の延長でいくと定員は100億人。今の農耕はエネルギー多消費だし、水資源多消費だし。
水も石油も他の天然資源もやがて枯渇するから、100億人だとあとだいたい50年、長くみても100年しか続かない。
- 宇宙の最後は鉄元素一色。星の元素構成は水素から燃え始め、水素が燃えてヘリウムができ、ヘリウムが燃えて炭素ができ、順々に重い元素ができ、最後は鉄元素。
鉄の原子核が元素の中でもっとも安定してエネルギーが低い。宇宙に鉄がどんどん濃縮されていき、星も輝かなくなり、生命もなくなり、真っ暗になって終り。
宇宙の寿命は数千億年。まだ150億年なのでけっこう余裕がある。
松井孝典さんの本
天空の城「ラピュタ」
「飛行石」を持つ少女シータと少年パズーが、怪しい男たちに追われながら、天に浮かぶ伝説の城「ラピュタ」に。
- 土に根を下ろし、風と共に生きよう。
種と共に冬を越し、鳥と共に春を歌おう。
- どんなに恐ろしい武器を使っても、沢山の可哀相なロボットを操っても、
人は土から離れて生きてはいけないのよ。
ラピュタのDVD
ポルコ・ロッソ(紅の豚)
20年代イタリアのアドリア海。元空軍のエースが自ら魔法で豚になり賞金稼ぎとして活躍する夢のハードボイルド。管理人好み、心の底から羨ましい。(^^♪
- 飛ばねえ豚はただの豚だ。
- ファシストになるより豚の方がまだましさ。
- もう一つ条件がある。徹夜はするな。睡眠不足はいい仕事の敵だ。それに美容にもよくねぇ。
- 美しいマダム、ジーナが
意地も見栄もない男は最低よ。
ここでは人生は少しだけ複雑なの。
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1/72 紅の豚 サボイアS.21F 後期型
主人公ポルコロッソの愛機。部品のひとつひとつ、ポルコロッソやフィオもよくできている。これと別にカーチスモデルもあり。
プラモデル ¥1,540
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紅の豚
1920年代のイタリア、アドリア海には空賊相手の賞金稼ぎをしている豚がいた。ポルコ・ロッソが紅の飛行艇を乗りこなす小気味よい航空活劇。
DVD ¥4,935
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パウエルのルール
湾岸戦争の英雄、米の前国務長官パウエル氏が自分を律していたルール。軍人出身だがバランスの取れた実に真っ当な方。この人が大統領なら良かったのにね。
ブッシュ氏は誰でも大統領になれるという証明にはなるけどさ。
- 何事も思っているほど悪くない。朝になれば状況は良くなっている。
- まず恐れ、そしてその怒りを乗り越えよ。
- 自分の地位とエゴを同化させてはいけない。さもないと、立場が悪くなったとき、自分も一緒に落ちてしまう。
- やればできるはずだ。
- 選択には細心の注意を払え、それが現実になるかもしれない。
- 良い決断をしたら、それをくじくような事実にもくじけてはいけない。
- 誰かのかわりに選択することは出来ない。誰かに自分の選択をさせるべきではない。
- 小さい事をチェックせよ。
- 手柄を一人占めするな。
- つねに冷静に、かつ親切であれ。
クラーク博士(北大、1826〜86年)
あの有名な言葉に続きがあるなんて、知りませんでした。
博士はマサチュ−セッツ州の農村の医師の息子に生まれ、
新島襄が留学し、後に内村鑑三も卒業したアマースト大を卒業。高校の理科教師を2年務めた後、ドイツ留学して博士号を取得して帰国。
アマースト大の化学教授になった。南北戦争が勃発し義勇軍に参加、歴戦の中、大佐として連隊を指揮。除隊後、大学の新設に関わり
州立マサチュ−セッツ農科大学が設立され、学長就任。10年務めた後、76年、乞われて日本の札幌農学校へ。
部下二人と共に着任し、アマースト大卒業生の内藤誠太郎が通訳兼助手としてサポート。
チャレンジ精神に富んだ熱い気持ちで、米のフロンティアスピリットを生徒に教えてくれた。
1期生16名(卒業時13名)に教えながら、開拓使からの要請で建築や気象観測なども指導した。
8カ月の任務を終え、有名な奨励の言葉を残して離任。長崎や関西を廻って帰国。学長に復帰したが不遇が続き、農学校生徒からの手紙や活躍を誇りにした。
2期生の新渡戸稲造、内村鑑三もクラークの志を受け継いだ。
- Be ambitious not for money or for selfish aggrandizement,
not for that evanescent thing which men call fame.
Be ambitious for the attainment of all that a man ought to be.
青年よ、大志を抱け。
それは金銭に対してでも、自己の利益に対してでもなく、
また世間で名声と呼ぶむなしいものに対してでもない。
人間が人間として備えていなければならぬ
あらゆることをなし遂げるために大志を抱け。
- Be Gentleman.
紳士たれ。
クラークは校則案の英訳を見て、
「このようなこまごました規則で生徒を縛っては人間をつくることはできない。」
「校則はひとつでよい。Be Gentleman である。」と断じた。
北海道大学 アマースト大
スヌーピーと仲間たち
しゃべる哲学犬、スヌーピー。シュルツ氏は50年間アシスタントを付けずに1万8千本もの「ピーナッツ」を描き続けました。
- スヌーピー「みんながそうするからって、君がしなきゃならないってことはないんだ」
「Just because everyone else is doing it,doesn't mean you have to...」
- チャーリーブラウン「安心とは車の後ろの座席で眠ること」
「Security is sleeping in the back seat of the car...」
- ルーシー「ただ人生を乗りきるだけでどこが悪いの」
「what's wrong with just going through life?」
- ウッドストック 「!」
- シュルツ氏「人生は10段変速の自転車のようなもの。誰もが自分の能力の大半を使っていないのです。」
1日の仕事をやり終えた時、人間として最も大切なのは「家に帰って、小犬を可愛がってやる事」
スヌーピーのDVD
リック(カサブランカ)
42年の映画「CASABLANCA」。第二次大戦下の仏領モロッコの都市の酒場「 Rick's Cafe Americain」に、米への亡命を図るヨーロッパ人たちが集まる。
イングリット・バーグマンと共にこの作品でビッグスターとなったハンフリー・ボガードの名セリフの数々。
- イヴォンヌ Where were you last night?
「昨夜はどこにいたの?」
リック That's so long ago, I don't remember.
「そんな昔のことは憶えていない。」
イヴォンヌ Will I see you tonight?
「今夜会える?」
リック I never make plans that far ahead.
「そんな先の事は分からない。」
- イルザ Play it once, Sam. For old times sake
「もう1度弾いて。昔の思い出のために。」
サム I don't know what you mean, Miss Ilsa.
「あなたのおっしゃる意味が分かりません。イルザさん。」
イルザ Play it, Sam. Play "As Time Goes By."
「弾いて、サム。『時の過ぎゆくままに』を。」
サム Oh, I can't remember it, Miss Ilsa. I'm a little rusty on it.
「憶えていませんよ、イルザさん。ちょっとその曲は下手なんです。」
イルザ I'll hum it for you. Da-dy-da-dy-da-dum, da-dy-da-dee-da-dum
「あなたのために口ずさむわ。ダディ〜ダ、ディ〜ダダ〜」
イルザ Sing it, Sam.
「歌って、サム。」
サム You must remember this. A kiss is still a kiss. A sigh is just a sigh.
The fundamental things apply. As time goes by.And when two lovers woo,
They still say, "I love you"
リックが飛んできて
Sam, I thought I told you never to play ...
「サム。その曲は2度と弾くなと言っただろ」
そこでイルザに気づき...
- (飛行場で)
イルザ But what about us?
「でも、私たちはどうなるの?」
リック We'll always have Paris. We didn't have, we, we lost it until you came to Casablanca. We got it back last night.
「僕たちにはいつもパリがあるよ。君がカサブランカに来るまで失っていたが、僕たちは昨夜取り戻したんだ。」
イルザ When I said I would never leave you.
「私はあなたの許を去らないと言ったわ。」
リック And you never will. But I've got a job to do, too. Where I'm going, you can't follow.
What I've got to do, you can't be any part of. Ilsa, I'm no good at being noble,
but it doesn't take much to see that the problems of three little people don't amount to a hill of beans in this crazy world.
Someday you'll understand that. Now, now...
Here's looking at you kid.
「そうだよ。しかし、僕にはやらなきゃならない仕事がある。僕の行くところには君はついて行けない。
君は僕のしなければならないことには関われないんだ。イルザ、僕は高潔なことは全然ダメだが、
この狂気の世界ではちっぽけな3人の問題なんか大したことではないんだ。いつか君も理解するよ。
さあ、君の瞳に乾杯。」
※この最後のフレーズはパリでも使っていました。
- ラズロ夫妻を乗せた飛行機が飛び立ち、霧の空港をリックと警察署長ルノーは肩を並べて歩いていく
リック Louis, I think this is the beginning of a beautiful friendship.
「美しい友情の始まりだな。」
カサブランカのDVD
映画「スタンド・バイ・ミー(86年)」で
12才の少年4人が夏休みの終わりに死体探しの冒険へ。スティ−ブン・キングのベストセラー中編集「Different Seasons」の「The Body」より
- I never had any friends later on like the ones I had when I was twelve.
あんな友達をもてたのは後にも先にも12才のあのときだけだ。
スタンド・バイ・ミーのDVD
映画「グレン・ミラー物語(54年)」で
有名ビッグバンドのリーダー兼トロンボーン奏者の生涯。ベニーグッドマンと時代の双璧。
ムーンライトセレナーデ、真珠の首飾り、茶色の小瓶などヒット多数。グレン・ミラーをジェームス・スチュアートが、夫人をジューン・アリスンが演じた。
あなたは愛しているって言ってくれたことがないのね。
そんなこと知ってると思ってた。
女はそれを聞きたいものなのよ。
グレン・ミラーさんの音楽
宮大工棟梁 西岡常一さん
法隆寺(世界最古の木造建築)の棟梁、故西岡氏が残した斑鳩大工の口伝、その一部
- 木も人間もみんな自然の分身ですがな。おたがい等しくつきあうていかなあきませんね。
- 木の癖組みは工人の心組み
- 工人の心組みは匠長が工人らへの思いやり
- 百の工人には百の思いがあり。ひとつにまとめるのが匠長の器量なり
- 百論ひとつにまとめる器量なき者は謹みて匠長の座を去るべし
棟梁は大工さんの他に左官や石屋なども指揮します。スタッフへの「思いやり」と「個を認めつつ、気持ちをまとめる」のがその長としての務め、としています。1400年前からの口伝です。
継承者の小川氏は18才で内弟子になりましたが
- 自分が法隆寺へ行ったときに、西岡棟梁から、新聞も駄目、本も駄目、仕事の本も駄目。何でも駄目なんですよ。
ただ、道具を研ぐこと。仕事を終わって食事したら、又、夜遅くまで研ぎものです。
余計なことは考えるなという。必要ない。
- 何も教えてくれませんでした。ただ一緒に仕事場に行って、これをやってみろっていうだけです。
- いろんな情報というのは、修行中にはむしろ邪魔なんですね。
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木のいのち木のこころ 天
法隆寺の最後棟梁、西岡常一。昭和大修理に27歳で棟梁を務め、法輪寺三重塔再建、薬師寺金堂再建も手がけた。伝統の技と知恵の極意。
新潮OH!文庫 ¥570
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木のいのち木のこころ 地
18歳で西岡の門を叩き、3度追い返されながらただひとりの弟子となった小川三夫が技能を継承する側から師と宮大工の未来を語る。
新潮OH!文庫 ¥610
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法隆寺
赤毛のアン
19世紀末、カナダのプリンスエドワード島を舞台に、マシュウと妹マリラの家に引き取られた孤児アン・シャリーの物語。
あたしはいつも想像してるわ。
この世のものとは思えないくらい美しいものと、
まぶしいくらいに賢いのと、
天使みたいに心がきれいなのとでは、
どっちが好き?
(マシューが最後にアンへ)
男の子が欲しいと思ったことは一度もない...
ほしかったのはアンだけだ。
最初の日からな。
変わるんじゃないよ...
かわいいアン...
アンはわしの自慢の娘だ...
プリンスエドワード島 赤毛のアンの本
美輪明宏さん
妖怪(失礼)的な存在だが、若い時の美貌たるやそれはそれは、三島氏の愛人と言われた。人生の達人かつ超能力の持ち主。
- 口からきれいな言葉を出すの。人のことを言うときには必ず褒める。ものは言いよう、発想をすべてプラスの方に持っていくの。
- 人は見られるほど綺麗になるの。
- 相手のすべてを受け入れること、それが本当の愛。
- 私はこれまでの人生で、弱い女と強い男は見たことがない。
- お給料は我慢料。
- 自分自身を見つめて、なにをしたいのか、どう生きていたらいいのか、どの程度の才能があるのかを自己反省しなきゃ。
どこの扉をたたいても開かない時期というのはね、自分の中に内容を貯蓄するための時間をもらったと思えばいいの。
- みんな不幸ばかり数えたがる。楽あれば苦ありが人生なのだから、心配事や不満を数えずに感謝することを探しなさい。
孫正義さん
ソフトバンク、ヤフー&ホークスのオーナー
- 私の事業で、例えば世界のどこかの小さな女の子がにっこり微笑む。そんな一瞬のために、業界ナンバー1になりたい。いつも本気でそう思っています。
- 自分自信を説得できるかどうかが成功の第一条件。
- 変化が激しいからこそ、遠くを見なきゃいけない。変化が激しい不確実な時代ほど、目先を見ると船酔いする。遠くを見ると、物事が非常に鮮明に見えてくる。あらゆる雑音がそぎ落とされて、非常にクリアな原理原則が浮き上がってくる。
土光敏夫さん(1896〜1988年)
ミスター臨調。志高く、自らは質素な偉大な経済人。大会社の社長なのにご飯のオカズをメザシとオシンコだけにしてたんですよ。マジで。
石川島播磨重工を建て直し、東芝を再建し、経団連・第2臨調・行革会議の会長。毎朝4時起床で法華経の読経を死ぬまで続けた。
教育熱心な母の元でに実直に育つが、県立中入試を3度、高校入試を1度落ちる。東京高等工業卒。1920年東京石川島造船所入社、50年石川島重工業社長として合理化による経営再建を図り、
65年東芝電機の社長として経営再建。信望の高さから中曽根氏に乞われ、第二臨調と行革推進審議会で会長として行革推進に尽力した。
経団連会長。ボーイスカウト日本連盟総裁。
- 文字通りに実践もしていたのが
社会は豊かに、個人は質素に。思想は高く、暮らしは低く。
- 失敗は失敗ではなく、ひとつの道行き、経験だと考える。
失敗してもいいんだ。しくじってもよろしい。失敗してもそれを肥やしにして取り返す。前以上に盛り返す。
- 60点主義で即決せよ。決断はタイムリーになせ。決めるべきときに決めないのは度しがたい失敗だ。
- やるべきことが決まったならば執念をもってとことんまで押しつめよ。問題は能力の限界ではなく、執念の欠如である。」
- 行動となって現れないような思考は無用であり、時には有害でさえある。
- 仕事には節というものがある。仕事の節は一日ごとにつけていきたい。朝職場に入った時に今日やるべき仕事がもうちゃんと決まっている。
それを全部果たすことによって今日の仕事が終わる。仕事を中途半端に残して家路につくいやな気持ちは、誰しも心覚えがあるはずだ。
- 失敗は終わりではない。それを追求していくことによって、はじめて失敗に価値がでてくる。失敗は諦めたときに失敗になるのだ。
- どんな人にも長所と短所が必ずある。ところが、サラリーマンの会話を聞いていると、短所をあげつらう減点主義が横行している。
- 能力は必要な条件ではあっても、十分な条件ではない。その条件を僕は執念と呼びたい。
仕事に困難や失敗はつきものだ。そのようなときに、困難に敢然と挑戦し、失敗に屈せず、再起させるものが執念である。
およそ独創的な仕事といえるものは執念の産物であることが多い。できないのは能力の限界だからではない。執念が欠如しているのだ
- 目先の利く者にかぎって、問題を避けて通ろうとする。こんな風潮が蔓延したら、その組織は死んだも同然である。
問題が生ずるからこそ進歩があり、問題発生はむしろ歓迎すべきことである。
それをみずから発掘することに歓びを感ずるようになれば、その人は間違いなく、本物である。
そんな人物が増えれば増えるほど、組織は活性化し、会社は加速度的に伸びていく。
- ぼくらは毎日がいき詰まりだよ。いき詰まらない方が、かえっておかしいとさえ思う。
毎日少しずつでも前に進んでいれば、必ずいき詰まる。毎日壁を破れ!
土光敏夫さんの本
松下幸之助さん(1894〜1989年)
松下電器の創業者。商売の神様と言われた。社会の平和と幸福を実現する「PHP研究所」設立。3年全寮制で次世代国家リーダー育成の「松下政経塾」設立。会社は一時低迷したがHDDとデジカメで回復。
貧しい農家の8人兄弟の末っ子に生まれた。4才の時、父が米相場で失敗し、先祖からの土地や家を失う。
小4中退で大阪に奉公に出る。父が病死、母は再婚し、会えなくなる。
16才で大阪電燈(現在の関西電力)に入社、7年勤務。妻むめのとその弟である井植歳男(後に三洋電機設立)の3人でソケットを開発。
1918年「松下電気器具製作所」創業。アタッチメントプラグ、自転車用ランプなどを開発。その後、松下グループを作り上げ、家電製品の普及に貢献した。
- 決心することが社長と大将の仕事である。
- 我々人間は決めなければならないときには決めなければならない。勇気をふるって決断をしなければならない。
- 経営というものは天地自然の理にしたがい、世間大衆の声を聞き、社内の衆知を集めて、なすべきことを行なっていけば必ず成功するものである。
- 常に信念を持って主体的に生きるためには、やはり心静かにわれ何をなすべきかを考え、そのなすべきことをひたすらになしていくことが大切である。
- 素直な心で見るということがきわめて大事だ。そうすれば事をやっていいか悪いかの判断というものはおのずとついてくる。
- 人生には損得を超越した一面、自分がこれと決めたものには命を賭けてでもそれに邁進するという一面があってもよいのではないだろうか。
- 思ったことが全部実現できたら危ない。3回に1回くらいがちょうどいい。
- 悩みはあって当たり前。それは生きている証であり、常に反省している証拠でもある。
- 一方はこれで十分だと考えるが、もう一方はまだ足りないかもしれないと考える。そうしたいわば紙一枚の差が大きな成果の違いを生む。
- 売る前のお世辞より売った後の奉仕、これこそ永久の客を作る
- 無理に売るな。客の好むものも売るな。客のためになるものを売れ。
- どこかの「知恵ある者は知恵を出せ、知恵無き者は汗を出せ、それも出来ない者は去れ」を聞いて「あかんな、つぶれるな。こう言わんといかんのや」
先ず汗を出せ、汗の中から知恵を出せ、それが出来ない者は去れ、と。知恵があってもまず汗を出しなさい。本当の知恵はその汗の中から生まれてくるものですよ、ということやな。
- 人は、あるところでは卑劣に行動しながら、別のところで高徳に振る舞うことはできないのである。その些細な心の緩みやごまかしが、全体を蝕んでいくのである。人は騙せても自分自身は騙せない。
「商売戦術三十箇条」 昔、ナショナルの加盟店に配布したらしいが、今でもあてはまる正論ばかり。すごいです。
- 商売は、世の為人の為の奉仕にて、利益は、その当然の報酬なり。
- お客様をじろじろ見るべからず、うるさくつきまとふべからず。
- 店の大小よりも場所の良否、場所の良否よりも、品の如何。
- 棚立上手は商売下手、小さい店で、ゴタゴタしている方が、かえって良い場合あり。
- 取引先は皆親類にせよ、之に同情を持って貰うかは、店の興廃のわかるる処。
- 売る前のお世辞より、売った後の奉仕、これこそ永久の客を作る。
- お客様の小言は、神の声と思って、何事も喜んで受け入れよ。
- 資金の少なきを憂ふるなかれ。信用の足らざるを憂ふるべし。
- 仕入れは簡単にせよ、安心して出来る簡単な仕入れは、繁盛の基と知るべし。
- 百円のお客様よりは、一円のお客様が店を繁盛させる基と知るべし。
- 無理に売るな。客の好むものも売るな。客の為になるものを売れ。
- 資金の回転を多くせよ。百円の資本も、十回回せば千円になる。
- 品物の取換へや返品に来られた場合は、売った時よりも、一層気持ちよく接せよ。
- お客の前で店員小僧をしかるくらい、お客を追い払う妙手段はない。
- 良き品を売ることは善なり、良き品を広告して、多く売ることは更に善なり。
- 自分の行ふ販売がなければ、社会は運転しないといふ自信を持て。そしてそれだけに、大なる責任を感ぜよ。
- 仕入れ先を親切にせよ。そして、正当な要求は遠慮なく言へ。
- 紙一枚でも、景品はお客を喜ばせるものだ。附けてて上げるもののない時は、笑顔を景品にせよ。
- 店のために働くことが、同時に店員のためになるやう、待遇その他適当の方法を講すべし。
- 絶えず美しい陳列で、お客の足を集めることも一案。
- 紙一枚でも無駄にすることは、それだけ商品の値段を高くする。
- 品切れは店の不注意、お詫びして後「早速取り寄せてお届けします」とお客様の住所を伺うべきである。
- 正札を守れ! 値引きは、かえって気持ちを悪くする位が落ちだ。
- 子供は福の神、子供連のお客、子供が使いに来ての買い物には特に注意
- 常に考えよ。今日の損益を。今日の損益を明らかにしないでは、寝に就かぬ習慣にせよ。
- 「あの店の品だから」と信用し、誇りにされるやうになれ。
- 御用聞きは何か一二の品物なり、商品の広告ビラなり持って歩け。
- 店先を賑やかにせよ、元気よく立ち働け、活気ある店に客集まる。
- 毎日の新聞の広告は、一通り目を通して置け。注文されて、知らぬやうでは商人の恥と知るべし。
- 商人には好況不況はない。何れにしても儲けねばならぬ。
松下幸之助さんの本
本田宗一郎さん(1905〜91年)
ホンダの創業者。静岡県生まれ。世界のレースに挑戦し、藤沢氏との二人三脚でホンダを世界企業に育て上げた。
常に研究所か工場にいて、「バカヤロー。何でこんな設計をするんだ。すぐ直せ」で頭をポカリや、
「おい。あれどうなった」「今日中に図面を書いて俺のとこへ持って来い」「明日の朝までに作っておけ」が口癖だったが、
その真摯な態度に最後まで社員に「おやじさん」と慕われた。
「製材の名人」といわれた曾祖父、「女左甚五郎」といわれた祖母、鍛冶屋の父という家系に生まれ、
22年、高等小学校卒で東京の自動車修理「アート商会」に入社。ここでマン島TTやGPレース、インディなども知る。
28年、アート商会浜松支店を設立。34年、東海精機を設立
35年、結婚し、披露宴に芸者を呼ぶ。35年、浜松高等工業機械科(現静大工学部)の聴講生に。
45年、東海精機をトヨタに売却。46年、本田技術研究所創設。自転車用補助エンジン「バタバタ」を販売
48年、本田技研工業(株)を資本金100万で設立。49年、バイク「ドリームD型」発表。藤沢氏と出会う。
52年、東京に移転。
54年、マン島TTレース出場を宣言。
55年、軽井沢での第1回浅間火山レースで、125はヤマハに完敗、2502位、350優勝。
57年、第2回浅間火山レース、125・250で、又もヤマハに敗北。
59年、二輪の世界GP参戦。61年、世界GP初優勝、125・250でタイトル獲得。日本人ライダー高橋国光も優勝。
62年、軽四輪とスポーツカーS500を発表。
64年、F1ドイツGPに参戦。当初提携を予定していたロータスからドタキャンされ、シャシーも自作した
V12気筒48バルブ1500cc横置きのホンダRA271は220ps/11500rpmとパワーではフェラーリも軽く凌駕した。
インディ視察。
65年、F1初優勝。66年、2輪世界GPの全5クラス制覇。67年世界GP撤退。
68年、F1一時撤退。インディでテスト。
72年、世界モトクロス初勝利。
73年、シビックのCVCCエンジンで排ガス規制のマスキー法に世界初対応。
長年の名パートナー藤沢副社長と共に退任、取締役最高顧問に就任。
77年、エコ・テクノロジーを推進し、優れた研究活動に本田賞を授与する「本田財団」設立。
80年、1兆円企業に。83年F1再挑戦、1500ccターボエンジンは1000馬力超え。86年、F1コンストラクターズチャンピオン獲得。
宗一郎氏はチームのみんなに土下座してまで喜んだ。91年まで6連覇。
87年、ターボのみ燃料量と過給圧制限、中島悟F1参戦。英GPで4位までホンダエンジンが独占。
88年ターボエンジン最後の年16戦15勝、桜井監督はバレストルFISA会長に「F1にイエローモンキーはいらない」とまで言われた。
91年、宗一郎氏死去。92年F1撤退。94年、米CART参戦。95年CART初優勝。96年CARTタイトル獲得。00年F1復帰。
- チャレンジして失敗を恐れるよりも、何もしないことを恐れろ。
- 日本人は、失敗ということを恐れすぎるようである。どだい、失敗を恐れて何もしないなんて人間は、最低なのである。
- 発明はすべて、苦しまぎれの智恵だ。アイデアは、苦しんでいる人のみに与えられている特典である。
- 自分が悩んだことのない人は、まず人を動かすことはできない
- 大事なのは、新しい大きな仕事の成功のカゲには、研究と努力の過程に99パーセントの失敗が積み重ねられていることです。
- 人を動かすことのできる人は、他人の気持ちになれる人である。そのかわり、他人の気持ちになれる人というのは自分が悩む。
- 信用とは人に好かれること、約束を守ること、人を儲けさせること。
- 学校で教えることも必要だけれども、教えるのは過去のことなんだ。ほんとに必要なのは、未来なんだな。
- 企業で一番こわいのは社長の無知です。人は年齢と言いますが、問題は持っている知恵が古くなることです。そうすると、過去がどんなにえらかった経営者でも、会社を潰すことになります。」
- 悲しみも、喜びも、感動も、落胆も、つねに素直に味わうことが大事だ。
- 人類平等の考えをつきつめていけば、もう国家というもの自体がナンセンスだということになる。
日本に生まれたアメリカに生まれたということだけで、はじめから何か区別されなくちゃいけないなんておかしいじゃねえか。」
ホンダ・モータースポーツ 本田宗一郎さんの本
相田みつをさん
TVドラマ「3年B組金八先生」の朝礼で毎回説明、ブーム再来か。出身の足利市にはフランシスコ・ザビエルに「日本国中最も大にして最も有名な坂東の大学」と紹介された学校がありましたが、そんな素晴らしい伝統も影響しているのでしょうか。
- しあわせはいつもじぶんのこころがきめる。
これも究極のお言葉でしょうか。
- ただいるだけで、あなたがそこにただいるだけでその場の空気があかるくなる。
あなたがそこにただいるだけで、みんなのこころがやすらぐ。そんなあなたにわたしもなりたい。
- ともかく具体的に動いてみるんだね。具体的に動けば具体的な答が出るから。
- やれなかった。やらなかった。どっちかな。
相田みつをさんの本
道(一休宗純)
新日本プロレスの道場訓でもあり、A猪木氏が有名にした言葉(私は天龍&ノア派なのだが)
思い切って踏み出す時は例の「...ダーッ」を付けて
この道を行けばどうなるものか
危ぶむ無かれ
危ぶめば道はなし
踏み出せば
その一歩が道となる
迷わず行けよ
行けば分かるさ
《他にも有名な句が》
門松は冥土の旅の一里塚。めでたくもあり、めでたくもなし。
有露地より無露地へかえる一休み。雨降らば降れ、風吹かば吹け。
世の中は、食ふて、はこして、寝て、起きて。さてその後は死ぬるばかりよ。
ジャイアント馬場さん(1938〜1999年)
身長209センチ、生涯現役、国内5758試合出場の偉大なプロレスラー。
新潟県三条市出身。高2中退でジャイアンツ入団、2軍で3年連続の最多勝最優秀投手も上層部に認められず解雇。
テスト参加した大洋ホエールズのキャンプで、正式契約直後に風呂場の転倒で左肘を大怪我し、野球を断念。
力道山とFアトキンスの元で3千回のヒンズースクワットなど猛練習し、アメリカでも活躍。日プロ、全日のメインエベンターとして
「明るく、楽しく、激しいプロレス」をテーマに、バレンチノ、キニスキー、エリック、ブラジル、ファンクスなどと名勝負を繰り広げた。
得意技、16文キック、脳天チョップ、椰子の実割り、ランニングネックブリーカードロップ、河津落し等。
試合会場ではいつもグッズ売場に座ってサインをしてくれ、阪神大震災ではファンクラブ会員宅を廻って励ましと、誠実な人柄で誰からも愛された。
管理人も「お別れの会」に参列しましたっけ。
- チャンスは絶対にモノにしろ、人生はチャンスとチャレンジだ。
- これからも策は無い。一生懸命以外に無い。一生懸命が感動を呼ぶ。
- 裏切るより、裏切られた方がいいじゃないか。
- 皆が格闘技に走るので、プロレスを独占させていただきます。
- シューティングを越えたものがプロレス。
- 体育館の正面の写真を見せられても、何々体育館と言い当てる自信はありませんが、体育館の天井の写真を見れば百発百中ですよ。
俺達は選手通用口から出入りしますから、正面入口はあまり知らないんです。でも、天井は試合前に受け身の練習をするたびに見ます。試合中に投げ倒されれば、目に入るのは天井だけです。
- 一番好きな景色は、函館から長万部へ行く途中で右側に見える大沼国定公園です。ここは汽車で通ってもバスで走っても良く、昔から変わっていません。北海道の景色はやはり雄大ですね。
- ハワイに惚れ込んでしまったんです。ハワイに比べればプエルトリコもフロリダも湿気が多くて暑すぎます。ハワイは季節が快適な上に日本語もかなり通用し、何よりも東京で飛行機にのったら次はハワイというのがいい。
- 太陽が沈む前、やや陽が落ちてきた頃の時間が好きでねぇ。完全に陽が落ちて、まわりが暗くなると俺はなぜか「もう、うちに帰ろう」という気分になるなぁ。
ジャイアント馬場さんの本
チャップリンさん(1889〜1977年)
喜劇映画の神様。ヒゲ、帽子、ステッキ姿が有名。製作、脚本、監督、主演、作曲、編集を一人でこなし、80数本の映画を製作。
ロンドンの貧民街に生まれたユダヤ人。生後まもなく、芸人でアル中の父が家出。歌手の母に育てられ、健康を害した母の身代わりに5才で初舞台を踏むが、
7才の時、母は精神病で入院。以後兄と施設を転々とする。10才で劇団に入団、21才で渡米、25才で映画監督。
英国で結婚を誓い合った踊り子の少女がいたが、成功して帰英した時には彼女は亡くなっていた。
「キッド(1921年)」、「黄金狂時代(1925年)」、「モダン・タイムス(1936年)」、「独裁者(1940年)」「ライムライト(1952年)」。
「ニューヨークの王様(1957年)」、ソフィア・ローレンとマーロン・ブランドの「伯爵夫人(1977年)」など。
10代の女優ばかり4人と結婚し、73才まで10人の子供をもうけた。
50年代の「赤狩り」で追放され、スイスに移住。レマン湖畔の豪華な城で晩年の25年間を過ごした。
自伝的名作「ライムライト」から
- 人生には、死よりも苦しいことがある。それは生きつづけることだ
- 人生を恐れてはいけない。人間が生きるためには勇気と想像力と、少しばかりのお金があればいいんだよ
- 幸福を手にするための戦いは美しいものです
「独裁者」から
- 私は独裁者にはなりたくない。支配はしたくない。できれば援助したい。
ユダヤ人も黒人も白人も、人類はお互いに助け合うべきである。他人の幸福を念願してこそ生きるべきである。
お互いに憎しみ合ったりしてはならない。世界には人類を養う富がある。人生は自由で楽しいはずである。
貪欲は人類を毒し、憎悪は憎悪をもたらし、悲劇と流血を招く。思想だけがあって感情のない人間はだめである。
知識よりも思いやりこそが必要である。思いやりがないと暴力だけが残る。
兵士諸君、犠牲になってはいけない。独裁者の奴隷になってはいけない。愛を知らぬ者だけが憎しみ合うのだ。
人生はもっともっと美しいものである。
チャップリンさんのDVD
そのチャップリンを愛した淀川長治さん (1909〜98年)
多分世界で一番たくさんの映画を見た方でしょう。どんな映画でも良いところを見つけてほめるステキな方でした。直接お話を聞けた時は胸が熱くなりましたっけ。
神戸の芸者置屋「淀川屋」の跡取りとして生まれ、4才で初めて見た映画が「クレティネッティの借金返済法」。小学生の時からひとりでも映画を見に行きました。
- 「ウェルカム・トラブル」Welcome troubles
「苦労来い、苦労来い。苦労があれば、あるほど人間の理解も深くなるし、愛情も深くなります。」「苦労が人間を強くするんだ。悲しいなぁ辛いなぁと泣いたことがある人が偉いんだ」
岡本真夜さんの「涙の数ほど強くなれるよ〜」でもあるし、「夜明けの来ない夜はないさ〜」や「夜空のムコウには明日がもう待っている〜」にもつながりそうです
- 「ウェルカム・ストレンジャー」welcome strangers
「他人歓迎、他人という言葉を絶対にもたないようにしましょう。他人なんておかしいねえ、なんで他人ですか?みんな同じ仲間ですね。」
- 「いまだかって嫌いな人に逢ったことがない」I've never met a man I didn't like
「わたしは、嫌いな人に逢ったことがないんです。どんないやらしい人でも、どこかいいところがあるんです。だから『わたしは向こうから来る人大嫌い、こっちから来る人、もっと嫌い。こっちから来る人、バイキンみたいに嫌い。』と思ってもどっかいいところがあるんですねえ。」 すごい言葉ですが、淀川さんがそれを有言実行しようとしたのは事実です。
※元は「好きになることがどんなに人を助けるか、私は知っている」と続く、アメリカの名優ウィル・ロジャーズの言葉です。彼はチェロキーインディアン出身で、無声映画からミュージカル、ジョンフォード監督の西部劇など多数に出演したアメリカの国民的スター。ちなみに新聞のコラム、ラジオのコメンテーター、作家、ビバリーヒルズの初代市長なども務め、飛行場・道路・学校・病院などに名が残され、個人の記念博物館もあります。
優しい言葉をかけてあげることは仏教でも「言辞施」という布施の一つだそうです。「優しい言葉」って、人を元気づけますよね。
雨ニモマケズ(宮沢賢治)
「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」などを書いた宮沢賢治の有名な詩。
法華経に傾倒し、病床で書かれたこの詩も南無妙法蓮華教など、ごく短い曼荼羅が続く。
主旨としてはガンジーさんの「Simple Life with High Thinking」にも通じると思うんですが。
実践は難しいにしても、「志」はこれっすよね。おじさんの管理人としては米国流の競争原理よりずっと共感が...
雨にも負けず 風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ 丈夫なからだをもち
慾はなく 決して怒らず いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と 味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを 自分を勘定に入れずに
よく見聞きし 分かり そして忘れず
野原の松の林の陰の小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば 行って看病してやり
西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば 行ってこわがらなくてもいいといい
北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろといい
日照りの時は涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず 苦にもされず
そういうものに わたしはなりたい
賢治は1896年岩手県花巻の古着商の家に生まれる。仏教信仰の強い家庭で幼時から経文を唱えた。
小学校では鉱物、植物、昆虫など採集と標本作りに熱中する。
中学の時、寮で同室の親友が病死。以後、哲学書を愛読。
盛岡高等農林学校を卒業し研究生に。徴兵検査第2種乙種で徴兵免除。
肋膜炎になって静養。童話の制作を始める。
上京して、国柱会で活動。後に花巻農学校教師。30才で退職し、独居生活に。
羅須地人協会を開き、青年たちに農業を指導。肥料相談やレコードコンサートも開催。
その後、2度病に倒れ、1933年37才で永眠。
生前に出版されたのは童話集「注文の多い料理店」と詩集「春と修羅」のみ。
死後、多数の童話と詩が編集出版され、認められるようになった。
イーハトーブ・賢治童話全集
宮沢賢治さんの本
山頭火さん(1882〜1940年)
山口県の大地主の家に生まれたが、10才の時に母が自殺、祖母に溺愛されて育つ。
早稲田を病気で中退し、帰郷。父が酒造も始めるが失敗し家業が傾く。26才で結婚し翌年長男誕生。
28才から翻訳や俳句を発表しはじめる。33才の時、実家破産、熊本に移住して古書店開業。37才で離婚し、東京の図書館臨時職に勤務。
40才の時関東大震災があり熊本に戻る。42才で曹洞宗に出家得度。以後、放浪しながら、酒、座禅、小さな庵の生活、句集の出版を続けた。
- 分け入っても分け入っても青い山
- 菩提樹によりかかりまた月と逢うている
- どうしようもない私が歩いている
- うしろすがたのしぐれてゆくか
- 月かげのまんなかをもどる
- 父によう似た声が出てくる旅は悲しい
- わたしひとりの音させている
- 寝床まで月を入れ寝るとする
- われいまここに海の青さのかぎりなし
- 月夜あかるい舟がありその中でねる
放浪して酒飲んで句を作って座禅して...ちと憧れますね。
伊藤雅俊イトーヨーカドー名誉会長の母ゆきさん
北千住に初めてのお店を作った時、伊藤氏に何度も言ったらしい
- お客さんは来ないもの
- 取引き先は簡単に応じてくれないもの
- 銀行は貸してくれないもの
- そのようなないない尽くしから、商いというものは出発するのだよ
伊藤雅俊さんの本
孔子さん
2500年前に亡くなり、その教えをお弟子さん達が「論語」としてまとめ、「儒教」になり、
その後、中・韓・日で生活の規範となった。仁と徳のある人、礼の行われる社会を理想とした。
戦前教育の「滅私奉公」は論語にはない。
論語は中国にそれまでの言い伝えや原始宗教を孔子が整理合理化したもの。仁は思いやり、真心、愛。徳は真直ぐな心で生きること。礼は仁の具体化したもので、宗教的儀礼や社会の決まりごと。
日本人の宗教観は原始宗教・神道・仏教とこの儒教が混ぜこぜになっている。
「子曰わく、学びて時にこれを習う、亦説ばしからずや。」
学んだことを時々復習すると、理解が一層深まり、いつの間にか身についている。これは嬉しいことではないか。
「朋有り遠方より来たる。亦楽しからずや。人知らずして慍みず。亦君子ならずや。」
遠くから同門の学友が来る。なんと楽しいことではないか。人が自分を認めてくれなくても不満を持たない。なんと君子らしいではないか。
「子曰わく、己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ。」
自分が人からされたら嫌だと思うことは、こちらからしちゃダメだよ。
「子曰わく、己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達すべし。」
自分がこうありたい、こうなりたいと思うことは、自分から人にやってあげなさい。
「子曰わく、政を為すに徳を以てすれば、たとえば北辰其の所に居りて、衆星之に共うが如し。」
上に立つ人が思いやりをもってリードすると、ちょうど北極星を中心に多くの星が廻っているように、
いつの間にかチームワークがとれて、自然にみんなが協力しあうようになる。
「子曰わく、之を知る者は之を好む者に如かず、之を好む者は之を楽しむ者に如かず」
道を知っている人は道を好む人に及ばない。道を好む人は道を楽しむ人に及ばない。
「子曰わく、人の己れを知らざることを患えず、人を知らざることを患う。」
他人が自分を知らない、理解してくれないといって悩むことはない。自分が他人を知らない、知ろうとしないことを心配すべきだ。
「子曰わく、巧言令色、鮮なし仁。」
口ばかり達者でお世辞ばかり言うような人間は、他人を思いやる気持ちを持つことはない。
「子曰く、よく五つのものを天下に行なうを仁と為す。曰く、恭、寛、信、敏、恵なり。
恭ならば侮られず、寛ならば衆を得、信ならば人任じ、敏ならば功あり、恵ならばもって人を使うに足る。」
五つの徳を政治に生かすことができれば、まず仁といってもいい。慎重、寛大、誠実、勤勉、慈愛だ。
慎重であれば人から軽視されることはない。寛大なものには人望が集まる。
誠実なものは信頼される。勤勉ならば実績があがる。慈愛をもって接すれば人は喜んでついてくる。
「子曰わく、吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順がう。七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。」
私は15才のとき学問で身を立てようと決心した。30才で自分の立場ができた。40才で自分に確信を持った。50才で天からの使命を自覚した。
60才で誰の意見にも耳を傾けられるようになった。70才で自分を押さえる努力をしなくても調和を保てるようになった。
「子曰わく、詩に興り、礼に立ち、楽に成る」
人間らしさとは、詩によってわきおこり、礼によって安定し、音楽によって完成するものだ。
世界中で愛された絵本「葉っぱのフレディ」
バスカーリア作。主人公フレディに親友のダニエルが言う
- まだ経験したことがないことは こわいと思うものだ。でも考えてごらん。世界は変化しつづけているん
だ。変化しないものは ひとつもないんだよ。
- 春が来て夏になり秋になる。葉っぱは緑から紅葉して散る。変化するって自然なことなんだ。
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葉っぱのフレディ―
春に生まれた葉っぱのフレディが自分という存在に気づき、成長し、生まれてよかったなと思い、葉っぱの仕事を終え土へとかえっていくまで。著者は著名な哲学者。子どもから大人まで、すべての方に
童話屋 ¥1,575
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日本憲法の前文、9条
草案を米が作ったのは事実だし、非現実的な理想主義という意見もあるが、日本国憲法の崇高さは世界でも稀有。その精神は大切にしたい。
戦争放棄はイタリア、スペイン、フィリピン、コスタリカ、アゼルバイジャン、エクアドル、ハンガリー、ウズベキスタン、カザフスタンなど。
軍隊を持たないのは日本とコスタリカの2国。中米のコスタリカは貧しいながらも積極的な平和外交を進めている。
管理人は「非戦」主義だが、一部の狂人対策の為に軍隊は必要だと思う。が、アメリカ軍需産業の裏工作にそのまま乗るのはどうか。
改憲議論は必要だが、アーミテージに言われたからの改憲では真に情けない。アメリカは中台戦争を起こし、その時に自衛隊を前線に引き出すつもりだ。
又、前文にある「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」が、憲法草案を作ったアメリカ、そして、イスラエル、北朝鮮、中国などで実現できなかったのはとても残念だ。
- 前文、第2段
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。
われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
- 前文、第4段
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
- 9条の1
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇、又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
- 9条の2
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
軍隊を持たない国は04年で25ケ国。ほとんどが小島や小さな国で、そのうち23ケ国が国連加盟し、非加盟はバチカンとパレスチナ。
他にアイスランド、アンドラ、ハイチ、アンティグアバーブーダ、セントクリストファーネイビーズ、ドミニカ(ドミニカ共和国とは別)、
セントルシア、グレナダ、セントビンセントグレナディーンズ、コスタリカ、パナマ、モナコ、サンマリノ、リヒテンシュタイン、
サモア、マーシャル諸島、パラオ、ミクロネシア、バヌアツ、ソロモン諸島、ナウル、ツバル、キリバス。
世界人権宣言
これが大事だ〜〜〜! アメリカも中国も守らないから、「ウソをつくのはいけません」という基本的なことを子供達に言えないじゃないか。もう、プンップンッ!
「人権は、すべての人間が生まれながらに等しく有している基本的権利」で、国連もその目的として、国連憲章第1条において
「人種、性、言語又は宗教による差別なく、すべての者のために、
人権及び基本的自由を尊重するように助長奨励することについて、国際協力を達成すること」と掲げています。
アメリカも中国もロシアも違反を繰り返しますが、この起草委員会には米英に中国、ソ連も入っており、
1948年の国連総会で「世界人権宣言(Universal Declaration of Human Rights)」として賛成48、反対0、棄権8
(ソ連、ウクライナ、白ロシア、ポーランド、チェコ、ユーゴ、サウジ、南アフリカ)、欠席2(ホンジュラス、イエメン)で採択されました。
世界人権宣言が法的拘束力を持たなかったため、人権保障を法制化するために1966年に採択されたのが「国際人権規約」。
「民族自決権」「男女の平等」「拷問の禁止」「表現の自由」などを細かく規定し、外国人にも十分な人権を保障した。
A規約「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約」とB規約「市民的、政治的権利に関する国際規約」に分かれる。
日本は29年「選択議定書」とA規約中の地方公営企業職員のスト権、祝祭日の給与保障、高校・大学教育の無償の3点を留保して批准した。
しかし残念ながら、国連は強制執行力を持たない。加盟国への内政不干渉が原則なので、非難決議と難民救済など平和維持活動しかできない。
「人道的介入」というウラワザがあるが、これを悪用する国があるので難しい。ウーム。
国連そのものも超大国アメリカがあまりに軽視するので、機能低下しており、根本的な改革が必要だが。
「世界人権宣言」前文。ちょっと文章が長い
人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利とを承認することは、
世界における自由、正義及び平和の基礎であるので、
人権の無視及び軽侮が、人類の良心を踏みにじった野蛮行為をもたらし、言論及び信仰の自由が受けられ、
恐怖及び欠乏のない世界の到来が、一般の人々の最高の願望として宣言されたので、
人間が専制と圧迫とに対する最後の手段として反逆に訴えることがないようにするためには、
法の支配によって人権保護することが肝要であるので、諸国間の友好関係の発展を促進することが、肝要であるので、
国際連合の諸国民は、国際連合憲章において、基本的人権、人間の尊厳及び価値並びに男女の同権についての信念を再確認し、
かつ、一層大きな自由のうちで社会的進歩と生活水準の向上とを促進することを決意したので、
加盟国は、国際連合と協力して、人権及び基本的自由の普遍的な尊重及び尊守の促進を達成することを誓約したので、
これらの権利及び自由に対する共通の理解は、この誓約を完全にするためにもっとも重要であるので、
よって、ここに、国際連合総会は、社会の各個人及び各機関が、この世界人権宣言を常に念頭に置きながら、
加盟国自身の人民の間にも、また、加盟国の管轄下にある地域の人民の間にも、
これらの権利と自由との尊重を指導及び教育によって促進すること
並びにそれらの普遍的かつ効果的な承認と尊守とを国内的及び国際的な漸進的措置によって確保することに努力するように、
すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準として、この世界人権宣言を公布する。
第一条
すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。
人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。
第二条
1 すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的
若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも受けることなく、
この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる。
2 さらに、個人の属する国又は地域が独立国であると、信託統治地域であると、非自治地域であると、
又は他のなんらかの主権制限の下にあるとを問わず、その国又は地域の政治上、管轄上
又は国際上の地位に基づくいかなる差別もしてはならない。
第三条
すべて人は、生命、自由及び身体の安全に対する権利を有する。
第四条
何人も、奴隷にされ、又は苦役に服することはない。奴隷制度及び奴隷売買は、いかなる形においても禁止する。
第五条
何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは屈辱的な取扱若しくは刑罰を受けることはない。
第六条
すべて人は、いかなる場所においても、法の下において、人として認められる権利を有する。
第七条
すべての人は、法の下において平等であり、また、いかなる差別もなしに法の平等な保護を受ける権利を有する。
すべての人は、この宣言に違反するいかなる差別に対しても、また、そのような差別をそそのかすいかなる行為に対しても、
平等な保護を受ける権利を有する。
第八条
すべて人は、憲法又は法律によって与えられた基本的権利を侵害する行為に対し、
権限を有する国内裁判所による効果的な救済を受ける権利を有する。
第九条
何人も、ほしいままに逮捕、拘禁、又は追放されることはない。
第十条
すべて人は、自己の権利及び義務並びに自己に対する刑事責任が決定されるに当っては、
独立の公平な裁判所による公正な公開の審理を受けることについて完全に平等の権利を有する。
第十一条
1 犯罪の訴追を受けた者は、すべて、自己の弁護に必要なすべての保障を与えられた公開の裁判において
法律に従って有罪の立証があるまでは、無罪と推定される権利を有する。
2 何人も、実行の時に国内法又は国際法により犯罪を構成しなかった作為又は不作為のために有罪とされることはない。
また、犯罪が行われた時に適用される刑罰より重い刑罰を課せられない。
第十二条
何人も、自己の私事、家族、家庭若しくは通信に対して、ほしいままに干渉され、
又は名誉及び信用に対して攻撃を受けることはない。人はすべて、このような干渉又は攻撃に対して法の保護を受ける権利を有する。
第十三条
1 すべて人は、各国の境界内において自由に移転及び居住する権利を有する。
2 すべて人は、自国その他いずれの国をも立ち去り、及び自国に帰る権利を有する。
不戦条約(別名、ケロッグ・ブリアン条約、パリ条約、戦争放棄に関する条約)
1928年、第一次世界大戦後に締結された多国間条約。国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄し、紛争は平和的手段により解決することを規定した。
米英仏独伊日など15か国が署名し、その後ソ連など63か国も署名。期限が明記されていないため、現在も有効。
ただし、多くが自衛権を留保し、違反への制裁がないため、残念ながら実効性に乏しい。が、戦争直後に、こういう真っ当な考えが主流になったことがあるのだ。
以下、当時の日本での訳文(句読点の一部のみ管理人が追加)
第1条(戦争放棄)
締約國ハ國際紛争解決ノ爲、戰爭ニ訴フルコトヲ非トシ、且其ノ相互關係ニ於テ、國家ノ政策ノ手段トシテノ戰爭ヲ抛棄スルコトヲ、其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ厳肅ニ宣言ス。
第2条(紛争の平和的解決)
締約國ハ相互間ニ起コルコトアルベキ一切ノ紛争、又ハ紛議ハ、其ノ性質又ハ起因ノ如何ヲ問ハズ、平和的手段ニ依ルノ外、之ガ處理又ハ解決ヲ求メザルコトヲ約ス。
第3条(批准、加入)
本條約ハ前文ニ掲ゲラルル締約國ニ依リ、各自ノ憲法上ノ用件ニ従ヒ批准セラルベク、且各國ノ批准書ガ總テ「ワシントン」ニ於テ寄託セラレタル後、直ニ締約國間ニ實施セラルベシ。
本條約ハ前項ニ定ムル所ニ依リ實施セラルトキハ、世界ノ他ノ一切ノ國ノ加入ノ爲、
必要ナル間開キ置カルベシ一國ノ加入ヲ證スル各文書ハ「ワシントン」ニ於テ寄託セラルベク、本條約ハ右寄託ノ時ヨリ直ニ該加入國ト本條約ノ他ノ當事國トノ間ニ實施セラルベシ。
亜米利加合衆國政府ハ前文ニ掲ゲラルル各國政府及ビ爾後本條約ニ加入スル各國政府ニ対シ、
本條約及一切ノ批准書又ハ加入書ノ認證謄本ヲ交付スルノ義務ヲ有ス。亜米利加合衆國政府ハ各批准書又ハ加入書ガ同國政府ニ寄託アリタルトキハ直ニ右諸國政府ニ電報ヲ以テ通告スルノ義務ヲ有ス。
日本国政府宣言書
帝国政府ハ、1928年8月27日巴里ニ於テ署名セラレタル戦争抛棄ニ関スル条約第1条中ノ「其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ」ナル字句ハ、帝国憲法ノ条章ヨリ観テ、日本国ニ限リ適用ナキモノト了解スルコトヲ宣言ス。
アメリカ合衆国政府公文(抜粋)
不戦条約の米国案は、いかなる形においても自衛権を制限しまたは毀損するなにものも含むものではない。
この権利は各主権国家に固有のものであり、すべての条約に暗黙に含まれている。
各国は、いかなる場合にも、また条約の規定に関係なく、自国の領土を攻撃または侵入から守る自由をもち、
また事態が自衛のための戦争に訴えることを必要とするか否かを独自に決定する権限をもつ
フランス人権宣言
第1条の「人は生まれながらにして、自由かつ平等の権利を有する」が有名な、1789年フランス革命の元となった宣言。
それまで、富裕層による身勝手で突然な立法と施行、不当な逮捕と処刑、異常に偏った課税、発言や集会の禁止など、民主主義はかけらも無かったが、
人民が結集し、力と血で勝ち取った。その後、選挙による議会が召集され、憲法や国旗の設定、王権廃止や共和政へと続いていく。
成人男性全員の選挙権は1848年に確立したが、女性は約100年後の1944年から。
革命当時のフランス人口は2300万人。2%の富裕層(世襲の貴族と僧侶達)は税を免除されていたが、他の98%は重税を課され搾取されていた平民が、国王ルイ16世による弾圧をきっかけに立ち上がった。
英軍の撃退、革命派、反対派、派閥争いなど数万人が殺害され、国王とマリーアントワネットも処刑された。
《前文》
国民議会として構成されたフランス人民の代表者たちは、人の権利に対する無知、忘却、または軽視が、公の不幸と政府の腐敗の唯一の原因であることを考慮し、
人の譲りわたすことのできない神聖な自然的権利を、厳粛な宣言において提示することを決意した。
この宣言が社会全体のすべての構成員に絶えず示され、かれらの権利と義務を不断に想起させるように。
立法権および執行権の行為が全ての政治制度の目的とつねに比較されうることで一層尊重されるように。
市民の要求が、以後、簡潔で争いの余地のない原理に基づくことによって、常に憲法の維持と万人の幸福に向かうように。
こうして、国民議会は、最高存在の前に、かつ、その庇護のもとに、人および市民の以下の諸権利を承認し、宣言する。
第1条(自由・権利の平等)
人は、自由、かつ、権利において平等なものとして生まれ、生存する。社会的差別は共同の利益に基づくものでなければ設けられない。
第2条(政治的結合の目的と権利の種類)
全ての政治的結合の目的は、人の、時効によって消滅することのない自然的な諸権利の保全にある。
これらの諸権利とは、自由、所有、安全および圧制への抵抗である。
第3条(国民主権)
全ての主権の源は本質的に国民にある。いかなる団体もいかなる個人も、国民から明示的に発しない権威を行使することはできない。
第4条(自由の定義・権利行使の限界)
自由とは、他人を害しないすべてのことをなしうることにある。したがって、各人の自然的諸権利の行使は社会の他の構成員にこれらと同一の権利の享受を確保すること以外の限界をもたない。
これらの限界は法律によってでなければ定められない。
第5条(法律による禁止)
法律は社会に有害な行為しか禁止する権利をもたない。法律によって禁止されていない全ての行為は妨げられず、また、何人も、法律が命じていないことを行うように強制されない。
第6条(一般意思の表明としての法律、市民の立法参加権)
法律は一般意思の表明である。すべての市民は、自ら又はその代表者によって、その形成に参与する権利をもつ。
法律は保護を与える場合にも処罰を加える場合にも全ての者に対して同一でなければならない。
全ての市民は法律の前に平等であるからその能力にしたがって、かつ、その徳行と才能以外の差別なしに、等しく、全ての位階、地位および公職に就くことができる。
第7条(適法手続きと身体の安全)
何人も法律が定めた場合で、かつ、法律が定めた形式によらなければ、訴追され、逮捕され、または拘禁されない。
恣意的(しいてき)な命令を要請し、発令し、執行し、または執行させた者は、処罰されなければならない。
ただし、法律によって召喚され、または逮捕されたすべての市民は直ちに服従しなければならない。抵抗した者は有罪となる。
第8条(罪刑法定主義)
法律は厳格かつ明白に必要な刑罰でなければ定めてはならない。何人も犯行に先立って設定され、公布され、かつ、適法に適用された法律によらなければ処罰されない。
第9条(無罪の推定)
何人も有罪と宣告されるまでは無罪と推定される。ゆえに、逮捕が不可欠と判断された場合でも、その身柄の確保にとって不必要に厳しい強制は、全て、法律によって厳重に抑止されなければならない。
第10条(意見の自由)
何人もその意見の表明が法律によって定められた公の株序を乱さない限り、たとえ宗教上のものであっても、その意見について不安を持たないようにされなければならない。
第11条(表現の自由)
思想および意見の自由な伝達は、人の最も貴重な権利の一つである。したがって、全ての市民は法律によって定められた場合にその自由の濫用について責任を負うほかは、自由に、話し、書き、印刷することができる。
第12条(公の武力)
人、及び市民の権利の保障は、公の武力を必要とする。したがって、この武力は全ての者の利益のために設けられるのであり、
それが委託される老の特定の利益のために設けられるのではない。
第13条(租税の分担)
公の武力の維持および行政の支出のために、共同の租税が不可欠である。共同の租税は全ての市民の間で、その能力に応じて平等に分担されなければならない。
第14条(租税に関与する市民の権利)
全ての市民は、自ら又はその代表者によって、公の租税の必要性を確認し、それを自由に承認し、その使途を追跡し、
かつその数額、基礎、取立て、および期間を決定する権利をもつ。
第15条(行政の報告を求める権利)
社会は、全ての官吏に対して、その行政について報告を求める権利をもつ。
第16条(権利の保障と権力分立)
権利の保障が確保されず、権力の分立が定められていない全ての社会は憲法をもたない。
第17条(所有の不可侵、正当かつ事前の補償)
所有は、神聖かつ不可侵の権利であり、何人も、適法に確認された公の必要が明白にそれを要求する場合で、かつ、正当かつ事前の補償のもとでなければ、それを奪われない。
マーロウ
チャンドラーの小説「フィリップ・マーロウ」シリーズ、「プレイバック(1958)」の中で
「How can such a hard man be so gentle?」 she asked wonderingly.
「あなたのようにしっかりした男がどうしてそんなに優しくなれるの?」
「If I wasn't hard, I wouldn't be alive.
If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive」
「強くなければ生きていけない。優しくなければ、生きている資格がない」
フィリップ・マーロウさんの本
山中竄ウん
伊勢丹専務、銀座松屋社長、池袋東武社長を歴任したミスター百貨店。社員に向かって
- 君たちは売ろうとしなくていいんだよ。お客様に親切にして差し上げなさい。
- 池袋東武初日の朝礼でも
今日は、売ろうとしなくてよいのです。お客さまが何を求めて来店されたのかによく耳を傾け、それを叶えてやってください。
岡田徹(あきら)さん
戦前から戦後にかけて活躍した商業指導者。管理人の父も机の前に詩を掲げておりました。
- 小さな店であることを 恥じることはないよ
その小さなあなたの店に 人の心の美しさを一杯に満たそうよ
- あなたの今日の仕事は、
たった一人でよい。この店へ買いにきてよかったと、満足して下さるお客さまを作ることです。
あなたの店があるおかげで、一人のお客さまが、人生は愉しいと知って下さることです。
岡田徹さんの本
倉本長治さんの商売十訓
商業界創始者。「店は客のためにある」を提唱した。
- 損得より先に善悪を考えよう。
- 創意を尊びつつ良い事は真似ろ。
- お客に有利な商いを毎日続けよ。
- 愛と真実で適正利潤を確保せよ。
- 欠損は社会の為にも不善と悟れ。
- お互い知恵と力を合わせて働け。
- 店の発展を社会の幸福と信ぜよ。
- 公正で公平な社会的活動を行え。
- 文化のために経営を合理化せよ。
- 正しく生きる商人に誇りを持て。
商業界 倉本長治さんの本
近江商人
江戸時代、勤勉・倹約・正直・堅実・自立の精神で行商を行い、
成功しても驕らずに、全国各地に支店を開設、さらに江戸大阪京都にも進出して、豪商となった。
近江八幡・日野・五個荘から特に多く輩出し、代表的な企業は
伊藤忠商事、丸紅、トーメン、高島屋、大丸、西武、
日清紡、東洋紡、ワコール、小杉産業、日本生命、ヤンマーディーゼルなど。
- 三方良し。買い手良し、売り手良し、世間良し。
- 奢者必不久。奢れる者かならず久しからずは、五個荘商人松居遊見が座右の銘とし、
豪商だが手織木綿の衣服を着、わらじをはき、粗食で粗末な家に住み、陰徳を積むことを喜びとしました。
- 好富施其徳。富を好しとし、其の徳を施せは、八幡商人西川利右衛門の家訓で、
商売が繁盛して富を得るのは良い事とし、その財産に見合った徳、すなわち社会貢献をすることが重要と説いた。
- 出精専一(しゅっせいせんいつ)。商売一筋に励むこと。
朝は星を抱いて商売に出かけ、夕べは月影を踏んで帰宅する。
- 商売替法度(しょうばいがえはっと)。
初代の創業の苦労や二代目の守成の難を知らない
未熟な後継者が新規なものに飛びつき、すべてを無くすような危険を予防する備え。
- 利真於勤(りはつとむるにおいてしんなり)。唐の詩人韓愈の業精於勤から転用して作られた伊藤忠兵衛の座右の銘。
商人の利益は、権力と結託したり、買占めや売り惜しみをしたりせず、
物資の需給を調整して世のなかに貢献するという、商人の本来の勤めを果たした結果として手にするものでなければならない。
そうした利益こそが真の利益。
- 天性成行(てんせいなりゆき)。取引や相場の判断に際しての態度。取引は自分の都合だけを優先させず、自他ともに成り立つことを考え、
売買価格もそのときの天性成行に従うことを求めている。だから損もあれば益することもあり、損益は長期的にみることが大事。
- 薄利多売(はくりたばい)。近江商人は卸小売業が多いが、
小売相手のときは悔やむくらいの薄い口銭で我慢することを商いの極意とした。
たとえ品薄のときでも余分の口銭を取るような世間の害になる取引を禁じている。
二代目塚本定右衛門の座右の銘は薄利広商。
- しまつしてきばる。近江商人に共通な日常の心構え。倹約につとめて無駄をはぶき、
普段の支出を抑え、勤勉に働いて収入の増加をはかる生活。
しまつは単なる節約ではなく、モノの効用を使い切ること。
- 陰徳善事(いんとくぜんじ)。人に知られないように善行を施すこと。
陰徳はやがては世間に知られ、陽徳に転じる。
近江商人は治山治水、道路改修、貧民救済、寺社や学校教育への寄付を盛んに行なった。
- 売って悔やむ(うってくやむ)。商品の販売は顧客の望むときに、そのときの相場で
損得に迷わず売り渡し、値上がりを思惑して売り惜しんではならない。
安売りしすぎたかなと悔やような取引であれば買売り方も買い方も双方満足する。長続きする取引への配慮。
商売の十教訓
- 商売は世の為、人の為の奉仕にして、利益はその当然の報酬なり。
- 店の大小よりも場所の良否、場所の良否よりも品の如何。
- 売る前のお世辞より売った後の奉仕、これこそ永遠の客をつくる。
- 資金の少なきを憂うるなかれ。信用の足らざるを憂うべし。
- 無理に売るな、客の好むものも売るな、客の為になるものを売れ。
- 良き品を売ることは善なり、良き品を広告して多く売ることはさらに善なり。
- 紙一枚でも景品はお客を喜ばせるものだ。つけてあげられるもののない時は笑顔を景品にせよ。
- 正札を守れ! 値引きは却って気持ちを悪くするくらいが落ちだ。
- 常に考えよ、今日の損益を。今日の損益を明らかにしないでは寝につかぬ習慣にせよ。
- 商売には好況、不況はない。いずれにしても儲けねばならぬ。
サム・ウォルトン(1918〜92年)
売上3千億ドル、世界一の小売業ウォルマートの創業者。
立地・価格・組織の経営革新を巻き起こし、南部の田舎町の小さなバラエティ・ストアを世界一の企業に成長させた。
45年にバラエティストアを初めて持ち、62年にディスカウントショップのウォルマート1号店を出店。
5千人以下の小商圏を中心に出店したため、必然的に自前の物流と情報管理システムを構築。
巨大で精緻なシステムを作りながら、個々の店や従業員の創意工夫も重視した。
エブリデイロープライスなど流通業をリードする様々なノウハウを確立し、創業者の死後も順調に発展したが、
遺族5人全員が大株主で資産2兆円以上、米富豪の6〜10位にランクされ、
従業員は全米最低賃金で、その医療費や生活保護などの公的負担の大きさ、サービス残業などの違法労働が問題になっている。
偉大なサムズルールはビジネスの全てとも言えるが、創業者の意思はうけつがれるか、否か。
サムのルール。Sam's Ruls
- 自分の事業にのめりこみなさい。誰よりも、その仕事を信じよ。
- あなたの利益を部下(アソシエート)と分け合いなさい。
そうすれば、皆があなたをパートナーとして認め、
あなたとともに期待以上の成果を挙げてくれるだろう。
あなたのアソシエートが会社の中でその存在感を持ち続けられるよう、元気づけてあげなさい。
株式を提供し、退職後の蓄えを認めてあげなさい。
自社株を持たせることは、この会社でやり続けてきたベストなことである。
- パートナーがやる気を出すようにしなさい。
金銭だけでは十分ではない。常に毎日、あなたのパートナーたちに動機付けを行い、
仕事にチャレンジする気を起こさせるような面白い方法を考え出しなさい。
高いゴールを設定し、大いに競争させ、その記録を取りなさい。
もし業績が停滞したら、やる気を維持させるために管理職の間で互いの仕事を交換するようにしなさい。
- 社員たちにできるだけ、すべてのことを知らせなさい。
情報は力である。アソシエートを十分に教育し知識を持たせることで得られる利益は、
競争相手に情報を与えるリスクを補って余りあるものがある。
- 事業のために社員が行うすべてのことを高く評価しなさい。給与とストップオプションで社員のロイヤリティを買うことはできる。
しかし、よく考えられ、時宜を得た心からの賞賛の言葉は、何ものにも代えることができない。
それには全くお金がかからないが巨額の金銭に匹敵する価値がある。
- 成功の喜び、失敗の中にユーモアを見出しなさい。
リラックスしなさい。そうすれば周りの人すべてがリラックスするだろう。
自分自身をあまり大層に思わないこと。いつでも熱意を表すこと。
もし、何か失敗があったら仮想でもして、ばかな歌でも歌いなさい。
このことは、あなたが思ってる以上に大事で面白い。
実際、競争相手のやる気をこれでそぐことができる。
- 会社にいるすべての人の話を聞きなさい。
彼らに話をさせる手を考えなさい。第一線にいる人たちは、
実際そこでお客様に話し掛け、そこで何が起こっているか知っている。
組織の末端にも責任を持たせ、その中から良いアイディアがうまれてくるようにしなさい。
- お客の期待を超えて見せなさい。
お客が欲しがるものを、少しだけ余分に与えなさい。
あなたがお客にどれだけ感謝しているかを分からせること。
間違いはすべて償いなさい。そして言い訳をせず、誤りなさい。やることすべてに責任を持ちなさい。
- 競争相手よりうまく経費をコントロールしなさい。
多くのさまざまなミスをしても、効率の高いオペレーションさえしていれば、
挽回することができる。
別の言い方をすると、あまりにも非効率な運営をしていると、
元気そうに見せ掛けることはえできても、
その実は、ビジネスから撤退せざるを得なくなる。
- 逆流に向かって泳ぎなさい。
違う道を行きなさい。昔からの知恵を無視しなさい。
もし、だれもが皆同じ方法をとっているとしたら、
それとはまったく反対の方法を行くことで自分のニッチを見つけなさい。
しかし、そのときは多くの人があなたを否定し、違った道を進んでいると言われることを覚悟することだ。
私が生涯を通じて最も頻繁に聞いたことは、人口5万以下の町ではディスカウントストアを経営し続けることはできない、というものだった。
ウォルマートのゴールデンルール
- お客様は正しい。
- お客様が正しくないと思ったときは第一条を参照する
テンフットルール
- 店内でお客が10フィート(3m)以内に近付いたら微笑んで語りかけるようにする
サンダウンルール
- お客に依頼されたものは翌日に持ち越さず、陽(サン)が沈む(ダウン)前に
すべてやり終えなければならない。ともかく答えをだして、実行する。
ユダヤ人の成功するための十の法則
ロスチャイルド財閥など世界の金融を押さえるユダヤ人の知恵。
ロックフェラー財閥も関係が深く、
ソロモンブラザーズやゴールドマンサックスはユダヤ系。
- 知識より知恵を重視せよ
- 生涯にわたって学び続けろ
- カネは奪われるが、知識や知恵は奪われない
- 逆境こそチャンスと心得よ
- カネより時間を大事にせよ
- 権威を憎み、権威になるな
- 笑え
- 相手の話は自分の話しの2倍聞け
- 他人とは違う立場をキープしろ
- 元手のいらないことを始めろ
松下政経塾の五誓
松下電器産業創業者の松下幸之助が、
今日の日本の危機的状況を予見し、新しい国家経営を推進していく指導者育成が必要との思いから、
私財70億を投じ、79年財団法人松下政経塾を設立。
3年の全寮制で常勤講師はおらず、各自で理想の国家経営の仮説を立て、現場体験を重ね、仲間と研鑽を積みながら自得していく。
卒業生に野田、松原、松沢、原口、高市、前原など政界の他に、経済人、マスコミも多数。
- 素志貫徹の事。常に志を抱きつつ懸命に為すべきを為すならば、いかなる困難に出会うとも道は必ず開けてくる。成功の要諦は、成功するまで続けるところにある。
- 自主自立の事。他を頼り人をあてにしていては事は進まない。自らの力で、自らの足で歩いてこそ他の共鳴も得られ、知恵も力も集まって良き成果がもたらされる。
- 万事研修の事。見るもの聞くことすべてに学び、一切の体験を研修と受けとめて勤しむところに真の向上がある。心して見れば、万物ことごとく我が師となる。
- 先駆開拓の事。既成にとらわれず、たえず創造し開拓していく姿に、日本と世界の未来がある。時代に先がけて進む者こそ、新たな歴史の扉を開くものである。
- 感謝協力の事。いかなる人材が集うとも、和がなければ成果は得られない。常に感謝の心を抱いて互いに協力しあってこそ、信頼が培われ、真の発展も生まれてくる。
後藤田五訓
中曽根内閣の時、官房長官後藤田正晴(1914〜05年)が内閣内政審議室、内閣外政審議室、内閣安全保障室、内閣広報官室、内閣情報調査室の
各室長等に対して与えた訓示。初代内閣安全保障室長を務めた佐々淳行が明らかにした。
後藤田は警察官僚、警察庁長官、衆議院議員。警察庁長官時代によど号ハイジャック事件など極左対応をする。
田中内閣の官房副長官として田中の懐刀として辣腕を揮い、
中曽根内閣の官房長官・行管理長官・総務庁長官、宮澤内閣の副総理・法務大臣などを歴任し、カミソリ後藤田と呼ばれた。
保守派だが、破防法の危険を訴え、イラクへの自衛隊派遣に反対。小泉内閣に対し、過度のポピュリズムが目立ち、危険と批判した。
中央官僚達はこの五訓の正反対のように見えてしまう。
- 出身がどの省庁であれ、省益を忘れ、国益を想え
- 悪い本当の事実を報告せよ
- 勇気を以って意見具申せよ
- 自分の仕事でないと言うなかれ
- 決定が下ったら従い、命令は実行せよ
海軍五省
5つの反省という意味。旧海軍の将校を育成する江田島の兵学校で使用された。
- 至誠に悖(もと)るなかりしか
- 言行に恥ずるなかりしか
- 気力に缺(か)くるなかりしか
- 努力に憾(うら)みなかりしか
- 不精に亘るなかりしか
山本五十六(1884〜1943年)
長岡出身の聯合艦隊司令長官。海軍大学校卒業後、ハーバード大留学。
海軍次官を経て、39年に聯合艦隊司令長官就任。
日独伊三国軍事同盟や日米開戦に反対した。
航空機に早くから着目、海軍航空隊育成に尽力。
- やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。
- 苦しいこともあるだろう。
言い度いこともあるだろう。
不満なこともあるだろう。
腹の立つこともあるだろう。
泣き度いこともあるだろう。
これらをじっとこらえてゆくのが男の修行である。
- 実年者は、今どきの若い者などということを絶対に言うな。
なぜなら、われわれ実年者が若かった時に同じことを言われたはずだ。
今どきの若者は全くしょうがない、年長者に対して礼儀を知らぬ、
道で会っても挨拶もしない、いったい日本はどうなるのだ、などと言われたものだ。
その若者が、こうして年を取ったまでだ。
だから、実年者は若者が何をしたか、などと言うな。
何ができるか、とその可能性を発見してやってくれ。
- 人は神ではない。
誤りをするというところに人間味がある。
- (日米開戦後の見通しを近衛首相から聞かれ)
それは、是非やれといわれれば、
初めの半年や一年は、ずいぶん暴れてごらんにいれます。
しかし、二年、三年となっては、全く確信は持てません。
三国同盟ができたのは致し方ないが、かくなった上は、
日米戦争の回避に極力ご努力を願いたいと思います。
四季の心
卒業生への訓示などに良く使われるようです。仏教系かなと思うんですが、作者不詳。
- 人に会う時は 春のように温かい心で
- 仕事をする時は 夏のように燃える心で
- 物を思う時は 秋のように澄んだ心で
- 自分を律する時は 冬のように厳しい心で
日常五心
洗面所や台所に良く貼ってありますが、社会生活の基本ですね。合掌。
- 「ありがとう」と言う 感謝の心
- 「すみません」と言う 反省の心
- 「おかげさまで」と言う 謙虚な心
- 「私がします」と言う 奉仕の心
- 「はい」と言う 素直な心
あいうえお
やはり生活の基本。学校などで教えてくれます。作者不詳
- あ ありがとう
- い いきいきと
- う うれしそうに
- え えがおで
- お おもしろく
あいづっこ宣言、什の掟
会津若松市の「こんな子どもに育ってほしい、大人もこういう人になろう」という誓いの言葉。
平成14年から市の青少年育成市民会議が、学校などと協力しながら啓蒙を続けている。
白虎隊で有名な会津藩校の日新館からうけついだ伝統の「什(じゅう)の掟(おきて)」が元で、
特に有名なのは「ならぬことはならぬものです。(いけないことは何があってもいけないのです。)」
市では「朝のあいさつ 、おはよう運動」「朝飯をちゃんと家族でとる運動」も進めている。
会津藩には五代藩主容頌が朱子の「小學」を元に編纂した「日新館童子訓」という子供の生活指針もある。
日新館は全国でも最大規模といわれた教育機関で、
8千坪の敷地に校舎、天文台、武道場、水練水馬池が備えられ、道徳と知識を授けた。
藩士の子は16才で卒業し、白虎隊に入隊することになっていた。
あいづっこ宣言
- 人をいたわります
- ありがとう ごめんなさいを言います
- がまんをします
- 卑怯なふるまいをしません
- 会津を誇り 年上を敬います
- 夢に向かってがんばります
やってはならぬ やらねばならぬ。
ならぬことは ならぬものです。
什の掟
- 年長者の言うことに背いてはなりませぬ。
- 年長者にはお辞儀をせねばなりませぬ。
- うそを言うてはなりませぬ。
- 卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ。
- 弱い者をいじめてはなりませぬ。
- 戸外で物を食べてはなりませぬ。
- 戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ。
ならぬことはならぬものです。
※日新館入学前の6〜9歳の子供達が町内の10人毎の班を作り
日常行動をともにしていたのを「什」といい、
集団生活で藩士としての基礎教育を受けた。
お話の会の始めに毎回、最年長者が読み上げ、
みんなで、「ハイ」と頭を下げて拝聴するのが「什の掟」。
マーク・トウェーンさん(1835〜1910年)
ミズーリの寒村に生まれ、4才の時、ミシシッピ川の港町に家族で移住。
父の死で12才から植字工、印刷工、蒸気船の水先案内人など職を変え、
27才で新聞記者に。ミシシッピでの子供時代を描いた76年「トム・ソーヤーの冒険」、86年「ハックルベリー・フィンの冒険」で国民的作家となった。
- 煙草をやめるなんてとても簡単なことだ。私は百回以上も禁煙している。
- ユーモアの隠れた源泉は歓びにあるのではなく、悲しみにある。天国にユーモアはない。
- 赤面する唯一の動物。それが人間である。
- 友人の果たすべき役割は、間違っているときにも味方すること。正しいときにはだれだって味方になってくれる。
- 大きな夢を汚す人間には近づくな。たいしたことない人間ほど人の夢にケチをつけたがるものだ。
- 真に偉大な人間は自分にも成功できると思わせてくれる。
- アダムはリンゴが欲しかったから食べたのではなく、禁じられていたからこそ食べたのだ。
マーク・トウェーンさんの本
ハマちゃん(釣りバカ日誌)
既に15作。すっかり寅さん映画のポジションを受け継ぎました。三国さん、谷さんもGOOD
- ミチコさんへのプロポーズで
「あなたをを幸せにできるかどうかはわかりませんが、ぼくは絶対に幸せになります」
ジョン・レノンさん(1940年〜)
ポピュラーミュージックで世界中に愛され、ビートルズとソロとで6億枚近いレコードが売れ、アルバムのトップ10枚、シングルのトップ17枚。管理人はビートルズ初期のバラードが好きでしたが、亡くなった後はやはり「ジョンの魂」「イマジン」
に魅かれました。
ジョンは世界大戦中の40年、英リヴァプールで、船の給仕人でいつも不在の父と気弱な母ジュリアの一人息子として生まれる。
1才前に名付け親でもある叔母ミミと叔父ジョージに引き取られ、1才半の時、父のフレッドが行方不明になり、母は別の男性の元へ。
5才の時、父親が戻り、養育をめぐって両親が対立。二人から「父と母のどちらか選べ」と宣告され、一度は父を選ぶが、直ぐに母を追いかけ、結局ミミの元に。
小学校では喧嘩ばかりしていたが、成績優秀で、物語や詩やイラストを好んで書いた。
「不思議の国のアリス」「バルザック」がお気に入りで、叔父の家にあった世界短編傑作集全20冊を何度も読み返した。
規律の厳しい中学では反抗を続け、教師の言動を風刺漫画にしてクラスに回覧して笑いものにし、問題児と見なされ、成績も下がった。
近くに住んでいた母とは友人として交際を続ける。叔母夫婦から愛されていたが実は「いつも母のことを考えていた」。
55年良き理解者ジョージ叔父が無くなり、強い衝撃と喪失感を味わうが、無関心を装った。
56年「ロック・アラウンド・ザ・クロック」に興奮し、別居の母が聞かせてくれたプレスリーの「ハートブレイク・ホテル」が彼の心を揺さぶった。
57年学校の友人と「クオリー・メン」結成。結婚式やパーティーで演奏。
ポール・マッカートニーと出会い、詩と曲の共作をはじめる。美術学校に入り、後の妻シンシアと知り合う。
58年ジョージ・ハリスンがバンドに加入。音楽活動に厳しい叔母ミミとは逆に、母ジュリアは理解してくれ、ようやく打ち解けられるようになったが、
ジュリアは飲酒運転の非番の警察官に轢かれて死亡。激しい悲嘆に落ちたが又も無関心を装ってみせた。60年「シルバー・ビートルズ」に改名。さらに「ザ・ビートルズ」に改名。
独ハンブルグ歓楽街のクラブ「カイザーケラー」で5ケ月間毎日4〜6時間の演奏を続け、演奏技術が増し、ドラッグも覚える。だが、契約違反で解雇されて帰国。シンシアと結婚。
61年黒レザースタイルで、リバプールのジャズクラブ「キャバーン・クラブ」で演奏を開始。
レコード会社のオーディションには落ち続けるが、
オリジナル曲「マイ・ポニー」の評判を聞き、地元レコード店のオーナー、ブライアン・エプスタインがマネージャーをかって出る。
62年EMIと契約。EMIの指示でドラマーを交代、リンゴ・スターが加入した。エプスタインの作戦で襟無しスーツを着用。
シンシアと出来ちゃった婚。ファーストシングル「ラブ・ミー・ドゥ」が17位に。
63年全国ツアーから人気が爆発。シングル「プリーズ・プリーズ・ミー」が1位。長男ジュリアン誕生。1日でレコーディングしたアルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」も1位に。
以後はシングル、アルバム共に全て1位。超多忙なツアーの合間に曲作りを続ける。64年米エドサリバンショー出演。米ビルボードで1〜5位独占。映画「ア・ハード・デイズ・ナイト」
65年映画とアルバムの「ヘルプ」、「ラバー・ソウル」、外貨獲得の功績でMBE勲章受賞。
66年「リボルバー」。ロンドンの新聞インタビューの「キリスト教はやがて衰えるだろう。僕たちは今やキリストより人気がある。イエスは立派だったが弟子たちが愚かだった。」発言が、
後に米でパッシングを受け、疲れと監禁状態のストレスも重なり、ますますアルコールとドラッグにのめりこむ。ベトナム反戦運動も盛んになっていた。
東京公演で国内騒然。サンフランシスコ公演でライブ活動を中止。オノ・ヨーコの展示会「未完成の絵とオブジェ」の下見し、紹介される。
67年LSD体験でアルバムも「Strawberry Fields」、最高傑作「Sgt.Pepper's Lonely Hearts Club Band」とサイケに変わり、ドラッグを常用。
名マネージャーで恩人のエプスタインが麻薬中毒で死亡、33才。
68年アップル社設立。マハリシに師事しヒマラヤへ。「White Album」「Abbey Road」が構想され、ジョージの傑作「Here Comes the Sun」「Something」が生まれた。
マハリシと参加者の女性との噂が広まり、失望と共に帰国。アニメ「イエロー・サブマリン」、シンシアと離婚。息子への「ヘイ・ジュード(ジュリアン)」作成。ヨーコと共にマリファナ所持で逮捕。
69年「アビー・ロード」、ヨーコと結婚。「ベッドイン」「ギブ・ピース・ア・チャンス」。ドラッグの禁断症状を歌った「コールド・ターキー」。
反戦運動も開始。世界11都市に平和メッセージの巨大看板「WAR IS OVER IF YOU WANT IT」を設置。
70年「レット・イット・ビー」、ビートルズ解散。「ジョンの魂(John Lennon)」。71年NYに移住。その後、FBIにマークされ続け、憧れのプレスリーからも残念ながら裏でパッシングされる。アルバム「イマジン」
73年ヨーコの意向で別居しロスへ。毎晩飲み歩き、暴力事件を起こすなど生活はすさみ、治療を受けながら、アルバム「マインド・ゲームズ」
75年NYで同居。それまでヨーコはジョンとの間で3回流産していたが、ショーン誕生。76年主夫宣言、米の永住権許可。77,78年軽井沢などで過ごす。
80年息子ショーンの「お父さんはビートルズだったの?」に活動再開を決意。「スターティング・オーヴァー」「ダブルファンタジー」
12月8日自宅前でファンの凶弾に倒れる。セントラルパークでの追悼式には30万人が参加した。
ジョンの歌詞にあるyouやsheはほとんど別れた母ジュリアを指していたようだが、後年はヨーコの母性愛に癒された。2000年埼玉県さいたまスーパーアリーナ内に「ジョン・レノン ミュージアム」オープン。
- 一番辛いのは必要とされないこと。そして、自分が必要とするように両親が自分を必要としてくれないと悟ることだ。
この愛の欠落は僕の目に、そして心に焼き付いた。僕は一度も必要とされたことなんてなかった。
- 小学校の時はけんかばかりしていた。幼い頃からダーティーなジョークをたくさん仕込んでいたね。
私がボスのグループは、女の子のパンツをさげることばかりしていた。
- 15才の体験で、唯一、心にぐっさりきたのがロックンロールだったんだ。あの頃、ロックンロールはリアルだった。で、ロック以外のものはどれも嘘っぱちだった。リアルなものは、大抵シンプルなんだ。シンプルなものは真実なんだ。
- ロックンロールより素晴らしいものは、概念的に言って、無い。
- 僕は母親を2度失った。1度目は(両親が離婚して)叔母の家に引っ越した時、そして2度目は僕が17才の時、彼女が本当に肉体的に死んだ時だ。あれはまさに僕にとってトラウマだった。
- ビートルズは、ほしいだけの金を儲け、好きなだけの名声を得て、何も無いことを知った。
- 人の言うことは気にするな。「こうすれば、ああ言われるだろう」こんなくだらない感情のせいで、
どれだけの人がやりたいこともできずに死んでいくのだろう。
- 自分でやらなきゃ駄目なんだ。ぼくには君の目を醒ますことはできない。君になら、君の目を醒ますことができるんだ。
ぼくには君の傷を治せない。君になら君の傷を治せるんだ。
- 過去を後悔してちゃダメだよ。過ぎた時間は絶対もどってこないんだから。
- すべてを肯定してみると、答えがみつかるもんだよ。
- 重要なのは、今のこの瞬間を生きる、ということだ。持ちこたえていれば、おいしい紅茶が飲めるかもしれないし、つかの間の幸福が今にも手に入るかもしれない。
- 誰にだって成功できる。成功は環境や教育とは無関係。「自分には出来る」と信じることだ。
- 死んだ人間をあがめたてまつるっていうのが僕には分からないね。シド・ビシャスやジム・モリスンをヒーローにするのも僕にすればくだないことさ。僕は生き抜いている人たちを大いに尊敬するね。
ジョンレノン・ミュージアム ジョン・レノンさんの音楽
ヨーコ・オノさん(1933年〜)
ジョンレノンの妻。現代アート家。平和活動家
安田財閥の銀行家の長女として生まれた。親は不在がちで、物語や詩を好んで書いていた。父のNY赴任で渡米、第二次大戦中に帰国し、東京大空襲を体験。
20才で再渡米し、サラ・ローレンス大で作曲と詩を学び、前衛芸術グループ「フルクサス」のメンバーとして、アート活動を始める。
ドラッグ環境の中、現代音楽を勉強中の一柳俊氏と結婚。不安定な状態が続き、帰国、離婚、トニー・コックス氏と結婚、長女京子誕生。
64年NYに戻り、言葉による「グレープフルーツ」
65年自分の服を観客に鋏で切らせる「カット・ピース」
66年ロンドンの展示会場でジョン・レノンと出会う。
69年コックスと離婚し、ジョン・レノンと結婚、プラスティック・オノ・バンド結成。
「平和のためのベッド・イン」。世界11都市に平和メッセージの巨大看板「WAR IS OVER IF YOU WANT IT」を設置。
70年ビートルズ解散。ヨーコは「ビートルズを解散させた悪女」と言われた。71年NYに移住。ジョンがアルバム「イマジン」
73年ヨーコの意向で別居し、ジョンはロスへ。75年NYで再び同居し、ショーン誕生。それまでジョンとの間で3回流産していた。
76年ジョンが主夫宣言、米での永住が許可。77,78年軽井沢などで過ごす。
80年ジョンが活動再開を決意。「ダブルファンタジー」。12月8日自宅前でジョンがファンの凶弾に倒れる。
86年「PEACESTAR WORLD TOUR」世界38都市で公演。
- 地球は溢れるほどのものを与えてくれる。耳を澄まそう、地球とその鼓動に。この美しい惑星と調和を保って生きていこう。
- ひとりで見る夢は夢でしかない。しかし、誰かと見る夢は現実だ。
- 「イマジン」は、いつの時代にも重要で、私はいつかこの曲を歌う必要がなくなる日がくることを願っているんです。
- 彼は人類とこの星の未来を本当に心配していました。彼は人類とその未来に、深くて強い愛を持っていました。
- 常に希望をもたらすあなた。誇り高く、機敏で、そして賢明であってください。自分自身が平和でいることで、あなたはすでに平和な世界の一部になっているのです。
- ことばには現実をつくる力がある。
- 空の青さにかなうアートなんてあるのだろうか。
チェ・ゲバラさん(1928〜67年)
アルゼンチン生まれの革命家、医師。坂本龍馬を尊敬し、ジョン・レノンに「1960年頃 世界で一番かっこいい男がチェ・ゲバラだった」といわれた。
キューバ政権の幹部になっても粗末なアパートに住み、いつも戦闘服で葉巻を吸い、贈り物は全て施設に寄付。
深夜まで仕事し、アメリカに文句を言い続け、地元民やインディオにやさしい男。
28年、アルゼンチンのロサリオ市で裕福な家庭に生まれる。
32年、喘息のため、コルドバの避暑地アルタ・グラシアに転居。
41年、コルドバの高校に入学。喘息だがラグビーやサッカーなどを愛好。
48年、アレルギー研究を志し、ブエノスアイレス大医学部入学。
50年、アルゼンチン北部をモペットで旅行。
51年、親友と2人でバイクの南米貧乏旅行をし、貧困や圧政に強烈な印象を受ける。
53年、6年課程を3年で終え、医師資格取得。軍政下で医師になることを避けボリビアへ。
再び、南米を放浪し、社会主義政権下のグアテマラで亡命キューバ人と知り合う。
54年、米CIAの工作でグアテマラの政権崩壊。
55年、イルダと結婚。56年長女イルディタ誕生。メキシコで亡命中のカストロ兄弟と出会い意気投合。
革命戦に従軍医として参加し、10人乗りのヨットに85人が乗ってキューバ上陸。
上陸後すぐ攻撃を受け、12人しか生き残らなかったが、エストラ山地に篭ってゲリラ戦を継続。次第に反政府勢力が結集し、
59年、キューバ革命成立。国立銀行総裁に就任。国の代表として外交も行うが、封鎖された「キューバ危機」への米ソの態度や政権中枢になじめずに、
65年、革命を広げるべく、キューバを離れ、コンゴの反乱軍で活動した後、南米ボリビアでもゲリラ活動を行うが、67年捕えられ殺害された。
その生き方は60年代後半、世界中の若者から熱狂的に支持された。
- 革命か死か。
- ほんとうの革命家は、大いなる愛情に導かれている。愛のない本物の革命家なんて、考えられない。
- もしいつかお前たちがこの手紙を読まなくてはならなくなった時、それはパパがもうお前たちの間にはいないからだ。
世界のどこかで、誰かがこうむっている不正を、心の底から深く悲しむことのできる人間になりなさい。それこそが革命家としての、一番美しい資質なのだから。
キューバ大使館 チェ・ゲバラさんの本
クラウゼヴィッツ(1780〜1831年)
「戦争論」で有名な戦略家、軍人。戦術でなく、戦略や政治との関係も説いた軍事書。
ソ連や中国で使われ、現在も軍や研究者に読まれる古典。
死後、未完のまま出版された為、矛盾もあり、引用者の都合に合わせて使われている。
ポーランド系プロシア人の没落貴族の出と言われる。
12歳で陸軍に入隊、1801年ベルリン陸軍士官学校入学。
親王付武官になり、06年ナポレオン軍とのイエナ会戦で捕虜となる。
09年に釈放され、ナポレオン支配下でプロシア軍再建にあたり、皇太子の軍事学教官に。
フランスとの同盟に反対し、国王に「建白書」を提出するが聞き入れられず、
フランスと戦うためロシア陸軍に参加。
後にプロシア軍に復帰、ワーテルロー会戦で参謀として活躍。
18年プロシア陸軍士官学校長になり、理論研究、執筆に没頭。
30年参謀としてポーランド出陣。翌年、戦争論の執筆中にコレラで死亡。
- 戦争は相手に我が意志を強要するために行う力の行使である。
- 戦争の最終目標はあくまで政治的な目的の達成であって、
一個一個の作戦が成功かどうかは、政治的な目的に貢献したかどうかで判断すべき。
- 敵戦闘力の撃破は敵より優勢な兵力か有利を得ることのできる技術を持っていなければ実現できない、
優位が無いままの無理攻めは、敵の撃滅の前に自軍の方が損害過剰で撃滅されてしまう。
- 戦争哲学の中へ、博愛主義をもちこむことは不合理である。
- 実力行使を辞さない者には、すべてが敗れる。
- 大衆や兵士の共感を手っ取り早く得ようと思ったら、その低級な感情を刺激せよ。
- 人間は刺激に反応して行動する。その刺激を生み出すのは賞と罰である。
賞に名誉、罰に不名誉がともなえば、さらに効き目がある。
- いかなる名参謀も、将帥の決断力の不足だけは補佐できない。
- 未開人は感情に支配され、文明人は感情に支配される。
- 栄冠は最後の勝利者に与えられる。途中の得点の総和が勝っても、なんにもならない。
- 将帥は激情の中にあっても均衡を失わず、知謀と遠慮を働かさねばならない。
すなわち心の中に不動の羅針盤をもつことが大切である。
- 将帥の真の価値は、人目をひく名作戦にはなく、目的を達するか否かにある
- 最高指揮官と次級指揮官との精神活動には格段の差がある。
後者は命令されることができ、精神活動の領域が狭くてすむ。
- 地位の高まるにつれて無能となる者がある。
単純で勇敢なだけでは、将帥にはなれない。
- 最高の地位にあって胆力のある将帥は希である。
怖ろしさがわかるからである。
- 不利な戦況によって冷却した大衆の心は、指揮官の胸に燃える焔と頭脳の光とによって
再び燃え上がらされ、照らし出されねばならない。
この力をもつ将帥はよく大衆を統率し、大衆の指導者たる地位を保つことができるが、
この力のない将帥はたちまち大衆の動物的境涯に引き落とされてしまう。
この引力は人数の多いほど強いから、地位の高い指揮官ほど、これをはねかえすために、大きな力をもっていなければならない。
ムハンマド(モハメド、モハメッド)・アリさん(1942年〜)
蝶のように舞い、蜂のように刺す。華麗なフットワークのボクシング元ヘビー級チャンプ。
元カシアス・クレイ。ローマオリンピック・ライトヘビー級金メダリスト。大会後18才でプロ入り。過激な黒人開放運動家マルコムXとつきあい、ブラックモスリムに入信。
「オレは偉大だ」「ヤツを5ラウンドに倒す」といった発言も人気になり、
64年ソニー・リストンからタイトル奪取。試合後の会見でモハメド・アリと名乗ることを発表。
9回防衛したが、黒人差別への批判や信仰に従ったベトナム戦争の徴兵拒否で無敗のままタイトルを剥奪された。
(※同じ徴兵逃れをした白人のブッシュは後に大統領)
3年半の試合禁止を経て復帰。74年ザイールで剛腕フォアマンを8回KOで下し、再度チャンプ。
76年アントニオ猪木との異種格闘技戦も話題に。
パーキンソン病のため引退。体は震えるが意識は正常で、難病患者の救済や平和活動に参加。
アトランタ五輪開会式では聖火を点灯。黒人だけでなくアメリカのヒーロー。
- トレーニングはいつも嫌だった。でも「止めるな。耐えろ。ずっとチャンピオンとして生きるんだ。」と言い聞かせていた。
- チャンピオンはジムで作られるのではない。心の奥深くに持っている願い、夢、ビジョンが作るんだ。
必要なのは土壇場でのスタミナと少しのスピード。技術と意志。強い意志は技術を上回る。
- 信じなければ挑戦はできない。私は自分を信じている。
- 敗者のロッカールームで、何を言ったらよいかなんて誰も知らない。
- 主張を反復していると信念になる。そして信念が深い確信になった時、何かが起こるんだ。
- 想像力のない人には羽がない。
- 友情は学校で学ぶ何かではない。しかし、友情の意味を学べないなら、何も学んでいない。
- 川、池、湖、そして、せせらぎ。皆、違った名前がある。が、皆、水を含んでいる。
ちょうど宗教のように。それらは皆、真理を持っている。
- 我々は一つの人生を過ごす。それはやがて終わる。神の為になすことは、全て続いていく。
- 世界の誰かを鞭打つことの出来る者は、決して平和を理解できない。
- なぜ名前を変えたのか、に答えて
私たちは奴隷として米国へ連れてこられた人間の子孫です。カシアス・クレイというのは支配する側の言語による名前です。
私は自分の名前が必要だった。だからムハマド・アリという名前を選んだのです。
制度を変えただけで差別はなくならない。たとえば、ブラックメールは脅迫、ブラックマーケットは闇市、
ブラックリストとかブラックフラッグとか、ブラックは常に悪いイメージだ。
それに対しホワイトは清浄で美しいものをしめす。そのような言語を使う限り、人間は自由ではあり得ない。
言語が絶望的なほど大きな力を持つ。そう思いませんか。
辰吉丈一郎さん(1970年〜)
勝っても負けても感動を与える「浪速のジョー」。左目の網膜剥離による3度の手術を越え、引退勧告も拒否し、今もトレーニングを続ける。
倉敷市出身。1才になる前に両親が離婚。男手ひとつで育てた父がボクシングも自己流で教え、中学卒業後、大阪帝拳ジムに入門。
89年プロデビュー。90年日本選手最速タイの4戦目で日本バンタム級チャンピオン。91年同最速の8戦目にリチャードソンからWBC世界バンタム級タイトル奪取。
92年初防衛戦でラナバレスに敗れる。左目の網膜剥離による引退危機を乗り越え、93年ラナバレスに勝ち、暫定チャンプ獲得。
94年薬師寺との世界統一戦に敗れる。96年サラゴサとのWBC世界Sバンタム級戦に敗れる。97年サラゴサとの再度のタイトル戦に敗れる。
同年シリモンコンからWBC世界バンタム級タイトル奪取。2回防衛した後、98年ウィラポン戦で勝って引退の決意をしていたがKO負け。
ウィラポンはムエタイ時代に100戦以上し、3階級制覇も成し遂げ、プロ4戦目での世界王座だった。
翌年のリターンマッチも辰吉は一方的に打たれ続け、立ってはいたが意識を失い、吉井会長がタオル投入。
後ろに倒れそうな辰吉をレフェリーが抱きしめ、ウィラポンが支えた。
ウィラポンはその後、14回防衛の名チャンプとなったが、05年春、長谷川に敗れてタイトルを失った。
辰吉は01年父粂二さん(享年52才)の三回忌法要で復帰を宣言し、3年以上のブランクを経て、02年再起戦でTKO勝ち。03年も1試合して判定勝ち。
所属する大阪帝拳ジム吉井清前会長から再度引退勧告をされたが、現役にこだわり続けている。
アマ戦績18勝(18KO)1敗、プロ戦績19勝(13KO)6敗1分。
- 次、生まれ変わったらこうしたい、とかいう人がおるけど、次はないよ。
- 99%ダメ? あと1%あるやん。
- やりたければやればいい。やりたくなければやらなければいい。
- 他人が何を言おうと、それでお前の人生が最高やったらエエがな。
- カエルの子はカエルっていうけど、カエルやったらあかんのか。
- ハートがある選手が本当に強くなる資格があるわけですよ。
- 嘘をつくってけっこう頭いりますやん。そんなんしたら頭から煙、出てくる。
- 失敗してもせんでも誰にも気づかれへんような人生、生まれてきた価値あらへん。上へいこうが潰れようが、それを皆がわかるほうがええ。
- そんなん嬉しないヤツおらんよ。自分の名前が売れるって最高のことやもん。まさに生きてる価値がある。
- どんなパンチでも、練習で100回、1000回と打っておかんと試合じゃ打てん。だったら100回、1000回、10000回と打っておけばいい。
そうすれば打てるようになる。もっと強くなれる、無限になれる。そんなん馬鹿やと言われるかもしれへん。馬鹿でええ、僕には最高のほめ言葉や。
- たとえ勝ったとしても、自分の力に限界を感じたならすぐにでも辞める。逆にいくら負けても、自分の納得が行かないならば、絶対に辞めません。
- 人生は一度しかない。全てを悟ったような顔をして生きていくよりも、泥にまみれながら未知の世界へ常に挑戦し続ける自分でありたい。
- 100%じゃない。まだ1%の可能性があるということやね。チャンスを待つしかない。
- 未練がましいとか、男らしくないとか言われる。ほな、きっぱり辞めるのが男らしいのか。ちゃうやろ。男らしさは自分で決めるもの。
辰吉丈一郎さんの本
タイガー・ウッズさん(1975年〜)
PGA賞金王4回、メジャー9勝。年収約90億はスポーツ選手の世界No1。毎日3千万円か。
米カリフォルニア出身。188センチ、82キロ。
生後9か月でゴルフを始め、2才の時TVでパッティングを披露。3才で9ホールスコア48を記録。
11才でハンディ2、13才でハンディ0、15才から全米ジュニア3連覇。18才から全米アマ3連覇。
20才の96年にスタンフォード大中退、ナイキと600万ドル(7億円)で契約してプロに。PGAツアー11戦2勝して新人王。
翌年21才でマスターズ優勝、計6勝しPGAツアー賞金王。
タイガーは陸軍「グリーンベレー」の将校だった父が、行方不明になった南ベトナム軍の戦友のニックネームを付けたもの。
母はタイ人。
- まだ僕のゴルフは自分の目指すべきところに到達していない。
- どんなことがあっても楽しまなきゃ。
- 届かないパットは絶対にカップインしない。
- 劣勢にあっても逃げないこと。たとえどんなに負けていても、自分は勝てるといつも信じなくてはならない。
- 不安を感じることもあるでしょう。僕も前はそうだったし、そういう時はプレーもうまくいきません。
でも、何度か試練をくぐりぬけ、学び、成長すると、自分を信じられるようになるんです。
- 次のタイガー・ウッズになろうとか、ジャック・ニクラウスになろうなんて考えない方が良いと思うよ。自分のベストになることを目指すべきだ。
- そこに一緒に座って、何時間か話す。それが、二人の間に信頼と尊厳を築く方法だと思う。
タイガー・ウッズさんの本
マイケル・ジョーダンさん
NBA史上最高のプレーヤー。ジャンプの滞空時間の長さから「エアー」と呼ばれた。ニューヨーク州ブルックリン生まれ。
NBAの超スーパースターなのに、さらにMLBにチャレンジしましたからスゴイですね。
プロでミスしたシュート9000本。
負けたゲーム300。
はずしたウイニングショット26回。
いままでミスをしてきた。
何度も、何度も、何度も。
だから、俺は成功する。
I've missed more than 9000 shots in my career.
I've lost almost 300 games.
26 times,I've been trusted to take the game winning shot and missed.
I've failed over and over and over again in my life.
And that is why I succeed.
マイケル・ジョーダンさんの本
マーク・トェインさん(1835年11月30日〜1910年4月21日)
アメリカの作家、小説家「トム・ソーヤーの冒険、1876年」
「ハックルベリー・フィンの冒険、1885年」の著者。
エッセーも発表し、世界中で講演活動も行う。
姪に「あしながおじさん」のジーン・ウェブスターがいる。
- 自分を励ます最上の方法。それは誰かを励まそうと努力することだ。
- 何かやりたくない事があったら、毎日必ずそれをやることだ。
これが苦痛無しに義務を果たす習慣を身につけるための黄金律なのだ。
- 先に進むための秘訣は、先に始めること。
先に始めるための秘訣は、複雑で圧倒する仕事を、
扱いやすい小さな仕事に分解して、最初のひとつを始めることだ。
- 今から20年後、あなたはやったことよりもやらなかったことに失望する。
ゆえに、もやい綱を解き放ち、安全な港から船を出し、
貿易風に帆をとらえよ。探検し、夢を見、発見せよ。
- 私は人生の苦難を味わってきたが、実際に起きたのはほんの少しだった。
- 夢を棄ててはいけない。夢がなくても、この世にとどまることはできる。
しかし、そんな君はもう生きることをやめてしまったのだ。
- 赦しとは、踏みにじられたスミレの花が
自分を踏みにじったかかとに放つ芳香である。
- 勇気とは恐怖への抵抗であり、恐怖に打ち勝つことである。
恐怖がないことではない。
- あなたの夢を小ばかにするような人からは離れていきなさい。
器の小さい人は、いつも人を小ばかにするのです。
しかし、真に偉大な人は、あなたも偉大になる可能性があることを教えてくれます。
- 人生に絶対確実なんてありえない。ただ、チャンスがあるだけだ。
- 私がこれまで思い悩んだことのうち、98%は取り越し苦労だった。
- 人は心で学ぶ。目や頭で学ぶのではない。
- 勝者と敗者を分けるのは、一日5分、考えるかどうかで決まる。
- 相手に気に入られる最上の方法は、
あなたが聞いたとおりに、相手が語ったことを再び語ることだ。
- 人をほめたら同時にものを頼んではいけない。
ほめ言葉は無料でなければ価値がない。
- 友達にふさわしい役割とは、あなたが間違っているときに味方をしてくれること。
正しいときなら誰でも味方をしてくれるのだから。
- 銀行家とは、日が照っている時に人に傘を貸し、雨が降り出した途端に返せと言ってくる連中である。
- 歴史は同じようには繰り返さないが、韻を踏む。
- 真実に値しないものに、真実を語ってはならない。
- 真実は小説より奇なり。
英シャクルトンの求人広告
1914年南極大陸横断に挑戦した英国のシャクルトン隊。遭難してしまったが劇的な生還を遂げた。そのシャクルトン隊長がロンドンで隊員を募集した時の新聞広告の文章。すこぶるかっこいい。5000人もの男が殺到したらしい
- 求む男子。至難の旅。僅かな報酬。極寒。暗黒の長い日々。絶えざる危険。生還の保証なし。成功の暁には名誉と賞賛を得る。
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氷海に投げ出され孤立無援となった探検隊を率い、全員が奇跡の生還。シャクルトンのリーダーシップと隊員の団結心、友情と信義。
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そして、奇跡は起こった!シャクルトン隊、全員生還
失敗から人類の偉業のなかでもとりわけ心を打つ奇跡が生まれた。ベスト・ノンフィクション受賞。
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●管理人がこのサイトを作ったきっかけが、実はこのシャクルトンの文なんです。
生活の表面的な部分は変化しますが、どうも人間の本質はあまり変わらないようです。
5千年前のエジプトの有名な落書き「最近の若い者は...」とかね。
生まれて、食べて、バカをして、学んで、恋をして、
たくさんの人とたくさんの喜怒哀楽をして、死ぬんですね。
まずは、気持ちを落ち着け、気持ちを強くし、前へ進みましょう。
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